第20話 帰省③。

 5


 「僕のせいですね…………」

 

 望がそう呟く。吉奈さんは否定も肯定もせずに黙っている。


 「子供が気にするんじゃないよ。儂は孫の理津が幸せならそれで良いんじゃ。じゃが、論理的には分かっていても感情が追いつかないこともある」 

 

 「感情が、追いつかない…………」

 

 その言葉はどこか若造にはわからない重みと深みを持っていて、吉奈さんはどこか遠くを見つめていた。

  

 「それに、もう解決したことなのじゃろう。そこに儂ら老いぼれが入ってわざわざぶり返してどうなる。何の結果にもならんじゃろう」

 

 「でも、それで―――――!」

 

 「元々お主をこの家に招くのに反対したのがあのじじいで、それを聞いたところで誰も良い気はせん」


 吉奈さんの目はいつの間にかこちらへ向けられていた。

 その瞳には強い意志がある。

 

 でも。


 「…………おじいさんがどこにいるか教えてもらえませんか?」


 「―――――じゃ。そんなことを聞いてどうする?」

 

 「僕も感情が追いつかなかったみたいです」

 

 吉奈さんの言葉を聞いて前に僕は走り出した。

 急いで靴を履いて、玄関を飛び出す。 

 

 何か考えがあったわけじゃない。 

 何か伝えたいことがあったわけでも、通すべき道理があったわけでもない。

 

 ただ、僕の責任だと思った。

 人の家族を巻き込んで、ぶち壊しにしかけた僕の責任だと思った。

 

 「はあ、はあ、はあ…………」

 

 吉奈さんが教えてくれたおじいさんの場所は家から少し離れた蔵だった。

 かなり古い建物のようで今すぐ崩れてしまうほどではないが、独特の雰囲気を持っている。

 

 ガチャン!

 と、蔵の戸を開けると、鈍重な音が響く。

 

 その中には――――――中には、


 「は」

 

 「……………………ZZZZZZ」


 床に広がるビール瓶とビール缶の数々。

 明らかに豪遊した跡がそこら中に落っこちていた。

 

 その真ん中で、ぐーすかと寝息を立てる陰一つ。

 

 別居の寂しさなど微塵も感じさせないその寝顔は、安らかそのもので。

 

 「こんの……………………」

 

 ビキリ、と望の頭が鳴った気がした。

 

 「こんの………くそじじいがああああ!!!!」

 

 「うわあああああああ!!!なんじゃ、空襲か!?」

  

 「だからその手の冗談は笑えないんだよ!」

 

 ぴちぴちの十七歳が放つローキックがおじいさんの頭に直撃した。

 



 「がっはっはっ、本当に別居なんてするわけがないじゃろ!試したのよ!」

 

 僕は正座しながら、目の前で高笑いを決める吉奈さんのことを睨み付けている。


 罪のない彼女の祖父に思い切りローキックを叩きこんでしまった望は、あの後罰としてここに座らされている。 


 そして、

 

 「なんでわしがこんな目に遭わなきゃならないんじゃ…………」

 

 なぜかおじいさんも正座させられている。

 先ほどまでの怒りもどこかへ消えて、今はおじいさんに対して謝罪の心しかない。


 「本当にごめんなさい」


 結局のところ、すべてはこの諸悪の根源。吉奈さんの仕業だったわけだ。

 

 「いいんじゃ、お主が謝るでない」

  

 「おじいさん…………!」

 

 隣に座るおじいさんが仏のような顔をこちらに向ける。

 なぜか彼女の祖父と絆が深まりそうだった。

 


 

 「なんだか、今日はすごく疲れたよ。まあ僕の早とちりのせいなんだけどね」

 

 「……………………ん」

 

 理津と望は一枚の襖を挟んで話している。

 

 「ご飯もすごくおいしかったし、良い家だね。性格はアレだけど…………」

 

 あの後、夕食をご馳走になったのだが、吉奈さん、永遠と僕のことをイジってくるから。

 

 「あとはもう寝るだけ…………あ」

 

 望はその瞬間、あ、やってしまった、と思った。

 理津のことだから一緒に寝ようと言いかねない――――のだが。

 

 「……………………ん」

 

 「あれ」

 

 身構える望だが理津は特に反応しない。

 

 (まあ、そういう時もあるか?)

