第3話 的の中心

教室に入る。


"視た"通り、そこは歪なドス黒い"悪意"で充満しきっていた。


教室の入り口の前に貼ってあった席順の張り紙を頼りに、自分の席へと向かう。


先ほどまで賑やかそうにおしゃべりをしていたクラスメイトの会話が聞こえない。


『吐き気がする。』


私の席は3列目の3番目だ。


ちょうど真ん中くらいの位置。


的にするには"丁度良い"位置、まるでダーツボードの中心の様だ。


『吐き気がする。』


皆が狙いをさだめる。


これは幻聴か。


『せーの』


周りにいる奴らが一斉に弓を引いた気がする。


ギギギギ・・・


弓が完全にはしなりきっていなく、弓の胴と矢が息を合わせるように音を鳴らす。


『吐き気がする。』


その音は脳裏まで響く。


耳を塞ぎたくともすでに音は侵入している、無意味だ。


ギ・・ギ・・


ゴミどもが弓をしなりきらせて、限界まで矢を引ききる。


いつの間にか私の歩みは止まっていた。


『吐き気がする。』


的の中心に首根っこを掴まれて吊るされている小人のようだ。


普段は傍観者に過ぎない私はここでは舞台の上に立つことができる。


皮肉なものだ。


舞台を照らす灯火の光は、私を"悪"として照らす。


まるで"異物"を宇宙全体に見せびらかすように、とても大きな大きなステージに"腫物"を添えて。


『とても、とても吐き気がする。』


「おーい、紅葉。」


声が聞こえる。


『辞めて。』


「おーい、紅葉。」


『辞めて、皆から注目を浴びてしまう。』


「おーい、紅葉。」


「だから、辞めてって!!!」


────閉ざされていた舞台が、幕を開ける。


気が付くと、やはり夢ではなかったのかいつの間にか私は、教室のど真ん中に突っ立ていた。


体全体はもの凄く汗をかいていた。


喉も少し乾いている。


周りにいるクラスメイト達は神妙な顔つきで私を覗いてくる。


「おーい、紅葉。」


その一声は、揺れすらなかった水面に落ちた一滴の雫の様だ。


波紋が教室中に広がっていき、つい数秒前までの賑わいを取り戻す。


『誰かが私の名前を呼んでいる。』


「あの、さっきから名前読んでるんですけどね────。」


ガヤガヤと賑わう教室の中、透き通るように聞こえる声に振り向く。


「・・・やっと、聞こえましたか、聴力はずいぶんと貧相なもんで。」


先ほどから恐らく私の名前を呼んでいたであろう人物と目が合う。


"彼"の瞳は黒く、どんな色であれ飲み込んでしまいそうな気がした。


それくらい綺麗な黒色の瞳だった。


その黒色は、私が今まで嫌というほど視てきたものと、明らかに違っていた。


普段視る黒色は、照らされる灯火の光すら反射しない。


しかし彼の瞳に移る黒色は灯火の光を照らされて、やっと"色"を持つ根源の黒そのものであった。


"色"を持たない瞳につい見入ってしまう。


『こんな色もあるんだな。』


そう心の中でつぶやいた。


「どうも、さっきぶりだね。紅葉。」


彼が話しかけてくる。


私はなぜか言葉が出ない。先ほどまで喋ることすら"禁じられていた"からか。


それとも話し方を忘れてしまっていたからか・・・。


「あ、う────。」


精一杯の努力で絞り出した一声は赤ん坊の産声の様だった。


「うー?」


彼は不思議そうに顔を覗かせてくる。


何か話さなければ本当に話し方を忘れてしまいそうだ。


なので本当に頭にポッと出た疑問を言語化する。


「あなた、誰だっけ?」


ズコッという擬音が似合うようにズッコケる目の前の男子生徒。


「イテテ、、全く"学園コメディ"でもないんだからそういう天然ボケは止してくれよ・・・」


さっぱりよくわからないことを言っている。


彼はやれやれと腰を上げ、ため息を吹かしながら思い出の"キーワード"を口にする。


