13話 予行練習の終わり


「ん……?」


 瞼の内側にチラつく赤い光。


 ボヤける視界に、心地の良い体温。


 布一枚越しの感触に、頭に伝わる君の暖かさ。


 ピースを一つ一つかき集めて、頭の中で組み立ていく。


「あ、ようやく起きたわね……どれだけ寝れば気が済むのよ……」


 彼女は赤子をあやすように微笑みながら、俺に言った。


 ようやく起きたわね、どれだけ寝れば気が済むのよ…… て事は、寝てた?


 昼休みから……夕暮れ、て事は放課後まで!?


 そして、膝枕!?


 太もも柔らか!?すべすべ!?いいのこれ?女子の膝枕って犯罪じゃない?警察に捕まらないよね?


「えっと……ありがとう?」

「そこは普通にありがとうでいいじゃない……」

「だって、状況がよく理解できなくて」

 

 体を起こしながら、美優と会話を弾ませる。


「え、だって、美優に膝枕されてたんだよな?しかも俺スッゲェ泣いてたし」

「何よ。しっかり覚えてるじゃない。号泣だったもんね」

「わざわざ言わなくてもいい!こっちは恥ずかしいんだよ!?」

「ホント、びっくりした。だから、今回のはおまけというか、なんというか」


 美優は恥ずかしそうに身を捩らせている。勢いでの行動だったのだろうか。


「で、楽になった?」

 

 そう聞かれて、正直にうん、とは言えなかった。


 だって、俺は今も君を騙してる。


 でも、ここでいいえ、とも言えない。

 

 美優の足に視線をスライドさせる。

 

 彼女の綺麗な足は、所々赤く腫れていて、足も震えている。その様子から、昼休みから放課後までずっと無理させてしまったのだろうから。


「あ、ああ。もちろん。美優のおかげだよ」

「へへ、そう。なら、良かった……」


 彼女は嬉しそうにはにかんだ。


「そういえば授業はどうしたの?ずっと寝っぱなしだったんだろ?俺」

「ああ、それに関してはね。浅井くんが言い訳しとくって」

「圭が?」

「うん。アンタが寝てちょっとしたら、屋上に来たの。で、2人はずっとそのままでいなよって。僕がうまいことやっとくって」

「うぇ、マジで?」

「まじまじ。あと、放課後、屋上来るって言ってたからもうそろそろ来ると思うけど」


 最初は見られて恥ずかしい、という気持ちが大きかったが話を最後まで聞いて俺は嬉しかった。 


「そっか……圭が……」

「いい友達もったね」

「本当にな……」

「大切にしなさいよ?」

「もちろん。こんなに素晴らしい友達失ってたまるかよ」


 俺がそう言うと、美優は悲しそうに顔を伏せた。その顔は赤い太陽と重なっていて眩しくて、思わず目を細めた。


「私さ、友達いないんだよね」

「はぁ?いつもみんなの中心にいるだろ?美優はいつだって誰かと一緒に……」


 そこまで自分で言ってようやく気づく。


「そうだね。確かに、一人、ではないよ」


 けど、それはあくまで物理的な話であって。


 本当に大切な心の奥底は、きっと乾いているのだ。


「でも、心の内ではいつも一人。誰も本当の私を見てくれない」


 本当の私。


 今俺の目の前にいる彼女は本物なのだろうか?


 そんなの、考えるまでもない。


 本物に決まっている。


 どんな顔を持っていようと君は君なんだ。


「美人、リア充、勝ち組。みんなそんな風に私を見るんだ。けど、本当の私はそんなんじゃない」


 俺の前ではこんなに不器用で、俺の一言に一喜一憂して、すぐ照れて、すぐ怒って、すごい不器用で。


 確かに、教室で見ていたイメージとは大きく異なる。


「バカで、運動音痴で、素直じゃなくて、うるさくて。ダメダメなんだよ」


 顔を伏せたまま、指を一つ一つ折ってゆく。 


「だからさ、何かみんなを騙してるみたいでさ。すっごく胸が痛くなるんだ。本当の私はダメダメなのにさ」


 そうか。俺が彼女を騙してるように。


 彼女もまた、誰かを騙しているのか。


 ああ、本当に似たもの同士だな。俺たちは。

 

 そう思ったら俺は、止まれなかった。


「実はさ、俺も騙してたんだ」

「え?」


 伏せていた顔が俺に向けられる。


「本当は、嘘だったんだよ。この関係も。俺のくだらない夢の予行練習にすぎなかったんだよ」

「え?え?それ……って、どう、いう……」


 ああ、クソ。言っちまった。


 案外、言えるもんだな。数時間前は全く言えるビジョンなんて思い浮かばなかったのに。


「言った通りだよ。俺、凄く女子苦手でさ。けど、大学ではいろんな出会いを楽しみたいんだ。だから、美優を練習に使ってたんだ。予行練習彼女って言って……最低だろ?」

「予行練習彼女……」


 彼女の目は虚だった。何が起きているのか分からない。そんな思いが伝わってくる。


「だからさ、俺たち……」


 だから最後に、そう言いかけた所で俺は話すの辞めた。


 だって、視界が滲んだから。


 このままにしてたら溢れてしまうから。


 「俺たちさ、」


 さぁ、言え。


 覚悟を決めろ。


 俺が悩んでいい立場じゃないんだ。


 一度だけ、大きく息を吸い込んで、


「俺たちさ、別れよ――――」


 突然、無重力間に襲われる。


 左頬が焼けるような感触。


 そして、数秒後、地面に体が叩きつけられた。


 「ッ!?」


 飛ばされた原因を探ろうと、俺が元いた位置を見る。


 正体がわかって俺は絶句した。


「この、クソ野郎が!!!」


 俺を殴ったのは、浅井圭だった。


 鬼の形相で、息を荒らげ、右拳を硬く握っている。


 そこにいたのは間違いなく、俺の幼なじみだった。

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