第51話 二人目の女の子


 「ふう……………………」

 

 一通り部誌に目を通すと一旦休憩して背伸びをする。

 部長の小説は聞いていた通りの恋愛小説だった。主人公の男子高校生と二人の女子高生の三角関係。

 

 視線を上げるといつの間にか図書室に人影はいなくなっていて、窓枠から注ぐ日差しが徐々に部屋の中に入り込んできている。つい長いこと読みふけっていたようだ。

 

 「や、副部長」

 

 望の視界を誰かが塞ぐ。

 垂れさがった艶やかな髪が透けて、きらきらと輝いていた。 


 「ちゃんと仕事はしてますよ。追い払ったわけじゃないです」

 

 客がいないことに一応の言い訳はしつつ、彼女の方を向く。 


 「別に疑ったわけじゃないよ。広場で軽音部がライブをやるようでね。みんなそっちに向かっているんだよ」

 

 軽音部と言えばうちの高校でもかなりの人気部活だ。男女がバンドを組んでひとつの楽曲を奏でるというのはザ・青春という感じがして皆惹かれてしまう。

 実情は知らないけれど。

 

 「そうなんですか」

 

 「そうそう」

 

 「……………………」

 

 「……………………」

 

 短い相槌から長い沈黙。

 ただ二人の視線が交わり続ける。

 

 最初はその交わされたレールを逸らそうかと思ったが、彼女はこちらを見つめて離そうとしない。

 

 「…………えっと、部長は見に行かないんですか?ライブ」

 

 「私は音楽に詳しいわけではないからね。あの盛り上がりには一歩引いてしまうんだよ」


 「そうですね。あの空気は少し苦手かもしれないです」 


 空気。気体としての空気ではなく、みんながみんな日夜必死になって探しているあの『空気』のことだ。

 

 雰囲気と捉えれば語感は良いが、ノリと言い換えると知能指数は一段下がる。

 今はきっと『広場に集まって軽音部のライブを楽しもう』が正しいのだろう。

 

 いつの間にか許容することに慣れて自らがその奴隷になってしまっていることを僕たちは知らない。

 

 日本人に多い同調圧力というやつだ。

 正しくもないことをその場でだけは正しいものに変換できてしまう。

 多数決と同じ。 

 

 「部長のクラスでは何をしていたんですか?」

 

 「ああ。いつもの慣習では三年生は劇をやる予定だったんだけど一年生でも劇を希望するクラスがいてね。だから今年はとくに決まりはなく私たちのクラスはメイドカフェをしているんだ」 


 部長のメイド姿か。見てみたい気もする。


 「でもね二年生のクラスでもメイド姿の女子生徒を見かけたらしくて、少し話題になっていたんだよ。何でもすごく可愛らしい」

 

 「へ、へえ………………」

 

 「同じ学年で何か知らないかい?」 


 「僕は何も知りません。知っているのは知っていることだけです」

 

 多分それは僕じゃない。

 第一噂になっているのは可愛いメイド姿の女子生徒であって、女装した男子生徒ではない。僕はもちろん男だし、あの場には他にもメイド服の生徒がいた。僕じゃない。断じて、だ。

 

 「ふーん。まあ、深くは聞かないよ」

 

 「…………そうしてくれると嬉しいです」

 

 部長は実に楽しそうな笑みを浮かべる。

 手のひらで踊らされているような気分だ。


 「じゃ、そろそろ行くよ。さすがにクラスの出し物までサボっては琴音ちゃんにどやされてしまうからね」

 

 少しの沈黙のあと、部長が出口の方へと歩き出す。

 いつも見ていた先輩の背中がどうにも遠くに見えた。

 

 ここで彼女を見送ればその後、何事もなかったように振舞えるだろう。

 僕も彼女も。

 脳内の悪魔が囁いてくる。

 

 『きっと勘違いだ』『自意識過剰だって、ダサいぜ』『彼女を振ったって誰が喜ぶんだ?』

 

 「……………………」

 

 気づけば僕の視線は地に落ちていて、手足はおもりを付けたように鈍重だった。

 

 きっと部長は僕のことを好きなんだと思う。

 けれど直接は伝えられていない。

 そして僕の返事も決まっている。

 

 なのにわざわざ彼女の前に出て、言われてもいない告白の返事を言って聞かせて、誰が得をする。

 

 ここは何もしないのが得策だろ。常識的に考えて。

 

 「……………………常識、か」

 

 ふと浮かんだその言葉がひどく薄っぺらく思えた。

 実際薄っぺらいだろう、常識なんてものは。

 薄っぺらくて、中身がなくて、格好悪い。

 

 思春期の高校生が一番嫌いな言葉だ。

 

 だから少し抗ってみたくなった。思春期代表として。

 

 「部長!」

 

 それほど離れてもいない距離なのに、僕は大きな声で彼女を呼び止めた。

 そうでもしないと心の距離まで遠ざかってしまうと思ったからだ。

 

 「うん?なんだい副部長」


 彼女が振り返って僕の顔を見る。見た目だけで言えば清楚で可憐な少女。

 

 「部長の書いた小説、とっても面白かったです。今までの作品とは少し違ったテイストで。でもキャラクターが生き生きとしていました」

 

 部長の書く作品はいつだってハッピーエンドで大団円。どんな不幸な出来事も不安な心情も最後には解決していて、希望に満ちている。

 

 それはきっと部長がハッピーエンドが好きだからだ。自分の創ったキャラクターが不幸になるところは見たくない。そんな誰にでも優しい部長の性情が深く現れていると思う。

 

 「………………それは、良かったよ」

 

