第29話 本番④

 

 「や、やっぱ、走れな………い」

 

 心臓がばくんばくんいって、呼吸がおかしくなる。

 

 (僕はもう部活をやめたはずなんだ。みんなを裏切って、止めたはずなんだ 

 だからもう走っちゃいけない、走っちゃ…………)

 

 僕が走ればそれは理津を裏切ることで、罪人の僕は理津以外を選ぶことは許されてない。だから僕は苦しまないと、泣くほど悲しくないといけない。

 

 でも。

 

 「あ…………」

 

 いつの間にか、僕はグラウンドに独りになっていた。

 風が勢いよく前から吹き荒れて、望の前髪を揺らす。


 「僕は何しにいるんだっけ…………」

 

 手の感覚がなくなって、段々と冷たくなる。

 耳鳴りがし出して、頭の奥にあの日のサイレンが聞こえてくるんだ。

 

 茨が僕をその日に縛り止めてきて、動くたびに棘が皮膚に食い込んでくる。

 「逃げるなよ」って、お前はあの日から何も変わらない。変わることは許されていないんだって。

 

 だからやっぱり、僕は…………。 


 「なーに、やってんのよ馬鹿望!」

 

 バチンと大きな音が僕の背中に響く。

 

 「…………………沙也加」

 

 「酷い顔してるわよ。アンカーがそんなんじゃ勝てる試合も勝てないって―――私、敵チームに何言ってんだろ」

  

 沙也加は一度逡巡したが、すぐに望の方を向き直した。


 「まあとにかく、頑張りなさい!私からは以上!あんたが今会わないといけないのは!」

 

 望の顔を持ち上げてぐるりと変える。

 

 「……………………………あ」


 遠くに見えたのは彼女の姿。

 

 「…………………望」

 

 


 「もう大丈夫…………だから」

 

 彼女の優しい声が、望の耳朶を打つ。

 木漏れ日のように照らして、日の元へ僕を引っ張り出してくれるあの子が。 


 「頑張って」


 

 

 

 「………………………………そっか」

 


 僕が縛られていたのは、

 僕を断罪し続けていたのは、


 「…………………僕だったのか」

 

 いくらかかっても、何年たっても、僕は彼女に謝らなければならないと、そう思っていた。

 

 罰は受けなければならない。その報いを受けなければならない。

 だから、いつの間にか理津と一緒にいて楽しんでいる僕を、幸せだと心の底から感じてしまっている僕を、僕は異常だと思っていた。


 「そうだった。忘れていた」



 

 「二年生学年対抗リレーもいよいよ終盤!白熱してきました!!」

 



 放送の声に望は顔を上げた。

 

 「ほら、行きなさいよ。やることあんでしょ」

 

 沙也加が再び僕の背中を打つ。思った以上に痛くて、思ったよりもずっと温かい。

 もう、手はは冷たくなかった。

 

 「大丈夫なんでしょうね」

 

 「うん。吹っ切れた。ありがとう」

 

 礼を言うと沙也加は少し頬を緩めながら言った。

 

 「理津を泣かせたらただじゃおかないわよ!」

 

 望は急いでスタート位置に立つと、後ろを振り返って待つ。

 バトンを届けに来る友達を。 

 

 「今、一組にバトンが渡りました!」


 実況の白熱した声がグラウンドに響く。

 その瞬間次々とランナーが走ってくる。

 

 「わりぃ!」

 

 辰海が叫びながらバトンを渡す。

 たぶんその言葉の続きは「全然抜かせなかった!」が入るのだろう。

 

 望はその声に。

 

 「任せろ!!!!!」

 

 と言った。

 

 「今すべてのアンカーにバトンが渡りました。アンカーはグラウンドを一周、二百メートルを走ります。現在、先頭の二組―――ええ、一組と六組がややリードしているでしょうか!!!!」

 

 久しぶりだ。この感覚。

 空気を押し出していく、疾走感。

 足を踏み込む度、少し柔らかいグラウンドの土が僕を押し上げてくれる。

 

 「――――――速い!?後方からものすごい勢いで差を詰める!どんどん詰める!これは、二組です!二組アンカー、藤巻望が疾風怒濤の勢いで他の走者を追い抜いていきます!!!!」

 

 グラウンドの土を蹴る感触、風を切る疾走感。


 『二組のやつ、誰だ!?』『めちゃくちゃ速いぞ!?』『いけー!二組!』

 

 望の走りに驚く観客と二組を応援してくれる声に心を躍らせる。

 足を動かせ、心臓をポンプにしろ。

 

 (僕はずっと、間違っていたんだ)

 

 理津が笑った時、申し訳ないと思った。

 理津が話しかけてくれた時、ごめんって思った。

 理津が触れてくれた時、なんでこんな僕にって思った。

 

 でも違うだろ。そうじゃないだろ。

 

 全部ひっくるめて、愛おしいって、なんて可愛らしい人なんだって、そう思っただろ僕は!

 

 だから、僕は。


 (今度は僕が…………君に好きだよって伝えたい)

 

 「二組の勢いがすごい!二組がぐんぐん来る!先頭に追い付きそうだ!先頭は今最終カーブを曲がって直線へと入る!距離が縮まる、もう目の前だ!」


 


 「ゴールうううううう!二年生学年対抗リレーは二組の優勝ですっ!!!!!!」

 


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