「はぁ、、ちなみに"自転車"での通学は卑怯じゃないからな? 家はしっかりと自転車通学オーケーな距離だ。」


その"キーワード"に私は今朝の出来事が感情と思い出のその両方を合わせ、鮮明にフラッシュバックする。


「あー! 今朝、自転車乗ってた人か!」


あの時、顔を見たわけではなかったので、正直言うとあまりピンとは来ていなかった。


ただ、この語尾に(笑)が付きそうな人の気持ちを逆なでしそうな話し方はくっきりと思い出に残っていたのだ。


「やっと思い出した、、というわけで同じクラスでお隣さんという事なんでこれから宜しく。」


「・・・」


『まじかー』、心中その一言に尽きる。


だが、別にまだあったばかりで彼が嫌いなわけでもないので良しとしよう。


第一、この男が"悪意"の発生源ではないらしい。


辺りは未だに"悪意"に包まれている。


しかしこの男の周りだけは埃いっぱいの机を雑巾がけした時の様に一切"悪意"がまとわれていない。


"悪意"を意図的にまとわずして、"悪意"を秘めるモノは極めて、経験上かなりまれなケースだ。


そんな奴らはすでに"壊れている"か人として私より"優れている"の二択でしかない。


既に"壊れていた"場合、これは本当にどうしようもない。


なんせ"壊れている"わけだから自分で"悪意"をまとっている事すら気が付かないのだから。


逆に人として私より"優れている"場合、本当にたちが悪い。


表面上はいい面だけしてる殺人鬼同様だ。


そんな"異常者"に目を付けられたのなら私の人生は壊れてしまう。


この場合、彼はどちらなのだろうか────。


無論どちらでもない場合も存在する。


そもそも"悪意"をまとわず、内に秘めることもしない。


様は真っ当な善人である。


正直言って、彼が"優れている"ともあまり思えない。


かといって"壊れている"様にも見えない。


であれば第三の存在か────。


いくつもの選択肢を可能性を考慮し、思考する。


その末に、決断する。


『白かな。』


宜しくと言われたら宜しくで返すのが常識である、多分。


それが真っ当な善人であるのだとすればそれは尚の事当たり前にするべきだと思う。


「よ、宜しく・・・。」


私は申し訳程度の『宜しく』だけ言って、机の上に『鹿野紅葉』と記されたプレートを確認して、自分の席に座ることにした。


教室に掛けられている時計の針は8時10分を回る。


時間的には担任となる先生などが顔を見せにきても良い頃合いであるが、一向に姿を見せない。


周りのクラスメイト達は気が抜けたのか近くの席同士で会話しあったり、人によっては席を立って親しくなった友人の元で会話していたりする。


「おーい、紅葉。」


すると呑気な隣人もその空気に呑まれたのか、名前を呼んでくる。


「・・・」


そういえば、この人の名前なんだっけ。


私はそう疑問に思って、この隣人の名前を探るべく彼の机の上に置かれているである名前のプレートを確認することにした。


さりげなく腰を曲げ、机の上のプレートを覗く。


「ん? 俺の名前かな。 黒崎孝文だよ。」


すると、彼は私が何に悩んでいるのか分かったのかそう自己紹介してきた。


自己紹介されたら自己紹介で返すのが常識である。多分。


なので私も自身の名前を名乗ろうとする。


「あ、私は鹿野紅・・・」


そこでふと、疑問に浮かぶ。


そういえばどうして私の名前を知ってたんだろう。


「プレートがあるのは俺だけじゃないからね、席に着くときに見させてもらったよ。」


すると、また彼は私がなにに悩んでいるのか分かったのかそう答えてくれた。


今日は橘さんといい、本当に思考を読まれがちだ。


調子が狂う。


「そ、そうなんだ・・・」


なんかこう、ここまで先読みされると調子が狂うを通り越して、腹立たしいのだけど・・・。


