第38話 妹と買い物に行く。

 

 「お兄ちゃん。買い物付き合ってー」

 

 「何か買いたいものでもあんの?」

 

 今日は休日。

 金曜日には放課後から自由になった気持ちで、ついはしゃぎたくなるけれど、土曜・日曜と段々週明けが近づくにつれて、憂鬱になり始めるのが学生の常である。

 

 「ちょっと今履いてるシューズがダメになっちゃって。だから、お兄ちゃんに選ぶの手伝ってほしいんだけど。だめかな?」

 

 「んーや、全然オッケイ。特に用事もないしさ。いつもどこで買ってるっけ?」

 

 「いつもは駅前のショップなんだけど、今回は別のところも見てみたい」 

 

 「ふーん。わかった」

 

 まるでいつも通りの会話の流れで進んでいるが、思えば、こうやって妹に買い物に付き合わされるというシチュエーションは久しぶりだ。

 

 妹自身もいつもならば母親と買いに行くだろう。

 

 「まあ、お兄ちゃんがとっておきのを選んでやるよ」

 

 母は別に陸上に対して詳しいわけではない。

 だからその点を加味して言えば、妹にたかが数年かじっていた程度の兄の知識が必要なわけがないのだ。

 

 自立している。

 望は妹である楓のことを、そう評価する。

 

 少しの間離れていた兄妹は、すっかり支え合うことのない仲になっている。

 

 「ふふっ、なにそれ。じゃあ、明日ね!」

 

 けれど、たまには兄妹の仲を深めても許されるだろう。

 

 

 天気は晴れ。

 快晴の空。

 絶好の買い物日和となった。

 

 「お兄ちゃーん!早く来ないと置いてっちゃうよー!」

 

 「そんな早く行ってもどこの店も開いてないって」

 

 今日は珍しく朝楓に起こされた。 

 休日だというのに家の誰よりも早く起きた楓は、午前中の内に望と一緒に家を出る。

 

 まず向かうのは駅だ。

 普段なら駅の周りにあるショッピングモール内で完結するのだが、今日は違う。

 

 二人は三十分ほど電車に揺られ、目的地である隣町に到着した。

 

 別にシューズを買うならどこでも変わらないだろ、と思われるかもしれないが案外そうでもない。通勤・通学だけなら何の問題もない靴でも走るとなると違ってくる。

 人によっては足のサイズに特徴があるし、横幅と縦幅のちょうどいいものは意外と見つからないものなのだ。

 

 一件目に入ったのは、駅から出てすぐに見えたスポーツ量販店。

 陸上競技のスペースには壁一面に並べられたシューズが横を向いて新しい買い手を待っている。

 

 「うーん、やっぱ女子ってピンクが良いの?」 

 

 「いや、全然違うよ。ピンクの靴が喜ばれるのは低学年までだよ」

 

 「あ、そなの」

 

 望はそのかけられたシューズを手にとっては良さそうなのを見繕う。

 ピンクはお気に召さないみたいだ。

 小学校の頃は女子はみんなピンクか赤の靴を履いているイメージだった。

 おまけにマジックテープのやつ。


 「楓、足のサイズは?」


 「二十四。最近少し大きくなった」

  

 「ほーん、成長期なのかなぁ。背も大きくなったし」

 

 「それ、セクハラだよ」

 

 「え、マジ?」

 

 最近のセクシャルハラスメントって、ここまで厳しいの?「君は安産型だな」って言ったわけじゃないのに。理津にセクハラだと思われたらどうしよ。

 


 それから何件かお店をはしごして、楓はお気に入りのシューズを購入した。

 薄紫色の靴だった。あんまピンクと変わらねえじゃねえか。

 

 「少し腹減ったなぁ。なにが食べたい?」

 

 「マック!!」

 

 楓は勢いよく手を挙げて、宣言する。

 

 「またベタなのを…………まいっか、近いし」


 大抵の駅前にはマックがあるだろう。案の定、スマホで検索するとすぐに見つかった。

 

 「何頼むか決まったか?」

 

 「うーん………お兄ちゃんは何にするの?」

 

 楓は店内にあるメニュー表と睨めっこしながら、どうにも決めかねてる。

 

 「ダブチのセットかな。うまいし」

 

