第45話 京都観光

 

 「本当にすみません…………ほんとに」


 「何も言うな。しょうがない」

 

 項垂れながらも謝る凜に望は気まずそうに言った。

 二人を乗せたバスは市内を巡って、目的地へと向かう。

 

 升目上に伸びた道路は土地勘のない望にはどこに行っているのかまったくわからないほど複雑で、これは旅行客が迷うのも納得だ。

 

 「まさか文化祭前日に京都観光をするとは思わなかったけどな…………」

 

 窓の外で移り変わる景色を眺めながら望が呟く。

 凜の姉、美里の提案と言う名の独断で、凜と望は今日一日京都の観光をすることになった。案内役は凛。当の本人はお土産だけ注文してどこかへ行ってしまった。

 

 京都民に土産はいらないだろ、とツッコんだが本人曰く「旅土産じゃなくてデート土産だよ」と言われた。何を言ってるのかいっちょんわからん。

 

 「まあ、最悪今日中に帰れればいいんだし、気にしないでよ。いやまったく気にしないのも困るけど」


 「…………はい」 


 主な原因は姉のほうだ。中学の頃もこうした無茶ぶりをさせられたような気がする。今としては懐かしい。


 「本当にすみません…………いつもは計算もあるんですけど、今回は予想外というか」


 大きくため息を吐いて、凜が俯く。

 それよりも何かとても重要なことが聞こえた気がしたんだけど。  


 「え、いつもは計算してるんですか。橘さん」


 「私だけじゃなくて女の子はみんなそうですよ?知らないんですか?」

 

 「知らない方が良かったよ…………」


 二人を乗せたバスはやがて五条坂バス停に着き、そこで下車した。

 日差しは望の頭上に光り輝き、明るく照り付ける。

 

 「まあベタですが最初は清水寺から行きましょう。ベタですが」


 凜は少し先を歩き出すと、クルリと体を振り返って言った。 


 「二回も言った」

 

 「だいたい京都は定番は決まりきっていますからね。あまり何度も行かない方がいいですよ」

 

 「現地人にあるまじき発言だ!?」

 

 案外楽しいと思うんだけどなぁ。京都って普段見慣れない風景があるんだし。

 何年も住んでいると違った感慨を抱くものなのだろうか。こう、通にしかわからない場所を紹介したがるとか、観光客の共感を得られない穴場について教鞭を垂れるとか…………絶対嫌だわそんなやつ。

 

 「へえ、随分と急な坂だね」

 

 五条坂は道幅がそう広くないのに対して傾斜がかなり急だ。

 道の両脇にひしめき合って店々が展開されて、商店街のような景観になっている。

 

 辺りはすでに平日であるにも関わらず観光客に囲まれていて慌ただしい。丁度、横を外国人のツアーがガイドと共に通過していくのが見えた。

 

 「さっ、ちゃちゃっと行きましょう」

 

 凜の案内で人込みの中もするすると登っていき、あっという間に本堂の前に辿り着く。三重塔に見惚れる望を引き摺って、凜は進んでいった。

 

 「はい。ここが清水の舞台です。季節が微妙なので紅葉はありませんがこれで満足してください」


 坂を歩いてきて疲れたのか少し口端をとんがらせて凜が言う。 


 「十分すぎるくらい綺麗だよ。遠くの景色が澄んでいてこんなの地元じゃ見られない」

 

 思った以上に舞台は手前にせり出していて見下ろせばすぐ下が見えるほどだ。

 『清水の舞台から飛び降りる』という言葉はしばしば意味を誤解されがちだけれど、由来を鑑みれば複雑な心境になるのが正直なところだ。


 一種の願掛けとして、舞台から飛び降りた人の内八割は生存、残りの二割が死亡したという。個人個人それまでして叶えたい願いがあったのだと前向きに捉えればその行動は感心されるべきものだが、八十パーセントで起こる奇跡を願掛けとして行うのは愚直だ。

 

 もっと他にすることがあるはずだ。

 何か別のアプローチの仕方が。別の解決方法、別の願いを叶える方法が。 


 「ありがとう。今日は案内してくれて」

 