そう黒崎さんを苦手に思う一歩手前、廊下からタッタッタッタッという足音と共に誰かが駆け足でこの教室へと近寄ってくる。


ガララララ────。


スライド式の教室のドアを開ける音。


「お、遅れてすみません!!」


女性の声だ。


「いやー、来る途中に渋滞に巻き込まれてしまいまして、初任当日とはいえ私は申し訳ないと思うのでしたー!」


彼女はとても罪悪感の欠片もない言い草で言い訳を垂れる。


「はい! というわけで改めまして初めまして! 今日からこのクラスを担任する水島千秋です! 皆宜しくね!」


『なんか耳障り、煩い。』これが私の担任への第一印象である。


しかし一方で隣人の黒崎さんはまた別の角度からの物言いであった。


「んー、チェンジで。」


だが他の男子生徒及び、女子生徒からは中々の好評であると見た。


『『『キャー! 超かわいいんだけど!』』』


『『『うぉー! 超かわいいんだけど!』』』


まぁ、確かに外見だけで言えば、顔は整ってるしスタイルもいいし、声も可愛かったけど。


なんか狙ってるようで虫唾が走る感じ。


もちろん"悪意"など見えるわけではないが、この手の人は害はないが面倒なパターンだ。


面倒な時点で害があるのではと思うが、私の中で害というのは"自身"を変えるかどうかなのだ。


その点、面倒な"だけ"で済めば、自身の対応でどうとでも対処が可能だと昔わかった。


であればこの先生への対応は一つ・・・。


『嫌いになってしまおう。』


本当、これに尽きる。


いくら八方美人な年上の先生であっても、嫌という感情を"表"に出してしまえば、以後の関係には必ずヒビが入る。


そうすれば自然と相手も自分が嫌われていることを自覚し、互いに干渉しない距離感で平和に生活していけるのだ。


そしてその対処を今から始めることにした。


私は左肘で頬杖を付いて、プイッとそっぽを向く。


「それじゃあ、早速朝の朝礼をしましょうか! 日直はまだ決まっていないのよね。 それじゃあ・・・」


先生は手に持つクラス全員の名簿であろう物にわざわざ長い指先を添え、『えーっと』などとほざきなが"誰か"を探している。


そして『あ!』などとわざとらしく声をあげて、次の名前を呼んだ。


「えーっと、紅葉ちゃん! 可愛い名前ねー! 朝礼お願いしてもいいかしら?」


あのアマ。 絶対許さないからな。


クラスメイト全員の視線が私に集中する。


こんな空気では断ることはできまい。


私は観念し、席を立つ。


「き、起立、礼。 お、おはようございます。」


これで合ってるのかな。


自身の中学生、いや小学生の時の朝の挨拶だったが果たしてどうなのか。


すると隣の隣人も含めて、私の掛け声とともに起立し、一礼。 その後・・・。


『『『おはようございまーす。』』』


よ、よかった。 なんとか恥をかかずに済んだ。


クラスメイト全員がその後、着席するとそれを確認してあのアマが話を始める。


「はい、よくできましたー! それじゃあこの後のスケジュールを説明しますねー! この後は9時から体育館で皆の為の入学式を行います!

なので8時45分までには廊下に整列して、いつでも体育館に行けるように準備しててくださいねー。 そして入学式が終わったらここの教室に戻ってきたらロングホームルームをしますねー!」


なるほど、そこまでは至って普通の学校初日らしいスケジュールだ。


「そしてロングホームルームでは、学校から皆にプレゼントがあるのでそれもお渡ししまーす!」


学校からのプレゼント、大方思い浮かぶのは教科書の類だ。


入学式まであと30分程時間がある。


私は再び左肘で頬杖し、"未来"を視る。


「はぁ────。 早く帰りたいな。」


そして深くため息をついた。

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