第八十二話
寝足りないのか欠伸が尽きない中、リビングにて家族四人で出前の年越し蕎麦を啜った。我が家の年末恒例行事だが、もう私は高校生だし、いずれは無くなっていくんだろうなぁ。
寂しい気持ちは、年越し蕎麦の上品な味わいが忘れさせてくれる……というか、しんどい夢を見てそれどころではない。
やっぱり寝足りないので自室に戻ってもうひと眠り。こんな自堕落な生活は冬休みだから許される。どうせ起きていても漫画を読むか、バラエティー番組を観るだけの食傷気味な年末を過ごしてしまう。
再びしんどい夢を見るかもしれないが、白川さんの夢は悪夢ではない。尊敬する人の夢を見て悪夢と思うのは図々しいにもほどがある。
ベッドに体を預け、眠気を促進させるためにスマホでカイガラムシについて調べる。虫に限らず、なんちゃら目なんちゃら群なんちゃら科とかいう分類階級や馴染みのない学名は人を眠りへと誘う呪文である。
夢の白川さんが言っていたカイガラムシに聞き覚えがあった理由は、最近テレビ番組で取り上げられていたからだ。とある種は、抽出された色素が着色料になるらしい。また別の種は、香辛料になる植物に被害を齎す害虫扱いされて……。
テレビ番組の内容を思い出していると通話アプリから通知が届く。通話アプリに学級委員長をはじめとしたクラスメイトから年末の挨拶が並んでいた。生真面目なことだと思う反面、その心意気を持つ人たちの輪に自分が入っていることに安心感を抱く。
けれども、今は白川さんの近況の方が気になる。今何してるんだろう。まだ帰ってきてないのかな。
こういう時、通話アプリで気軽に連絡を取りたいが、白川さんは通話アプリを使っておらず、基本的に用があるなら電話しろってタイプ。誰かと繋がっていたい欲求は薄いのかもしれない。
通話アプリを閉じて電話帳を開く。とは言え、白川さんに電話を掛ける度胸は無いのだが。
白川さんに電話を掛けるなんて、体調を崩して意識が朦朧とした状態に身を任せない限りできない。向こうから掛けてくる分には、白川さんに手間を取らせたくないという使命感が働き、電光石火の如く即座に出ることができる。
ともあれ、せっかくスマホという便利な道具があるのに、何とも歯がゆい。
歯がゆくて、眠くて……。
『……もしもーし』
「……んぁ?」
意識が落ちるか落ちないかの狭間で揺れていたらスマホから音が。このまま寝ていたいんだが……。
『もしもーし』
スマホ越しでも明瞭とする発声。この声は……白川さん?
まさか……やばい、通話ボタン押しちゃってた。しかも出ちゃってるよ、白川さんっ。やばいやばいやばいって!
血の気が引いた体を起こして姿勢を正し、スマホを耳に当てる。
「もしもしっ、白川さん?」
『おう、私です。寝ながら電話を掛けてくるとは器用だね』
久しぶりに白川さんらしい少し皮肉を含んだ台詞を聞けて嬉しいのだが、ほぼ寝ていたから寝息を聞かれていた……。恥ずかしいが、そんなことはどうでもいい。またとない機会、このまま通話を継続するしかない。
「……えっと、もうこっちに帰ってきてるの?」
『うん。何か用?』
用かと言われれば、何してるのかな~って程度で、別に用と呼べるものではない。
でも、せっかく通話できたんだ、何か言わないと。フル回転しろ、私のぼんやり脳みそ。そこそこの話題を捻出しろ……そうだ、年末の挨拶。大事なことだ。
「ほら今日、大晦日だし、年末の挨拶を……みたいな」
『ご丁寧にどうも』
「えー、本年は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。来年も引き続きよろしくお願いします。えーっと、どうぞ良い年をお迎えください……」
『ほーい、良いお年をー。じゃあ切るよ』
白川さんはあっさりと電話を切ろうとした。
そうそう、これこれ。これなんだよ、白川さんは。柔和な感じがありつつも、塩分濃いめのそっけなさも併せ持つ。取り付く島のなさにビビっていると、あっという間にぶっちぎられて置いていかれてしまう。
だが、こちらは体が温まってきている。これまで通りに必死こいて食らいつく。
「ちょっと待って。今忙しかった?」
『いや、ゲームする程度には暇してたけど』
僥倖。スマホを握る手に力が籠る。
場当たり的な提案になるが、この時期恒例の話題と言えばあれしかない。
「初詣って行く予定ある?」
『ああ、初詣ね。そういえば今年行ってないなぁ』
「今はキャッシュレス決済でお賽銭できるところもあるんだって。時代の進歩だね」
『へー。三が日は冷え込むらしいし、別に行かなくてもいいかなぁ』
「そう……」
世情に囚われる人ではない気はしていたが……いざ、行く気の無い雰囲気を悟ってしまうと、肩が一段と重くなる。
『天気予報も当てにならないね。百井は行くの?』
「一応行く予定……」
『家族とかと?』
「いや、白川さんと行けたらいいなって思ってて……」
こんな出過ぎた真似、口にすることすら烏滸がましい。早く通話を切り上げる準備をしないと。
『誘ってくれないんだ』
「えっ」
誘う? 喧嘩の話?
『ふふっ。私、行くか行かないか迷ってるんだけどな~』
なにっ。初詣に行く気が無いと思っていたのは私の早合点か。
それなら。
「初詣、一緒に行こ!」
『うん、行こう』
特に感情が動いていないと思われる白川さんの返事。
そんな白川さんの何気ない言葉でも、私は、自分の存在が認められた気になってしまう。
『で、場所は?』
やっば。こちらから誘っている以上、場所の選定は私の役目。だが、下調べとか何もしていない。
こうなったら、自分がよく知っている場所をお出しするしかない。
「
私の生活圏内の神社で一際大きくどっしりと構える神社。三が日は付近の学校の校庭が駐車場として解放されるほど賑わいを見せる。
『あそこね。いいんじゃない』
「では、元日の午前中でいい?」
『元日は混むでしょ。二日がいいな』
「あ、うん」
何もかも行き当たりばったりだったが、初詣の予定は二日の午後に決まった。
『じゃあね百井。また来年~』
「はい、失礼します……」
白川さんとの通話を終了し、スマホを耳から離す。どっと疲れた。
そんなわけで、白川さんと初詣に行く約束を取り付けることができてしまった。しゃあっ。
でも待て。私なんかが白川さんと初詣に行っていいのか。
今更そんなことを考えてしまう自らの不甲斐なさのあまり、意味もなく部屋を歩き回っていると、本棚のアルバムが目に入った。
これは白川さんから贈られたアルバムだが、今は本棚の隙間を埋めているだけの代物。それでも、白川さんの残滓が宿り、一定範囲に癒しの効能を振りまいている、気がする。
最近の私は、白川さんの傍にいると呼吸がしやすい。居心地が良いとも言う。けれども、いつまでもこの状況が続くわけはない。今は偶然にも、誰も白川さんの傍に立たないから、私が辛うじて収まっているだけに過ぎない。だからこそ、その幸運を噛み締めて生きなければ。
もうすぐ年が変わるのだから、私の不甲斐ない性格も一緒に変わればいいのに。
願わくは、白川さんに言われるまでもなく、堂々とした人間になりたい。
それこそ、シャキッとした人間に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます