19話 本物の始まり


 放課後の教室は夕焼けだけが灯りとなって視界を薄紅に染めていた。


「話がしたいんだ。だから、ここにきたんだ」


 俺は美優の目を見て言った。


 心臓がバクバクと暴れているのが触らなくても分かった。


「何よ……今更……」

「この思いを美優に伝えたいんだ」

「……そんなの、嘘に決まってる……だって、今まで私にずっと嘘ついてきたんでしょ?」


 確かに俺はずっと嘘をついてきた。


 自分のことが一番で。誰もを下に見てて。


 だから、俺の踏み台になればいい、なんて考えてた。


「確かに、俺のやってきた事は最低だ。自分の事しか考えてなくて、人の気持ちなんて考えなかった」


 けど、そうじゃなかったんだ。


 誰しもが俺に持ってないものを持っている。


 俺に持ってないものを圭は持ってるし、それは深春にも言える。


 それには美優にも当てはまるんだよ。


「だから何なのよ!今まで考えて来なかったから何なの!?それを懺悔したところでやった事は消えないじゃない!」

「そうだね……過去の事実はもう変えられない。俺が嘘をついて騙したことも、君を傷つけたことも何一つ変えられはしない」


 俺はもう一度大きく息を吸って答えた。


「だから、俺はこれから始めたい」

「そんなの……」

「上書きでしかない……打撲してる所に湿布じゃなくて絆創膏を貼るような事かもしれない」


 自分でもよくわからない例えに思わず苦笑する。


 けど、消えないのなら新しく上書きするしかないんだ。


 過去の俺じゃなくて、これからの俺を見てもらうんだ。


 変わったって思ってもらえるように。


「だから、今までごめん。だけど俺は美優ともう一度恋人として隣にいたい。都合がいいことは俺も分かってる。それでも、俺の隣にいて欲しい」

「私は……」


 美優の消えてしまいそうな声が、教室にポツリと溢れた。


 彼女の長いまつ毛が下を向いている。


 その姿は迷子になった少女のように悲しそうだった。


「私はアンタのことが、大嫌いだった。私が持ってないもの全て持ってる癖に、いつもつまらなそうにしてる隣のアンタが大嫌いだった」


 初めて彼女の本音を聞いた気がした。


 美優の心の奥底に秘めていた俺への憎悪。


 君の口から放たれるその言葉は俺の胸をぎゅっと締め付けた。


 それでも、俺は我慢して静かに次を待つ。


「でも、私はアンタの前でだけは素直でいれた。大嫌いの筈なのに、心から楽しい私はアンタの隣に居たの」


「わがままで、ドジな私を呆れずに一緒にいてくれたのは他の誰でもないアンタだったのに」


「それなのに、予行練習彼女って…………」


 美優の声が潤んでいることに気づく。


 誰かに見放される事がどれだけ辛いのか俺は知ってる。自業自得で得た物だけど、俺はその辛さを知っている。


「美優」


 俺が名前を呼ぶと君はゆっくりと、その濡れた瞳を俺に向けた。




「俺は美優が好きだ」



 これが俺が絶対に伝えると決めていた言葉。


 その一言で君の大きな瞳からは涙が溢れた。


 その雫は夕焼けが反射してオレンジに染まってた。


「え?………」


「予行練習でも何でもないたった1人の、俺だけの彼女になって下さい」


「何よそれ……」


「美優のことを思うと胸が苦しくなるんだ。家に帰ると、会いたいなって切望するんだ。辛い時に君を想うといくらでも強くなれるんだ」


「……そんなのずるいよ…………」


「だからこの思いは予行練習なんかじゃない。だって、世界にたった1人の君にしか、こんな気持ちにはならないから」


 君以外あり得ない。


 この気持ちを抱けるのは世界に君しかいないんだ。


 たった一つしかないものに練習も何も有るかよ。


 だから、この気持ちは本物としか言いようがないんだ。