 大抵こういった外食(というほどでもないが)で最後まで悩むのは楓だ。

 望や母はある程度決まった物しか頼まない。別に冒険しないわけではないが、チェーン店や決まった店となると、どうしても安パイに走ってしまう。

 

 「じゃあ、決めた!私も同じにする」

 

 「りょーかい。頼んでくるから席とっておいてくれ」 

  

 楓に伝えて、望は列に並ぶ。

 お昼頃のためかなり混んでいたが、店内はそうでもないようだ。

 

 ついでに妹にアイスクリームでも買ってやろうかと考えていたが、「そんなに食べれない!」と怒られるだろうか。

 その時は自分が食べれないい。よし、買おう。

 

 と、決心した時だった。

 

 「ありゃりゃ、先輩じゃないですか」

 

 店員さんが知り合いだった――――わけではなく、普通に後ろから声をかけられた。

 

 「奇遇ですね。こんなところで偶然会うなんて」


 そう言って、彼女――――橘凜はこちらに近づいてくる。 

 リボンをあしらった白いブラウスにチェックのフレアスカート。彼女の完全な私服姿を見るのは、これが初めてだった。


 「お、おう。それよりちょっといいか?」

 

 「はい、なんです?」

 

 「いま注文してるから、少し待っててくれない?」

 

 「はいどうぞ。ついでにアップルパイも買ってくれると嬉しいです」

 

 「……………へいへい」

 

 満面の笑みでがめついことを言ってくる凜に呆れながら望はアップルパイを追加した。


 「…………だれ、それ」

 

 第一声に妹が言ったセリフがこれだ。

 まるで値踏みをするような視線で凜を見ると、こんどは僕に目で合図する。

 『説明して』

 

 「偶然そこで会ってさ。良かったら一緒に食べないかってなったんだけど…………だめかな?」

 

 望は腰を低く妹に頼みこむ。そしてなぜだかこの状況で未だ一言も喋らず黙っている凜に文句を言いたい。

 

 「ま、いいけど」

 

 「うん、ありがとう」

 

 望は楓の横に座る。元々四人席を取ってくれてたのが幸いした。

 凜は笑顔のまま望の前に座ると、やっと口を開く。


 「初めましてー、同じ高校の後輩の橘凛って言います。よろしくお願いしますね楓ちゃん」

 

 「は、はあ」

 

 明らかに楓は不機嫌そうにぼそりと喋る。

 

 「先輩もこんな可愛い妹さんがいるなら言ってくださいよー」

 

 「いや、言ってどうするの」

 

 隣からの圧迫がすごいせいか、望のコメントもたどたどしいものになってしまう。

 普段ならたとえ同級生と遭遇しても態度を変えるようなタイプではないのだが、今日の楓は少しおかしい。

 

 「楓ちゃんは何の部活に入ってるんですか?」

 

 「………………バスケ部」

 

 「陸上部だろ。なんで嘘つく」

 

 「…………陸上部です」

 

 「そうなんですかぁ。兄妹仲良くいいですね」

 

 凜はこの空気にも表情を崩さず、笑っている。


 「じゃ、私はこの辺りで失礼しますね。兄妹の大事な休日を邪魔したくないので」

 

 凜はそう言って立ち上がると、颯爽と去っていった。

 アップルパイはいつの間にか食べ終えていたようだ。

 

 「お兄ちゃん、説明」

 

 楓の強い言葉が望を撃つ。

 

 「ああ、最近うちの高校に転校してきてさ。文芸部に入ってるんだよ」

 

 「ふーん」

 

 何か考えた風な間が空いたのち、思いついたように楓は言った。


 「あのさ、お兄ちゃん」

 

 「なんだ?」

 

 「もしかたら、言っちゃいけないかもしれないんだけど」

 

 「なんだよ、もったいぶって」


 楓にしては変に喋るのをためらっているように感じた。

 何か言いたいことがあるのならはっきりと言ってほしい。 


 少し逡巡したのち、楓はこういった。


 「橘って名字の人、お兄ちゃんが陸上部だった時にもいたよね。たしか」

 








 「―――――――――え?」

 

 店内の賑わいが止まる。

 望の心臓は妙な鼓動を刻んでいた。

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