 改まって凜にお礼を言う。

 一人じゃここまでスムーズに来ることはできなかった。徒然草の一文を借りるならば『少しのことにも先達はあらまほしき事なり』だ。


 「…………………っ」

 

 望が言うと、凜はしばしば目を丸くする。 


 「さ、さっさと行きますよ。行き先はたくさんあるんですから!」

 

 照れ隠しなのか何なのか大股で先に本堂を下っていく凜を見て、頬を緩ませると彼女の後を付いていった。

 

 それからというもの、スケジュールは過密を極めた。

 一日で回るにはおかしい量の観光名所を巡っては、また別の場所に行く。

 身体的疲労の前では歴史価値のあるお堂も何の感慨も抱かなくなってくるのだが、一週回ってそれが面白くなってきた。

  

 「先輩先輩、あれ食べましょうよ!」

 

 「また抹茶ソフトクリーム……………」

 

 凜が指さすのは駅前にあるソフトクリームのお店。

 暖簾には大きな文字で『抹茶ソフト!!!』と書かれており、ゆらゆらと揺れるたび、涼しさを求めた観光客をかたっぱしから吸い込んでいる。

 

 「もう抹茶関連の物は食べつくしたよ。口の中から茶葉出てきそう……………」

 

 望はあからさまに嫌そうな返事をする。それもそのはず、頭に『抹茶』のつく商品は大抵の名所にセットで置いてあるのだ。

 抹茶ソフト、抹茶ティラミス、ずんだもち、抹茶アイスetc.

 

 「じゃあ、先輩がバニラで私が抹茶でいいですね?」 

 

 凜は笑いながら望の手を取って列へと並ぶ。

 どんだけ抹茶好きなんだ京都民は。

 

 「美味しいですか先輩?」

 

 「いや、美味しいよ?でもさすがに胃がもたれる」

 

 胃袋のライフはもうゼロだ。

 これではソフトクリームになってくれた牛乳たちに申し訳が立たない。

 

 「じゃあ食べ終わったら、すこし歩きましょうか」

 

 別に運動が足りていないわけではないんですが……………。

 

 喉元まで出かけた文句をすっかり溶けてしまったソフトクリームと一緒に飲み込むと、僕は凜についていく。行き先は聞かなかった。場所の検討はまったくつかないけれど、何をするかはわかっていたから。

 

 凜は今まで使っていた市内バスには乗らずにそのまま住宅街の間を進む。

 段々と観光地の多い場所から少しずつ遠ざかっていった。

 

 「え、ここ?」

 

 前を歩いていた凜が立ち止まり望が視線を上げるとそこには長い階段が伸びていた。

 

 「登りますよ」

 

 凜は短くそう言うと、望を待たずにすいすい上がっていく。

 ぼーっとしているとすぐに凜の姿は小さくなっていく。


 二人が登る石段はかなり古いのか所々にひびがはいっていて、その隙間からは植物が顔を出していた。後からつけられたであろう手摺もかなり年季があって、耐久力には期待できない。

 

 「ふう……………」

 

 数分もしないうちに登頂に辿り着くとそこは何もない地面が広がっていた。

 本当に何もない。

 展望台と言えば聞こえはいいが、人気のあるスポットには見えなかった。

 

 「ここ、私がよく来てたんですよ」


 凜が懐かしそうに口を開く。横を向くと彼女が隣に近寄ってきた。

 

 「景色も良くないし、人もほとんどこない。この場所知ってるの私だけなんじゃないかってくらいです」

 

 確かにここは何もない。

 眼下に広がるのは京都の街並み。ただそれだけ。

 けれど、凛の瞳に映るその風景はどこか違って見えた。

 

 「…………………………」

 

 静寂が訪れる。

 二人とも何か察したように何も言わない。

 風も鳥の音もないこの空間にはただただ雲が流れていくだけだ。

 

 言い出すなら僕からだろう。

 そう決心して望は口を開いた。

 

 「り、凛。話があるん―――――」

 






 「先輩好きです。付き合ってください」

 

 

 

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