第42話 乙女の会
1
「お久しぶりです理津先輩。わざわざ先輩から誘ってくれるなんて嬉しいです」
学校から少し離れたカフェテリア。
そこには二人の乙女が座っていた。
「それで?今日はどんな用ですか?」
凜は両手を組んでテーブルの上に乗せる。
店内は静寂に満ちている。
「…………知らなかった、元々転校生じゃないなんて」
理津が口を開く。
表情だけで見れば普段の彼女と何ら変わりないのだが、小さな動作や瞳の動かし方は周囲を巻き込んで、緊張感のあるものにしている。
「そりゃ言ってませんからね。そうなるように学校にも頼みましたし」
「…………………」
「どちらかと言えば交換留学に近いです。もっとも一方的に私が押し掛けた形ですが。まああまり気にしないでください」
そんなことが果たして可能なのか理津にはわからなかったが、確かに今知りたい事実はそれではない。
「文化祭準備、忙しいんじゃないですか?理津先輩はクラスの実行委員なんでしょ」
凜の言い方はかなり乱暴で理津を煽り立てる。
けれど理津には、稚拙でとても大きな焦りと嫉妬をぶつけられているように見えた。
「その様子だと望先輩にも伝えてないようですし、今頃困ってますよ。先輩」
「大丈夫。望なら」
「随分と信頼してますね。正直そういう感情には縁がないので、羨ましいです」
凜は、アイスコーヒーを口に含んで、香りが鼻を抜ける前に飲み込んだ。
苦い。
普段なら絶対に飲まない。
けれど、少しでも今は背伸びをしたかった。
「でもそれって、依存しているんじゃないですか?」
「…………………」
理津はただ表情を変えずに凜を見つめる。
「理津先輩もですけど、望先輩も相当なものです。自己の責任で部活やめて、その時間全部先輩にあげるとか、何考えてるんだって話です」
凜は視線を下げて、テーブルに置かれたグラスを見つめていた。
既に氷だけになったグラスが、からんと音を立てる。
「……………」
理津は何もしゃべらない。
けれど、何にも動じず表情は変わらない。
ただただ凜を見つめる。
「はっきり言って、ちょっと気味が悪いですよ。歪んでます」
理津先輩が望先輩に再開するまで、どれだけの年月があっただろう。
1年?2年?違う。
それだけの時間があって、一人の相手を好きでいられるのはおかしい。
「…………………」
「だんまりされると困るんですよねぇ。先輩をいじめたいわけじゃないですし、望先輩にも嫌われたくないので」
「……………」
凜の揺さぶりにも何も言葉を発さない理津。
少しの間があって、息を吐くと凜は席を立ちあがった。
「はあ…………じゃ、お話も終わったようなので、私は行きますね」
「…………………電話」
出口の方に向かって、彼女の横を通り過ぎようとした時、ぼそりと呟く。
「はい?」
凜の態度は変わらない。依然として仰々しく、不遜な態度。
けれど、理津はテーブルから一歩足を出して、乗り出す。
「私の誘いには来て、望の電話には出ないってことは何か出たくない理由がある。それは何」
先輩の顔が少しだけ近づく。
その目。
これだけ嫌な役を買って出てるのにまったく嫌いになってくれないその瞳が私は苦手だ。
「先輩…………………試しました?」
凜がにやりと口端を上げて笑う。
質問には答えない。
「私がここに来た時点で先輩の勝ちだったんですね」
私の挑発に乗らないのも、感情を露わにしないのも、全部が全部最初からわかっていたから。
受け答えをする必要もない。
ただ、彼女はそこで私が来るのを待っていただけだった。
「今日の五時半。それが私の乗る新幹線の時間です」
「お返しですよ。次は私が先輩を試す番です」
2
文化祭まであと二日。
今日も今日とて仕事に励む。
「望ー、ちょっと手伝ってくれよー」
「お、おう」
辰海と挟み込むようにして長机の前に立つ。
どうやらこれを教室の後方に移動したいらしい。
「行くぞー、せーのっ―――――痛っ!!!!!!!」
辰海が思い切り持ち上げるも反対側が上がっておらず、支えきれなくなった机がすごい勢いで辰海の足に落下した。
「ああああああああああああ!!!!!!!!」
「あ、悪ぃ」
望が見ると地面でのたうち回る辰海の姿があった。
「まじでどうしたんだよ望。最近ほんとにおかしいぞ」
赤くなった足をさすりながら辰海が心配そうに言う。その足の方が心配だけどな。
「いや別に」
「ほんとか?本当の本当にか?」
「だから―――――」
一度逸らそうとした視線を戻すと辰海が真剣な瞳でこちらを見ている。
たぶん、ここで「大丈夫だって」とはぐらかすことだって可能なのだ。
そうやって親友を巻き込みたくないという大義名分を勝手に背負って、突き放すこともできる。
けれどそれはきっと逃げている。
自分の内面を見せたくないから、気恥ずかしいから、幻滅されたくないから、怖いから―――――関係を崩したくないから。
それでいいのか?そんなんで本当に納得できるのか?
