第八十四話

 ヤクザ……? 薬剤師のことかな。ああ、完全に把握したわ。医療従事者の家系ってことね。きっとそうだ。

「由良里さん家は一家揃ってうちの組の舎弟なの。美容師はシャバで過ごすための仮の姿ってこと」

 困惑しながら納得する私をよそに、白川さんは話を進めた。

「……そ、そんな気は……して、してました……今後の身の振り方を見直します……」

 白川さんが纏う弱者を退ける威圧感。掃除が大変そうなデカいお家。談合に必要な応接間。賢い飼い猫ちゃんライバル。大人からの忠誠心。

 合点がいった。白川さんは……宮城県を裏から牛耳るヤクザの跡継ぎなんだっ。で、雨宮さんはハサミを武器にして戦うタイプの鉄砲玉。商売道具になんという仕打ちを。

 それに、ヤクザと言ったら、島送りか……臓器売買!

『お嬢、これが百井さんの肝臓でございます』

『へぇ〜、こんな色してたんだ。知らなかったよ』

 みたいな展開を漫画やゲームで見たことあるもん……。白川さんに舐めた態度を取っていたら、私も無知蒙昧な債務者のようにお腹を開かれて……売捌トバされちゃう……!?

 震え上がる私を見て白川さんは目を細める。獲物に狙いをつけた狩人の眼をしているっ。

「ふふっ。いや、冗談だから。本気にしないで」

 白川さんはおかしそうに笑いながら言った。

「じょ、冗談?」

「うん」

「ほんと? 肝臓、売捌したりしない……?」

「売捌さない」

「助かった……」

 そうだよね。もう、しゃれになっていないよ……!

「私の知る限りだと、『お嬢』呼びの起源は由良里さんのお父さん。由良里さんはそれを真似してるんだと思う」

「美容院の店長さんだよね。イケオジな感じの」

「そう。うちのお父さんが知り合いでね。なんでも学生時代、うちのお母さんを取り合ってたとか」

「え、そういう関係なんだ……親の過去の恋愛事情とか知りたくないなぁ」

「だよね」

 白川さんは首肯し、ついでに欠伸をしてマフラーの隙間から白い息が漏れる。

「もしかして白川さんって、お母さん似? 店長さん、面影があるから気取った呼び方してるんじゃない?」

「それはない。私、おじいちゃん似だし。まあ、ノリでしょ」

「なるほど」

 白川さんのおじいさんは、よほどお顔立ちが整った御方なのかな。

 そして、ノリと来たか。私は子供の頃、親戚から「お姫様」などと呼ばれていたが、それと似た感じかな。今はそんなことを言われることは無いし、思い返すと恥ずかしい記憶なのだが。

「訂正したもらったほうがいいかなぁとは思ってるけど、呼ばれ方なんてどうでもいいんだよねぇ」

「そうなんだ~……あの、呼び方なんだけどさ。『白川さん』って呼ばれるの、嫌だったりする?」

 予てより感じている「白川さん」呼びが適切かどうか。呼び方の話にかこつけて距離感の足並みを揃えておきたい。

「気にしたことなかった」

「なんか他人行儀すぎるかな〜って、思ってたり」

 私が言うと白川さんは「ふふっ」と一笑い。

「百井の好きに呼んでくれていいよ。『ドブカス』とかじゃなければね」

 そんな清らかな声で「ドブカス」だなんて……お金の支払いが発生する?

 さておき。いけるぞこれは。

 私の「白川さん」呼びは特別ではあるが、今年の私は一味違う。一歩、また一歩と躍進する年にする。

 私も神長さんみたいに、白川さんのことを「しぃちゃん」って呼ぶことを検討してみようっ!

「そうだ。私のこと、名前で呼んでくれると嬉しい、かも」

 正直、自分の「夜凪」という名前は、格好つけた中学生が考える創作キャラクターの名前みたいであまり好きではないが、背に腹は代えられない。いくら家族ぐるみの付き合いがあるとは言え、名前呼びはずるい。今の私なら同じステージに立てるはず。

 けれども、白川さんの返答は裏腹だった。

「え~、それはちょっと」

「な、なんで……?」

「だって、百井は……『百井』って感じじゃん」

 主張と共に送られた柔らかい視線に、浅はかな提案を説き伏せる魔性を見た。

 だが。

(わかんないよ、そんな感覚……)


 手水舎に寄ってから、お参りの列に並ぶ。

 自分の思い通りにならない程度で腐ってはいけないと言い聞かせながら手を洗って仕切り直した。

「何をお願いするの?」

 前に並ぶ白川さんに聞く。

「願い事か。お参りでしたことないなぁ」 

「えっ、お金放るだけ?」

「今までは目標を宣言してたよ。部活を頑張りますので見ててください、とか」

「そういうのね」

「今年は現状維持でいいかな」

(私なんか労せず億万長者になりたいとか、気に入らないやつをぶん殴ってもお咎め無しにしてとか、超絶美人にしてくださいみたいな煩悩に塗れたお願いをしてたのに……)

「私も目標の宣言にしよう。クラスの人ともっと仲良くする」

「いいじゃない。百井、頑張ってるもんね」

「それほどでも」

 白川さんに褒められた。

 そうだよ、こうやって普通の会話ができるだけでも幸運なことなんだ。

「そういえば、初夢って見た?」

 白川さんは何気ない感じで言った。

 初夢の話はまずい。

「初夢……覚えてない。良い感じの夢だったと思うんだけど」

「ふぅん、いいなぁ。私、あんまり夢を見ないんだよね」

 話していると白川さんのお参りの順番が回ってきた。

(言えるわけがない……一富士二鷹三茄子に代わって、一白川さん二白川さん三白川さんの合計六人の白川さんが登場する夢が初夢だったなんて)


 お参りを終え、おみくじを購入。近くのおみくじ結び所で今年の運勢を占う。

「私、実はおみくじって大吉しか引いたことない」

 白川さんは明らかにドヤ顔をしている。

「それはさすがに嘘でしょ~」

 私はそう言い、おみくじの封を切ろうとしていると、私と同年代の集団が横を通り過ぎた。

 なぜか白川さんはその集団を目で追っていた。

「ちょっとごめん。おーい、五十鈴~」

 白川さんはお守りの列に向かう集団に声を掛けた。どうやら知り合いだったらしい。中学の同級生とかかな?

 しかし、呑気な予想はすぐさま覆され、私は息が詰まりそうになった。

「……あ、明日香ちゃん……?」

 「五十鈴」という呼び掛けに戸惑いながら反応したのは、カジュアルな防寒着を着た一人の女の子。

 その子の髪型は、以前白川さんに見せてもらった部活の集合写真で見覚えがあった。そう、多数の部員に囲まれて微笑む白川さんのショートヘアにそっくりだった。

 そして、白川さんを名前で呼んでいた。

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