第八十六話

「うふふ、理解したようね。私と明日香ちゃんが、た・だ・の・友達ではないことを」

 背後から伝わる物々しい雰囲気の中、五十鈴さんの語り口は誇らしげで語気が強い。「どうきん」の意味はよくわからないが、私の想像の域を超えた何かすごいことを白川さんとしたことが窺える。

「でも、少しあなたが羨ましいわ。私は明日香ちゃんと距離を置いてるから」

「え……?」

 五十鈴さんの語り口に棘はなく、本音を言っている気がする。

 事実、久しぶりに会った感じだったし、五十鈴さんが水泳部のマネージャーをやっていることを白川さんは神長さん経由で聞いていたことから、最近は連絡を取り合っていなかったと思われる。

 別の高校に通っていれば生活リズムにズレが生じる。加えて白川さんが通話アプリを使っていないことも理由の一つだろう。

 二人の間で過去に何かあったと見るべきか。それこそ進学先を別にしなければならない出来事があったとか。

 でも、諍いを起こして進路を変えるほど人生設計が甘い二人には見えない。公明正大な人は身に迫る揉め事は上手に回避する。白川さんは言うまでもなく、交流のある五十鈴さんもそっち側の人間だろう。現状の幸運に縋りつく自分が、酷く矮小な人間に思えてくる。

「雨宮ちゃ~ん。お守り買いに行こ~」

 諏訪原高校水泳部たちが呑気な声で五十鈴さんを呼んだ。

「ふん、命拾いしたわね。精々節度を守って明日香ちゃんと接しなさい」

 五十鈴さんはそう言い、音もなく私の背後から離れた。

「じゃあね、明日香ちゃん」

「うん、またね」

「久しぶりに顔を見られて嬉しかったわ。によろしくね」

 五十鈴さんはそう言い残し、諏訪原高校水泳部たちとお守り売り場の方へ。

 去り際の五十鈴さんは当てつけるように私のことを見ていた。あたかも「『ネンネちゃん』の意味があなたにはわからないでしょ?」とでも言っているようだった。

 まさか……二人の間で密かに使われる隠語!?

「ごめんね。久しぶりに会ったから、つい」

 白川さんの声で我に返る。一先ず、今は初詣を続行だ。

「全然いいよ。気にしないで」

「……五十鈴に何か言われた?」

 流石白川さん、鋭い。正直、言いたい放題だった。

 しかし、私は白川さんが初めて膝枕を許した女。あのような牽制で交流に歯止めはかからない。決して五十鈴さんがいないから強気になっているわけではない。

「挨拶した程度だから……そういえば『雨宮ちゃん』って呼ばれてたけど」

「ああ、由良里さんの妹なんだよ。目元が似てたでしょ」

 何故か背後を取ってきて只者では無いと思っていたら、姉妹揃ってかい。

「さて、気を取り直して……ほら、大吉」

「マジで大吉引いてる」

 本当に運が良い人って白川さんのことを言うんだろうな。

「私は……うわ、末吉」

「ふふっ、微妙だね」

 おみくじの結果は解釈の次第でどうとでも取れるが、末吉ほど反応に困る運勢はない。どうせならネタになるから凶とか大凶を引きたいのだが、白川さんが笑っているならいいか。


 その日は初詣を終えてそのまま解散。美しい白川さんの姿を写真に収めたかったが、それどころではなかった。

 急ぎ家に帰り、自室で辞書を開く。調べる単語はもちろん「どうきん」。スマホで調べればいいものを、それを忘れてしまうほど私は切羽詰まっていた。

「どうきん……同衾。あ、これかな……夜具の中に一緒に寝ること。性交の婉曲えんきょく表現として用いられる……?」

 これって……エッチなことじゃん!?

 五十鈴さんの言葉の意味を理解して全身から汗がぶわっと噴き出た。

 同衾、白川さんと五十鈴さんが、同衾。思考がままならない。

 いくらかつての白川さんが同性から慕われそうとは言え、そこまでとは。

 思い出される白川さんの家での連絡先の交換。白川さんとの触れ合いの末に……そういうことをする流れなんじゃないかと思ったことがあった。結局は私の早合点だったが、変な言葉選びで私を勘違いさせた白川さんも悪い。

 女性同士の恋愛を中心に取り扱う漫画雑誌があることは知っている。その連載作品の中でアニメ化されたものを観たこともある。でも、飽くまでフィクションの話で、現実と結び付けるには私はまだ無知。

 一旦、一旦ね、落ち着こう。真偽は定かではない。人は武勇伝を話す際、何かと脚色しがちなんだよ。

 とりあえず、どういう経緯で同衾に至ったのかを考察する。

 私が知る二人の共通点は、同じく水泳部だったこと。白川さんが部長で、恐らく五十鈴さんが副部長だったと思われる。

 部員を率いる白川さんとそれを支える五十鈴さん。高い実力を持つ二人に、部員は厚い信頼を寄せる。

 一見、順風満帆な日々を送っているように見えた二人だが、大会入賞を期待する周りからのプレッシャーに神経を擦り減らしていた。

 苦しい境遇に負けず、二人の活躍で水泳部は結果を残す。そして、心身ともに疲弊した二人は、お互いを自分に欠かせない存在だと気付く。

 やがてお互いを求めるようになり、ついに……!

「うう……美しすぎる……」

 完全に私の妄想だが耽美過ぎる。

 だが。

(終わりだ──)

 形容しがたい敗北感がのしかかる。

 白川さんの傍に立つ人間は五十鈴さんが相応しいのではないか。

 私は幸運を手放すべきではないのか。


「……百井。百井ってば。お~い」

「……はっ!?」

 机とキスしようとしていた百井は勢いよく顔を上げた。やはり様子が変だ。

「ど、どうしたの白川さん?」

「何か食べに行かない? 食欲無いならいいけど」

「……ない、ような。あるような」

 百井はそう言い、目を伏せる。このどっちつかずな感じ、重症だな。

 どうしたものかと思案していると、教室のスピーカーからノイズが走る。

『生徒会長の紅林くればやしですわ! 一年三組の白川明日香さ~ん!! 大至急、生徒会室にいらっしゃ~い!!! 繰り返しますわ~……』

 と、しばらくスピーカーが爆音で鳴り響く。校内放送って私用で使っていいのかな。

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