変わろうとしている彼女が。そんな彼女を見ている僕が。
「困ってる。だから相談に乗ってほしい」
「おう、まかせろ!」
僕の言葉に親友は即答した。
「それで?何があったんだよ」
「えっと…………」
どこから話すべきかと望は逡巡する。
ここで一番尾を引いているのは、望の過去の話だ。
陸上部と理津を天秤にかけてしまった望にとって橘凜との再会は一種のアンチテーゼに映った。
過去の自分を断罪するような存在。あの時の自分にはもっと良い立ち回り方があったのではないか、もっと良い解決方法があったのではないか、陸上部と彼女を両方何とかする方法があったんじゃないかと思わせられた。
当時彼女との関わりはそこまで多いものではなかったし、あくまで一人の部員の妹というポジションで、会話もない。
しかしそれが陸上部と理津を再び巡り合わせることになってしまった。
今いる橘凜は、かつて陸上部員であった「橘美里」の「妹」であることと部活の後輩であることの二面性を持っている。
それは許らせざることだ。
片方を捨て、片方を拾った望はそれを許容できない。
「―――――という感じで」
今までの一連の流れを望は包み隠さずに告白した。
言い淀む場面も多かったが、辰海はそれを何も言わずに聞いていた。
「うーん……俺にはわかんねえんだけどさ。何でわざわざ深く考えるんだ?」
本当に話を聞いていたのか聞き返したくなるほど、けろっとした様子で辰海は答える。
「深く?」
「もっと頭いいぶって話すとだな、なんで望は感情の話をしてるのに理屈の話ばかりしてるのかってことだよ」
辰海はどこか遠くを見つめたままそう言った。
「理屈だったり理論を立てるのは良いけど、今大事なのはそこじゃねえだろ?誰かに説明するでもない話をわざわざ遠回りしているっつーか、えーと…………なんか俺もわからなくなってきたわ」
と、途中まで言ったところ辰海は頭を掻いて上を見つめる。
「…………いや、すげえよ。辰海は」
びっくりするほど腑に落ちた。
気づけば胸のあたりでつかえていた気持ちはなくなっていた。
「そうか?なら良かったけど」
ぴろん
と、望のスマホが鳴る。確認すると理津からだった。
『凜のことで話がある』
今まで何の連絡もなかった理津からの突然のLINE。
言いたいことはたくさんある。けれど、それよりも書かれている内容のことが気になった。
「先帰るわ」
丁度鳴った終業のチャイムと同時に望はカバンだけ持って走り出した。
「ちょ、まだHR終わってないぞ!?」
「サボりだって先生に伝えといてくれ!」
状況が分からず困惑する辰海には望が言う。
クラスにはまだ文化祭準備でいない生徒もいてまばらだ。廊下の方が人が多い。
そんな人通りをかき分けて、望は去っていった。
「そんな堂々としたサボりがあるかよ…………」
辰海は一人、親友の姿を見送って呟いた。
「もしもし、理津?」
昇降口までの道のり、望は理津に電話をかける。
2コールも経たないうちに彼女と繋がった。
「望、今日休んでごめん。みんなにも迷惑かけた」
「ああ、うん。大丈夫。元々進みが良かったし、谷口君が頑張ってたから」
今日の彼の働きは間違いなくMVPだ。難しい作業があったわけではないが、業者との最終チェックがかなり残っていたためそこに専念していた。
「それで?凜のことは?」
望が気になっていたのはそこだ。
ずっと気がかりで、心残りだった。
「今、送った時間」
「時間?」
突然の言葉に望は首を傾げる。直後スマホが通知を知らせる。
理津が送ってきたのは新幹線の時間だった。
「その時間に彼女が帰ってしまう。だから行って」
「帰る!?まだいるってこと?」
望はてっきり彼女がこの街を離れているものだと思っていた。
それが今日?
「うん。まだ間に合う。だから」
と続ける彼女の言葉を遮って望は問いかける。
「でも、なんで教えてくれたの?」
望は橘凜との関係を理津に話したことはない。
今後その予定があるかもわからない。打ち明けることが理津のためになるのか、ただ自分が逃げているだけなのかその答え合わせをするには今の自分は弱すぎる。
理津は二・三度小さく呼吸すると語気を強めて言った。
「依存じゃないって証明するため」
望は何のことだがわからなかった。
けれど、告げる彼女の言葉には強い意志が籠っていて思わず望は足を止めた。
「え?」
「私たちの関係をそんな薄い言葉にしないため…………だから」
そこで理津の言葉は止まった。
けれど望は耳を傾け続ける。
「…………………望」
「なに?」
「…………………愛してる」
彼女が耳元で言ったその言葉が何より心に響いてきて。煩く鳴る心臓の音に周りの音は聞こえない。
望はうんと頷いて電話を切った。
そして、走り出した。
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