第21話 わだかまり


 「ふあーあ」 


 カレンダーに目をやると。

 夏休みも終盤。残り数日。

 

 小学・中学の頃はこの時期になると、溜まっていた宿題の山と格闘しているところだろうが、高校になってからはそんなこともなくなった。

 

 理津の部活が終わるのを待っている時や所々の合間時間を利用しているおかげで、僕は既に自由の身になっている。

  

 まあ、あとは理津の家で宿題をしたりすることもあったのだが、それはまた今度の話にしよう、うん。

 

 「ただいまぁ」

 

 玄関から聞こえる帰宅の声に望の閉じかけていた瞳が開く。

  

 「楓、おかえり」

  

 「う、うん」

  

 妹の楓はリビングに一瞬顔を出すと、すぐさま階段を上がって自分の部屋へと入っていく。

  

 今日は確か部活の日だったか。

 小学校でも夏休みの部活動は行われており、最近ではその種類も多くなっているらしい。

  

 望の頃にはサッカー・バスケ・吹奏楽程度のものだったのだが。

 ちなみに楓は陸上部に所属している。

 

 「部活かぁ……………………」

 

 小学六年生の楓は兄の望とは五歳離れており、あまり会話の共通点の得られないことから最近ではめっきり会話することがなくなった。

 

 最近では。 


 

 「望、楓に忘れ物届けてくれない?あの子、水筒置いていったみたいなの」

 

 ソファーに寝転がっている望に母が水筒を持って言う。

  

 「あ、うん。わかった。楓って今日部活?」

  

 「ええ、今日も部活。二十分くらい前に出たからまだ間に合うと思う」

 

 「おっけ、じゃあ届けてくるよ」

 

 望はソファーから起きると、着替えを済ませて楓の通う小学校へと向かった。

 


 「なつかしいな、この道。久しぶりだ」

 

 楓の小学校は望も通っていたので、六年間歩き続けた通学路はとても懐かしく感じる。

 

 家からそこまで離れているわけではないので、ものの十分足らずで小学校に着いた。夏休みということもあって、人影は少ない。

 

 一応不審者と疑われるのはまずいので一度職員室に顔を出してから望は楓のいるであろう校庭に向かう。

 

 「―――――楓」

 

 「え、お兄ちゃん?」 

 

 丁度、ウォーミングアップで友達と準備体操をしているようだった。

 振り返る妹は驚いていて、かくいう他の陸上部員もいきなり現れた高校生に戸惑っている。

 

 「ほら、忘れ物」


 差し出す水筒を受け取る。 


 「あ、忘れてた」


 「忘れてたって…………今度は気を付けろよ」

 

 リアクションの薄い楓の頭をぐりぐりと撫でる。

 楓は嫌そうな顔をしているが、振り払うことはしない。

 

 「あれって、楓ちゃんのお兄ちゃん?」

 

 「う、うん」

 

 隣にいた女の子から話しかけられた楓は静かに頷く。

 まあ、友達に見られたら恥ずかしいか。

 

 「じゃ、帰るから。部活頑張れよ」 

 

 妹が部活をやっているところを見てみたいという気持ちも少なからずあるが、ここは気を遣って、さっさと帰ってしまおう。


 「あ、待って!」

  

 「ん?」

 

 引き留める妹に望みは振り返る。


 「……………………お兄ちゃんも走っていったら?」

 

 「「え?」」

 

 隣にいる部員と望が同時に驚く。

 

 「いや…………いいよ。体力もないしさ」

 

 「そっか……………………」

 

 食い下がることはなかったが少しだけ顔を俯かせる楓。

  

 「じゃあさ、終わるまで待っててよ」 


 顔を上げると、そんなことを言ってくる。

 

 「まあ、それくらいなら」

 

 望は少し迷ったが了承した。

 

 顧問の先生にお願いして、妹の部活風景を見させてもらう。

 意外と気さくな先生で良かった。

  