 

 「……………………(ガサゴソ)」

 

 「ん?」

 

 望がほっと息をついていると、何やら襖越しに何かの音がする。

 

 「理津?」

 

 恐る恐る襖を開くと、

 

 「……………………もう寝る?」

 

 襖を開けてすぐのところに一組の布団が敷かれていた。

 

 「いや、理津…………やっぱり別々で寝た方が」

 

 「だから、別々で寝る」

 

 「?」

 

 疑問を浮かべる理津は、望の部屋に入ると布団をもう一組出して、襖の脇に敷く。

 

 「これで手、繋げる、ね…………?」

 

 彼女は一度、自分の布団に入ると、そこから手を出してくる。

 

 理津はこう言いたいのだ。

 一緒の布団に入るのがだめでも、布団を襖に隔てながら隣に敷いて、手を繋いで

寝たいと。


 ずきゅん、と望の心に矢が刺さった。


 「だ、ダメだよ…………手なんか繋いだら、だめだ」

 

 望は熱くなった顔を隠すように、理津に背を向ける。きっと真っ赤になっているに違いない。

 

 「それにもう少し起きてるよ。風呂も入ってなかったし」

 

 襖越しの彼女に背を向けて、僕は横になる。

 心臓の音がやけにうるさい。

 

 「……………………」

 

 「……………………」

 

 (一緒に寝ちゃだめだ、寝ちゃだめだ、ダメだ、駄目だ、だめだ)

 

 望は自身の内に潜む猛獣と格闘する。

 

 しかし、横になっているうちになんだか、気持ちよくなってきてうつらうつらと船を漕ぎ始めた。

 

 その時、スー、っと襖の戸が開く音がする。

 

 彼女はどうしたのか僕の元まで四つ足のまま、すりすりと近づいてくる。

 背中に彼女の体温を感じる。

 

 な、何する気なんだろうか…………?

 段々と聞こえてくる吐息。

 

 完全に起きるタイミングを見失った僕は居眠りをし続けた。


 (いや、これ前にもあった気が…………!?)


 と、思った瞬間には既に遅く。

 

 「…………ちゅっ」

  

 手を回された瞬間、僕の頬に柔らかな感触があった。

 微睡んでいた意識も完全に覚醒している。

 

 けれど、ここまできてはなおのこと自発的には起きられない。

 

 「ちゅっ……………………」

 

 「……………………」

 

 「ちゅっ」

 

 「っ!?」

 

 「はむ………んちゅ、ん、れろ」

 

 今度は耳を舐めてきた。

 舌で僕の肌をなぞるようにしてかぷりと耳たぶに噛みつく。

 

 直接響く理津の吐息と液体の音。

 

 「あう、れろっ、ちゅっ…………」


 (やばい、本当にやばい。このままじゃ…………!?)

 

 

 「理津ー、望君ー?リンゴ剝いたから来なさーい」

 

 恵子さんの呼ぶ声がした。

 理津は無言のまま立ち上がると、そのまま部屋を出ていった。


 「……………………や、やばかったぁ」

 

 望は一度起き上がると、大きく息を吐く。 

 今回は本当にやばかった。

 

 「早く来んかい。待たせとるぞ」

 

 すると、戸が開いて吉奈さんが僕を呼びに来た。

 そして僕の顔をじっと見ると。


 「どうした。顔が真っ赤じゃぞ」

 

 「すみません。でもありがとうございます…………」

 

 「なんじゃ、気持ち悪いやつじゃのう」

 

 「あれ…………」

 

 たらたらと流れるのは望の血。

 それも鼻から。 

 

 「ぎゃあああああ、なんじゃい!いきなり鼻血なんぞ垂らしおって!」

 

 「ち、違うんです!これは!?」

 

 「人様の家で何発情しとるんじゃ!」

 

 望は一日で二度、正座させられた。

 

 

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