「また屋上でお弁当を食べよう。またバカみたいなことでケンカしよう。またどこかに遊びに行こう。お互いにダメな所は助け合おう。励まし合って生きてゆこう」


「どうして、そこまで言えるの……」


 どうしてって、そんなのは決まってる。


 たった一つの大きな気持ちがあるからだよ。


 それらを上手く言葉にするのなら、コレしかないだろう。


「君の笑顔が欲しいから、君の隣に居たいから、君を幸せにしたいから」


 よく笑う幼なじみと、ギターを抱えた音楽少女が頭をよぎって、胸が温かくなったのを感じた。


 そして俺は笑顔で続きを伝えた。


「俺は君を好きだから」


「……ッ!………」


 すると、美優は何かを振り切ったように俺に抱きついた。


「そこまで言われたら……断れるわけがないじゃない……!」


 俺の胸に顔を埋めながら美優は俺を叩く。


 何度も、何度も。


「そうかもね。でも、それぐらいに思ってるんだよ。美優のことを」


 俺は静止の意味を込めて、美優の肩に両手を乗せるとその小さな身体は震えていたことに気づいた。


 月明かりが照明の教室で、君と見つめ合う。


「じゃあさ、それが嘘じゃないって証明してよ」

「ああ、望むところだね」


 そう言って、ゆっくりと顔を美優の方へ近づけてゆく。


 俺の動きで察したのか、美優は軽く目を瞑り唇を俺の方へ差し出した。


「やっぱかわいいな」

「ばか」


 俺と美優の小さな声が教室に響いた。


 俺が君との距離を近づけてゆくと視界に入るものが徐々に減っていく。


「好きだ」

「……ばか」


 美優の吐息が感じられる距離まで近づいた。


 あの時よりも、確実に近くて。


 俺は君の後ろに腕を回すと、それに合わせて美優も俺の後ろへ手を回した。


 もう、視界には美優しかいない。


 ゆっくりと、ゆっくりと、大切に距離を縮めていく。


 そして、


「ん……」


 唇が重なった。


 薄い唇に、舌のざらついた感触。


 何度も、何度もお互いに求め合うように、粘膜を絡ませる。


 それはまるで会話みたいで。


 俺らは無言で愛しあった。


「はぁ………はぁ……」


 息が苦しくなり、慌てて口を離す。


 自分の顔から湯気が出てるんじゃないかと本気で思った。


 それくらい恥ずかしかったけど、すごく嬉しかった。


「ねぇ……もう一回、しよ?」

「〜〜〜ッ!?」


 美優は息切れしていることなんて気にせずに俺にねだってきた。


 彼女の大胆な要求に悶えていると、今度は美優が俺を身体ごと抱き寄せて、強引に俺の唇を奪った。


 二度目のキスは、一回目よりも濃厚だった。


 ◇


 それから手を繋いで、教室の壁に腰をかける。


 彼女の冷えた手に少しでも俺の体温が伝わってほしいと願いながら優しく小さな手を握る。


「……どうして私なの?」

「美優を好きな理由か……」


 いきなりの踏み込んだ質問に少し戸惑う。


 しかし、こんな質問悩む必要なんてない。


「それはね、初めて異性で俺の中身を見てくれたからだよ」

「……中身?」

「うん」


 可愛らしく首を傾げながら美優は聞いてくる。


「俺ってさ、自分で言うのもなんだけど、顔いいじゃん?」

「……まぁ、否定は……しない………」


 美優は確認するようにチラリと視線だけで俺を見る。


 しかし、目が合うと恥ずかしかったのか直ぐに目を逸らした。


 そんな彼女の挙動不審に俺は苦笑いしつつも話を続けた。


「だから自分が空っぽだと思ってたんだ。不貞腐れてたんだと思う。誰も俺の中身なんて見てくれないって」


 勉強ができるから、スポーツができるから、かっこいいから、スタイルがいいから、だから好き。


 そんな有難い褒め言葉も当時はもう散々だった。


 みんなが好きなのは俺じゃなくて、伊川優生というステータスじゃないのかって思ってたんだ。