 部長は少し切なげな視線を向けた後、ゆっくりと微笑む。

 

 「でも、ラストの展開だけは納得できません」

 

 僕の言葉に部長は目を開く。

 

 三角関係に陥る三人の登場人物。けれど一般的に思い浮かべる三角関係の物語とは少し違った。

 

 「三角関係に気づくのは一人の女の子だけで、他の二人は全くそのことに気づいていない。そんなヒロインの重たい心情がとても儚げでした」

 

 気づいているのは一人だけ。

 そんな時、どうするのが正解なのだろうか。

 

 自分の恋を犠牲にして今までの関係を貫こうとするか、それとももう一人の女の子を蹴落としてでも自分の恋を実らせようと努力するのか。

 

 「でも、最後は何も想いを伝えずにこの物語は終わります」

 

 最後の最後まで女の子は何もしなかった。

 想いを伝えることも、恋を実らせることもしない。

 

 三角関係なんてものはなかったことになり、そのまま三人の関係は卒業と共になくなっていった。

 

 「これは普段の部長ならしない終わらせ方です。絶対に」

 

 「そうかな。私だって苦いエンドを描きたくなることだってあるさ」

 

 部長はいつもと同じ口調でおどけてみせる。

 何食わぬ顔をして、笑ってみせる。

 

 「かもしれません。でも、部長は違う」

 

 僕ははっきりとした口調で言い切る。

 迷いなんてものはない。

 

 「うるさいなぁ!副部長に私の何がわかるっていうの」

 

 強い語気で部長は言い返す。

 彼女に怒鳴られたのはこれが初めてだ。

 

 「わかりません。でも、部長の作品は全部読みましたし、そのどれにもこんな悲しい結末のものはありませんでした」

 

 「それが今回の小説の終わり方がおかしいって結論にはならないと思うけど。馬鹿なの?」

 

 わかってたけど、面と向かって言われると結構きついなぁ。

 あまりメンタルは強くないからいじめないでほしいんだけど。

 

 「部長。聞きたいことがあるんですけど」

 

 「なに」

 

 「ラブコメ漫画に登場するハーレム主人公についてどう思います?」

 

 「は?」

 

 部長の目が点になる。けれどすぐにこちらを睨み付けてこう言う。

 

 「どうも思わないけど」

 

 「そうですか。僕は尊敬します。なりたくはないですけど」

 

 これは根っからの本心だ。マジで。


 「結局何が言いたいわけ?」

 

 僕も実のところあまりよくわかってはいない。

 中身のある言葉ってのはそう簡単には出てこない。

 

 「僕が言いたいことはつまり…………部長は良い人すぎるってことです」

 

 「はあ?」

 

 部長の瞳がさらに大きく開かれる。


 「良い人すぎるってのも考えものです。僕は散々部長の無茶ぶりに応えてきましたがそのどれもが優しいものだったんだなと、ここ最近わかったんですよ。生意気な後輩のおかげで」

 

 「はあ?はあ!?」

 

 部長は目を白黒としてわけもわからず声を荒げていた。

 

 「私のどこが良い人だって?散々副部長をこき使って、部員にだって私のよくもわからない軍隊ごっこにつき合わせて!それのどこが!」

 

 「別に嫌々だったらみんなだって乗ってきませんよって。それは部員のみんなが部長のやることなすことが見たくて、付いていきたいからやってたことですよ」

 

 取り乱す部長に望は優しく言い聞かせる。

 誰だって自分のやりたくないことに乗ったりなんてしない。無理やりやらされたことには気分だって上がらない。

 

 けれど、自分の意思でついていきたいのならそれは楽しいのだ。『空気』に従ってのことじゃない。

 

 「部長は良い人で、だからみんなが付いていきたくなる。それだけのことです。部部長のおかげでこの部も変わっていったんですよ?」

 

 「あ……………………」

 

 空虚な声が彼女の口から漏れる。


 「ふふ…………あはははっ、あはははっははははは!」

 

 「え、突然なんですか。変なこと言いました?」 


 「ふふっ、あはははは!君は出会った時から変なやつだと思っていたが、これは予想以上だ!ふははは!」

 

 笑いだす部長に望は不思議そうな顔で見つめる。

 笑っているのかそれとも笑われているのかよくわからない。

 

 「はぁー、それで?君はそこまでして私に告白させて振りたかったのかい?」

  

 「ぶっ!?」 


 いきなりのカウンターに望は倒れる。 

 

 「違うのかい?」

 

 「いやそうともとれるというかそれに近いことは確かなんですが、改めて言うとすごく自意識過剰で恥ずかしいです…………はい」

 

 「良いんだ別に。私は君のそういうところに惚れたんだから」 

 

 「……………………急にどうしました?」

 

 「色々と吹っ切れたんだよ」

 

 女子って恐ろしい。

 

 「それで返事くらいはほしいな」

 

 上目づかいで問いかける部長は少しだけ色っぽくてなんか卑怯だ。

 

 「いや返事っていうか…………なんというか」

 

 「なんだい。はっきりしないな」

 

 煮え切らない望の態度に部長はむくれる。

 

 「これなんですけど」

 

 取り出したのは先ほどの部誌。

 

 「僕の小説のページを開いてください」


 「えっと、何々……………………」 


 表紙を開いて二十二ページ目に僕の小説は描かれている。

 

 「これは、随分と大した振り文句だね」

 

 そのタイトルを見て部長はにやりと笑った。

 

 「向いてるよ」

 

 「何がですか?」

 

 「ハーレム主人公」

 

 「全然嬉しくないんですが!?」

 

 


 タイトル『幼馴染の君へ』

 

 

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