 陸上部は短距離専門のようで、長距離を走っている生徒はいなかった。


 今行っているのはスターディングブロックを使用したスタートの練習。

 立った状態からのスタートよりもこの方が素早く加速することができる。


 何人か交代で練習をする中で、今度は楓の番になった。

 足幅を合わせて、他の部員の合図で十数メートルを走る。

 

 「お兄さんもどうですか?一回走ってみては」

 

 顧問の先生がいきなり話しかけてきた。

 新任の先生なのか年齢はかなり若く見える。

 

 「いや、自分は………………それに素人が走ったら迷惑でしょう」

 

 「そんなことないですよ。高校生の走りを見て子供たちも刺激を受けると思います」

  

 「そうですか」

 

 望は視線を一度、グラウンドで練習をする楓に移す。

 走ろうと思ったわけではないが、どこかその瞳は寂しげだ。 


 「…………楓は足速いんですか?」 

 

 「うちの部活では一番速いですよ。市内大会でも二位で、練習自体にも積極的に参加してくれてます」

 

 先生が少し自慢げに言う。実際誇らしいのだろう、生徒想いの感じが伝わってくる。

 

 「すみません………お兄さんの方がお詳しいですよね」

 

 自分が喋りすぎたことに気づいた先生が恥ずかしそうに頭を垂れる。

  

 「あ、いえいえ…………でも本当に知らないんですよ妹のこと。だから今回来て良かったです」

  

 望が言うと、先生も「それはよかったです」と微笑む。



 結局、楓の部活が終わるのに三時間ほど待たされることになった。

 

 「やっと、終わった!」

 

 「おつかれさん」

 

 そう言って、楓の持っていた荷物を取ってやる。

 

 「あ、ありがと」

 

 もう随分日も沈んでしまった。

 

 「……………………」

 

 「……………………」


 少し懐かしい下校道を二人並んで歩く。

 小学校なんて、もう二度と来ないものだと思っていたがそうでもないみたいだ。

 

 「お兄ちゃん、部活はもうしないの?」

  

 楓が視線はそのままに聞いてくる。


 「ん?やってるだろ、文芸部」

 

 高校でどんな部活をしているか、楓は知っているはずだ。

 けれど、それ以外の答えを望は知らない。

 

 「違うよ、運動する部活」

 

 楓の言葉には物悲しさを孕んでいて、その瞳はどこか遠くを見ている。

 そんな楓の目を昔に見た気がする。

 

 「…………やらないよ、もう」


 「ふーん。そうなんだ」

 

 「……………………」


 「……………………ん?」

 

 楓が僕の方を向いてこちらを見る。

 

 「何か言った?お兄ちゃん」

 

 妹はうまく聞き取れなかったようで首をこちらへ向けて、傾げる。


 「ごめんな」

 

 「何がぁ?」

 

 「不出来なお兄ちゃんで、ってこと」

 

 「どういう意味ぃ?」

 

 「なんでもねえよ。ほら、行くぞ」

 

 僕は楓の頭をごしごしと撫でて、先に歩き出す。

 陽は沈みかけて来て、二人の影を伸ばしていく。

 

 「あ、待って!おんぶ!」

 

 「えー、もうお前結構おっきいじゃん!」


 小さい頃はよく僕が楓をおんぶしていた。けれど、そんな彼女も六年生。

 さすがになぁ。

 

 「いいから、お願い!」


 「しかたないなぁ。おら!」

 

 そう言って、僕は楓の体を持ち上げる。

 

 「お兄ちゃん、違う!これ肩車!」

 

 「やかましい!行くぞ!」

 

 せっかく兄が奉仕しようというのに、文句を垂れる妹を無視して僕は思いっきり走り出す。


 「きゃああああああ!!!!!!」

 

 沈みかけた街並みに少し大きい一人の影が映っていた。

 

 


 

 「お兄ちゃん」

 

 「ん?どした」

 

 「……………………いいよ」

 

 「何の話し?」

 

 「さっきの話。もういいよ。怒ってない」

 

 「そっか。良かった」

 

 夏休み。

 少しだけ妹と仲良くなれた気がする。

 

 

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