 俺は本当の俺を見て欲しかったんだ。


「それって……」

「うん。美優と似てるかもね」


 目を大きく開き驚いている美優に俺は相槌を打って話を続けた。


「けど美優は違ったんだ。弱い俺を抱きしめてくれた。泣く俺の手を握ってくれた。俺の弱さを優しく包んでくれた。そうやって、俺を認めてくれたから」


 言い終えて少し気恥ずかしくなり、深く壁に寄りかかった。


 夜の教室の壁はひんやりしていて気持ちを落ち着かせるのにはちょうどよかった。


「そう……じゃあ、もっと、甘える?」

「え?」


 美優の口から溢れたその誘いに、俺は思わず素っ頓狂な声をあげた。


 俺が聞き返すと美優の顔はみるみる赤くなっていき、涙目になった。


 まだ完全には覚悟は決まってなかったらしい。


「だから!私の包容力を好きになったんでしょ!?だから、あ、甘えるって聞いたのよ!」


 とんでもなく早口で捲し立てられる美優の行動原理。


 気が動転してるのか、俺と繋いでいる手が強く握られる。


 より一層俺たちの中が深まったような気がした。


「じゃあ、甘えちゃおっかな」

「素直に最初からそう言いなさいよ」


 美優が立ち上がったので、俺もそれに合わせてその場に立った。もちろん、手は繋いだままだ。


 そして美優は俺とさらに距離を詰め、身体を密着させた。


 窓からは綺麗な星が無数に煌めいている。


「この時期に見る星も悪くないわね」

「そうだね……すごく綺麗だ」


 2人で外の景色にうっとりとする。


 小さな星が必死に輝く姿はとても幻想的で美しかった。


「じゃあ、優生……」


 彼女から声がかかり、視線を美優の方に戻す。


 すると、彼女はまた目を瞑り背伸びをして、俺に唇を差し出ていた。


「俺が甘えるんじゃなかったの……?」


「ふん、ちゃんと一回で聞き取れなかったのが悪いのよ。つまりは優生がいけないんだから」


「ま、いいか。俺が悪いことにしておこう。どうやら彼女はそれだけ俺とイチャイチャしたいらしいから」


「な!?ち、違うから!そんなじゃないから!」


「はいはい。そうですねー」


「〜〜ッ!優生はしたくないの!?だったらさせてあげないから!」


 可愛い声をいっぱいに響かせて必死に会話する彼女はいつもよりか幼く見えた。


 もう、させてくれるって言ったら、しろって言って。


 今度はさせないって。


 どれだけ天邪鬼なんだよ……。


 でも、それが胸にキュンとくる。


 それが最高にカワイイんだよ。


「そんなの、したいに決まってんだろ?」


 俺は美優の顎を右手で軽く下から上に持ち上げ、すぐさま口に封をする。


 そして、すぐに顔を離し美優に勝ち誇ったように笑ってみせた。


「これでいいか?」

「〜〜ッ!もう、バカ!いきなりすぎるわよ!」

「嫌だった?」

「イヤ、では、なかったけど……」


 恥じらう姿を見て俺は吹き出した。


「ちょ、なに?どうしたの!?」

「いや、なんかさ、すっごい幸せだなって思って」

「そうね……私も………そう思う」


 君と熱を交わして、一緒に笑って。


 胸の奥がすごく暖かい。


 これを幸せと呼ばずに何と呼ぶのだろうか?


 笑い終えた所で美優と目があった。


 言葉なんて要らなかった。


 さらに、2人で近づいてハグをする。


 彼女の優しい匂いに心地いい体温。


 それらを噛みしめながら俺は思うのだった。



 美優とずっと一緒にいたいな、と。


 これからの日常を想像すると胸の奥がじんわりと温かくなった。


 素直に嬉しい、そう思えたことが俺は何よりも幸せだった。


 


 



 

 

 


 

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