第30話 本番⑤


「ゴールうううううう!二年生学年対抗リレーは二組の勝利ですっ!!!!!!」

 

 望がゴールテープを切ったその瞬間、歓声が爆発する。

 音はやがて黄色い渦となって、雨のように落ちてくる。


 「はあ、はあ、はあ……………………」

 

 望は息をきらしながらも辺りの情景を一周して見渡す。

 ずっと、僕が見ようとしなかった景色だ。

 

 「やったな!望!やっぱお前速いわ!」

 

 辰海が興奮した様子で望に飛び掛かってくる。

 

 「あ、ありがとう」

 

 「ほんとすごいな!」「びっくりしたわ、あんな速かったんだな!」「すごかった…………」「最初から言えよー、直前までめっちゃビビってたわ」「でも、ありがとう!」

 

 クラスメイト達が次々と望を取り囲んでくる。

 

 「う、うん。ほんとありがとう」


なんとも言えない気恥しさとクラスメイトに認められたような安心感で背中の辺りがムズムズする。


「あ…………………理津」

 

 思い出したかのように望が呟く。

 

 「理津に言わないと。言いたいことがあるんだ」

 

 彼女に出会ってから一度も言えなかった言葉。今な言える気がする。

 と、望が理津のいる方を振り返った瞬間。

 


 「きゃあああああああああ!!!!!!!!!!!」

 

 

 誰かの叫び声がグラウンド中に響いた。

 恐怖が連鎖する。


 その悲鳴はどうやら応援席近くのテントから聞こえているようで、周囲の視線がそのテントに集まった。


 「理津!」

 

 望は叫んだ。


 応援席のテントから、ガタン!という大きな音が出て、段々とその角度が傾いてきている。


 このままではすぐ下にいる理津に当たってしまう。

 すぐ助けに行かなければならないのに自分も巻き込まれてしまうという心配のせいで誰も彼女を救いに行けない。

 

 だけど――――――

 

 「理津!」

 

 ただ一人、望は走り出した。


 (僕の足が速くなったのは自分のためじゃない!)

 

 地を蹴り、腕を振って、望は走る。


 (今度こそ、好きな女の子を救うためだ!!)

 

 直後、耐えられなくなったテントが大きな音を立てて崩れ落ちる。

 

 どこかで悲鳴が上がった。

 

 「…………………望?」

 

 衝撃に目をしばたたせながら、理津が言う。

 

 「はあ、はあ、はあ…………今度こそ守れた」

 

 腕の中にいる彼女の感触を確かめるように望は一層力を込めて抱きしめた。

 

 「……………………痛い」

 

 「良かった。本当に…………良かった!」

 

 理津は苦しそうに望の背中をぽんぽんと叩く。

 けれど、望はひたすらに抱きしめた。


 これじゃあ、どっちが大人か、と聞かれれば多くの人が彼女の方を選ぶに違いない。 


 「…………………ごめん、理津。本当は最初に言っておくべきだったのに。ずっと、謝りたかったのに」

 

 「……………………ん」

 

 ずっと言えなかった言葉。自分で勝手に判断して言わなかった言葉。

 

 「理津…………好きだよ」

 

 僕はやっと言えた。

 

 「だから…………責任がとりたい」

 

 「……………………ん」

 

 彼女はこんな場面であっても、無口で無表情。

 全然何考えてるかなんてわからない。

 

 けれど、この時の彼女はちょっとだけ。

 

 照れているような気がした。

 

 

2


「まさか、負けるとはね………」


「…………ん」


帰り道。

僕と理律は一緒に帰っていた。


全身クタクタ、理律は理律で体育祭の準備を手伝っていたために疲れ切っている。


「あれは沙也加も素直に喜んでいいか困ってたよね」

 

 二年生の学年対抗リレーでは二組の勝利もあってか、あのまま行けば問題なく紅組が総合優勝できる点差であった。


しかし、体育祭最後の種目3年生による学年対抗リレーで赤組のクラスが軒並み負けるというある種の放送事故によって、赤組の敗北が決定した。


「まあ、誰も攻められないしね。来年頑張りたいなぁ」

 

 そう呟く望の瞳には、安堵の気持ちが浮かんでいた。

 体育祭なんてあまり興味のない、楽しくないものだとばかりに思っていた。

 

 けれど、見方を変えれば見えてくるものも百八十度変わってくる。

 

 「……………………(ぶんぶん)」

 

 「え?まだ一年あるのに、張り切りすぎだって?確かに」


 そう言って二人は笑う。


 「……………………望」


 「うん?」

 

 「……………………さっきの、やつ」

  

 理津は道の途中で立ち止まると、望の裾を掴みこちらを見る。


 「さっきのやつ?」


 「……………………」 


 僕が首を傾げると彼女は顔を赤くして上げていた顔を伏せる。

 

 「理津…………?」

 

 いつもならしない挙動に望はますます困った。

 その間も理津は気まずそうにして中々目を合わせてくれない。


 「……………………責任、とってくれるの?」 


 「え、あ、それは…………」

 

 こちらを見つめる彼女の瞳はまるで水晶みたいに輝いていて、傾いた陽の光を反射しているようだった。

 

 「う、うん。本当だよ。嘘じゃない」

 

 望は理津の方に向き直して、言う。

 まるで告白のセリフだった。


 「……………………ん」

 

 理津の頬が緩み、向日葵のような笑顔が望に向けられる。

 小さい頃から変わらない。望の大好きな笑顔。

 

 「じゃあ、あげるね?」

 

 「…………………………………………ん?」

 

 聞きなれない言葉に望は固まる。


 「あげるって、何を?」

 

 「……………………?」

 

 僕の質問に今度は理津が固まる。

 

 「……………………私の」

 

 「私の?」 

 

 「……………………初めてを」

 

 「はじ……………………え、は!?え?そういう意味!?」

 

 「違うの?」

 

 「いや、確かに言ったけど…………いや、確かに言ったけど!!!!」

 

 改めて冷静になって考えてみると、『責任をとりたい』って、字面だけでいったらとんでもないことを言ってるな僕。


 そりゃあ、本心から出て言葉だけれど、何というかその場の勢いも確かにあったというか…………。

 

 「えと、そういうんじゃなくて…………いや、違うな」

 

 「……………………?」

 

 ばちん!

 

 望が自分の両頬を思い切り叩く。

 

 「ごめん。勘違いさせて。僕が言った責任はその理津を運動のできない体にしちゃったって意味で…………でも、絶対に迎えに行くから。それまで待っててほしい」

 

 僕は理津の手を取って、そっと囁く。

 自分の顔が熱いのを感じる。日に当てられたせい、だけじゃない。


 「それじゃあだめ、かな?」

 

 「……………………うん。待ってる」

 

 僕の言葉に理津は頷いた。

 

 「でも、それだけじゃ待てない」

 

 「え!?」

 

 そう言って、彼女は目を瞑る。

 

 「望のほうから、して」

 

 「ええ…………でも」

 

 「……………………」


 『男を見せろ!望!ここで彼女の方からさせたら彼氏失格だぞ!』

 望の脳内がそう煩く叫んでいる。

 

 理津の肩を優しくつかむ。

 望の心臓は走っている時以上にバクバクしてて、理津に聞こえるんじゃないかと心配になる。


 「……………………ちゅ」

 

 お互いの唇と唇が優しく触れ合って、離れる。

 

 「…………望。待ってる」


 彼女の体温が、彼女の声が、ずっと頭の中に残っている。

 望は当分、熟睡できる気がしなかった。

 

 

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