第37話 私だけのラスト
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「クラスの出し物は粗方余裕があるし、部活の方に行ってきてもいいぞ」
「そう言われてもなぁ。別に文芸部って集団でやる作業とかないし…………」
望は困ったように答えた。
二年二組の出し物である「喫茶店」は、今のところほぼほぼ順調に進んでいた。
業者との取引はどうやっても時間のかかるものも多いため、部活動の出し物がある人はそちらを優先することになった。
「いいから行くだけ行っておけって、誰もいなかったら戻ってくればいいから。俺もサッカー部の方に行かないとだし」
「じゃあ、わかった」
望は悩んだ末に頷いて、とりあえず図書室に向かうことにした。
ひとたび廊下に出ると、校内のあちらこちらに文化祭の香りが漂ってくる。
散乱した段ボールに鼻腔をつんと刺激するペンキの匂い。中庭では軽音部がリハーサルを行っている。
みんな文化祭が楽しみで仕方ないのだ。
当日には一般の客も多く訪れる文化祭は、毎年市内でも人気が高い。
中でも飲食店や売店の類はかなりの売り上げを叩きだすクラスもあり、チェーン店の業者とやり取りする本格派クラスもあるほどだ。
「失礼しまーす」
それらの空気から少し外れた図書室は、周りの音があまり入ってこない静かな空間だった。
「あ…………」
視線の先、窓際で佇む一人の少女。
パソコンを打ち込むその音は一定の間隔で奏でていて、差し込む陽の光が彼女にスポットライトを当てていた。
「部長、いたんですね」
「ああ、副部長か。こんな時間に来るなんて珍しい」
部長―――夜桜真夜は付けていた眼鏡を外して、顔をこちらに向ける。
こうして見ると、清廉で可憐な少女にしか見えないから怖い。
「クラスの出し物が順調なので、部活の方の様子を見て来いと言われまして…………といっても、やることないですよね」
「いや、そうでもないぞ」
「そうですか?」
望は彼女の言葉に首を傾げる。
何かやることなんてあっただろうか。思い当たらない。
「私とお話するという大事な役目がある」
自信満々に言う部長。
「それ、いつもとあまり変わりませんね」
望はそう言って、はにかんだ。
それだけは何も変わらない。望が文芸部に入ってからずっと。
「文化祭用の小説を書いていたんですか?パソコン使って」
部長の書く小説を読んだことはあるが、それを創作している姿はあまり見たことがない。いつもであれば、一か月前には完成しているイメージだ。
「今回の小説は少し難航していてね。だからこうやって合間を使ってるんだよ。ちなみに琴音ちゃんには内緒だよ?」
「またサボってるんですか…………怒られますよ」
うちの部活にはサボり魔しかいないのか。
相川先輩、今頃探してるんだろうなぁ。
「それ、見てもいいですか?」
望は視線をパソコンに向ける。
部長がどうやって小説を書いているのかは前々から興味があった。
「ダメだ」
「………………即答ですか」
こうも綺麗に断られては少し傷つく。
しかし、部長は矢継ぎ早に話す。
「いや、というのも完成していないものは人に見せないようにしているんだよ。まだラストが決まってなくてさ」
「そうなんですか。少し残念ですが、当日楽しみにしています」
「ああ、そうしてくれると嬉しいね」
部長はそう言って優しく微笑む。
こういった何気ない動作にドキッとさせられてしまうのは、少し癪だ。
いつもはふざけてばかりだし、相川先輩にも怒られてばかりな部長が、ふとした瞬間魅力的にも見えてくる。
「ちなみに今回の小説のジャンルは何なんですか?それくらいは教えてくれたっていいと思いますけど。恋愛ものですか?」
「副部長には特別に教えてあげよう。今回は少し趣向を凝らしているんだよ…………まあ、恋愛小説であることにはあるんだけどね」
「ほお」
「いつもは登場人物の多い純愛を描くことが多いけど、今回は違う。たまには人数を絞った三角関係ものを書いてみようと思う」
部長の書く小説のほとんどは、主人公とヒロインが最終的には結ばれるラブロマンスだ。周りで活躍する脇役が登場することはあったが、そのどれもが主人公と恋愛関係になることはない。
「それは気になりますね。でも、ラストが決まらないというのは…………?」
三角関係などの男女間の恋愛を題材にした作品のラストとは、一体どういう状況を指すのか。やはり思い当たるのは主人公がどちらのヒロインと結ばれるか、だろう。
どちらかが選ばれて、どちらかが選ばれない。
その事実だけに焦点を当てるのならば、あまりにも選ばれなかったほうが悲しい。世に出た作品で考えるのならその選ばれなかったもう一人のヒロインをどう扱うかによって、ラストの印象は大きく変わるだろう。
「それは読んでからのお楽しみ、というやつだよ。副部長」
部長はそう言って、望にウインクする。
少しぎこちない仕草が、妙に可愛らしかった。
「…………………それにしても、図書室はいつだって静かだね」
「そうですね」
部長は話を変えて、視線を窓の外へと向ける。
そこからは微かに生徒たちの喧騒と楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
逆に図書室には望と部長しかいない。
授業中に勝手に抜け出して来たような高揚感と、どこか世界から外れているような寂しさがあった。
「先輩たちが引退したら、ちゃんと企画しますよ。三年生を送る会」
「なんだい急に」
僕の言葉に先輩が聞き返す。
「いや、僕って中学の頃とかあまり良いお別れってできたことがなくて。だから、お世話になった人にはきちんと挨拶したいというか……………」
望はそこで言い淀んだ後、逸らしていた顔を真っ直ぐ向けて言った。
「先輩のこと忘れたくないので」
それが望の心からの素直な気持ちだった。
今までろくな別れを経験したことがなかった。
だからこそ、今までが無理だったからこそ今ある関わりをそう簡単に手放したくないのだ。
「…………………」
沈黙。先輩は何も言わない。
ただ、目を丸くして、こちらを見ていた。
「…………………いじわるだな、君は」
「え?」
「いや、なんでもない。そろそろ行くよ。琴音ちゃんに怒られそうだからね」
「今行っても怒られると思いますけど」
「はっはっは、確かに。でも、そうだね。小説のラスト、決まったよ」
「え、ほんとですか?」
「ああ、完璧だ。楽しみにしていてくれ」
僕が聞き返すと先輩は一言決めて、振り返らずに図書室を後にした。
二人だけだった空間に望一人になる。
心はやけに晴れやかだった。
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