16話 音楽少女はこう言った。


 俺は屋上でぼうっと空を見上げる。


 目一杯に広がる自由な青空。雲が少なく、太陽の光が容赦なく体を刺してくる。


 天気も気温も過ごしやすく最高。だというのに屋上には俺一人。


 その理由は簡単。


 今は授業中だからである。


 フェンスから少し身を乗り出して、俺のクラスの様子を確認。


 全員が机に向かって入るが、各々のやる気の違いは遠目からでも簡単に分かった。


 窓際から二番目の彼女は、あの頃と変わらず頭を抱えながらも教科書と向き合っていた。ノートに文字を書いては消して、黒板を見て、文字を書いては消して。


 誰もが見ても彼女は、『頑張っていた』。

 

 もし、俺が隣に座ってたら。


 少しでも支えてあげられたのだろうか。

 

 今はもう、叶わぬ夢であるが。


「どうしたんですか?」

「うぉっ!」


 突然後ろから声をかけられて、俺は声を上げて驚く。


 もしかして、先生!?だったらまずい……。


 そして、この狭い屋上には逃げ場がない。


 恐る恐る振り返ると、そこに立っていたのはギターを抱えている音楽少女だった。


「あ、えーと……」

「深春です。志賀深春です」

「深春ちゃん、ね。俺の名前は」

「伊川優生先輩ですよね?誰でも知ってますし、前会ったたじゃないですか」

「ああ。確かにそうだね」


 前会った時とは雰囲気が違ったから、直ぐに思い出せなかった。


「先輩は何で屋上に?今は授業中の筈では?」


 いや、その質問そっくりそのまま返すよ。


「今日は学校休んだ」

「でも、今屋上にいるじゃないですか……」

「学校には休みって連絡してるんだよ。これで察してくれ」


 親には迷惑をかけたくないため、いつも通り家を出た。そして、学校に休みの連絡をし、バレないように屋上に侵入。簡単だろ?それが俺の手口だった。


「そんなこと言ったら君だって、今ここにいるじゃないか」

「何でだと思います?」


 えー………。


 先生に俺の姿が見つかって、連れ戻してこい!みたいな?


 突然の質問に言葉を詰まらせていると、深春はギターを軽く爪弾き、ジャランっと音を出した。


「時間切れです」

「分かるか!短いし、ヒントないし!難すぎだろ!」

「正解は、教室に私の居場所がないからです」

「は?」

「私、イジメられてるんですよ。いや、正確には今はもう解決したんで、られてた。が正しいですかね」


 はは、と愛想笑いを浮かべながら彼女は当然のように言った。


 解決したと。


 けど、解決したはずなのに、深春は今ここにいる。


 裏を変えそう。教室に居ない。


 多分、本当の意味では解決してないのだ。


「はい、私は言いましたよ?」

「え?、なに、自分も言ったからって俺にも説明しろと?」

「もちろんです」


 そんな約束したか?いや、してないな。


 しかし、こんな話を聞かされたら言わないわけにもいかない気がする。


「まぁ、昨日人間関係で色々あってさ……」

 

 そう言いながら無意識に腫れている頬をさすった。


 ヒリヒリと痛む傷が時間の経過をリアルに教えてくれた。

 

「昨日の殴り合いですか」

「いや何で知ってるの!?」

「私、実はずっと屋上に居るんですよ」

「騙したな!?分かってることわざわざ言わせやがって!」


 因みにこの屋上は出入り口が真ん中に設置されており、出入り口の上は横のハシゴから登れるようになっているのだ。


 多分そこから見てたんだろう。


 道理でさっき気づけなかったわけだ。


「私何話ぶりの登場かなぁ。多分忘れてる人多いんじゃないかなぁ。逆に覚えてる人居ない説」

「お前は本当に何を言ってるんだ?」

「独り言です」


 不貞腐れたように深春はつぶやいた。

 

「脱線しましたね。そんな訳で私はずっと屋上に居るんですよ。もはやここは私の庭です」

「庭ですか」

「庭なんです。何ならここが私の教室なまで有ります」


 言ってやった、という顔で彼女は胸を張った。


 ……立派な物をお持ちのようで。


「先輩……私の顔はそこじゃないですよ……」

「ふぁ!?ばか!お前、知ってるし!てか、見てないからな!?」

「反応で丸わかりです……」


 深春は、はぁ、と呆れたようにため息を吐きながら話を続けた。


「先輩はこれからどうすんですか?」

「それは、まぁ……」


 俺は美優を好きで。


 勿論、圭だって最高の友達だし。


 2人を手放したく無いに決まってる。


「あの感じだと仲直りしないと関係、終わりますよ?」

「……そうだな」

「だから早めに、ですよ?」

「……ああ、そうする」


 自分の声がみるみる小さくなっていくのが分かった。


 俺だって、早く仲直りしていつものように過ごしたい。


 でも、そんなことする資格が俺にあるのか?


 散々人に嘘を吐き、騙してきたんだぞ?


 こんな奴と、一緒に居たいと思うか?


 そう考えれば考える程、分からなくなっていく。


「何て言ったらいいか分からない、そんな顔してますね?」


 よっ、と可愛いらしい声を出しフェンスに腰を掛けた。ギターが邪魔で体育座りができなかったのか、お父さん座りをする。


 そして、右隣をポンポンと叩いた。隣に座れということらしい。


「先輩は、先輩の気持ちを真っ直ぐに伝えればそれでいいんですよ」

「けど、俺なんか……」

「確かにダメかもしれない。伝わらないかもしれない。拒絶されるかも。また殴られるかもしれません」


 俺の左頬をその人差し指でツン、と軽く触る。


 軽い痛みが走った。


 でも、自分で触った時よりも痛くなかった、気がした。


「それでも、言わないよりはマシなんですよ。ずっと。言葉にすること。行動すること。それが何よりも大切なんです」

「深春……」

「だから、頑張って下さい。先輩ならきっと大丈夫ですよ。だって、」


 そこまで言うと、深春は両手で俺の頬を包んで微笑んだ。


「私を救ってくれたんですから」

「救った……?俺が……?」

「ええ。そうですよ。私は先輩から元気を貰いました」

「いつ……」

「初めて会った時です。私の歌を。いいねって言ってくれましたよね。すごく嬉しかったんですよ?」


 パッと俺から手を放し、懐かしそうにギターを撫でた。


「それから屋上で先輩を見るたびに、嬉しくなったんです」


 今度はギターをぎゅっと胸に抱き、俺を強く見据えた。


「だから、頑張って!先輩!一人で心細いなら屋上に来て。私が居るから。俺なんてって弱気になったら思い出して。私を救ったことを」


 彼女は少し微笑んで。


 少し泣きそうで。


 少し赤くて。


 きっと彼女も慣れないことをしたんだろう。


 いや、違う。


 してくれたんだ。俺のために。


「俺、頑張るよ」


 その場に立ち上がって、決意を口に出した。


 もう中途半端はしない。


 ダメでも、傷ついても、全ても受け止める。


 そうだよ。最初から強い人間なんていないんだ。


 誰だって傷ついて、辛い思いをして。


 そうして強くなって行くんだ。


「はい。それでこそ先輩です」


 俺は自分を天才だと思ってた。


 だから、ちょっと前までは人に頼るとか有りえないと思ってた。


 けど違った。


 俺は天才なんかじゃなかったんだ。


 こうして、色んな人に支えられて生きてゆくんだ。


 そんな当たり前に今気づいた。


 けど、気づけたから――――


「ありがとうな、深春」

「はい!」


 ちょっとだけ強くなれた、気がした。

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