第八十一話

 一月上旬? 寒風が吹く冬空の下、制服を着て雪が積もる通学路を歩いていることだし、知らぬ間に冬休みは終わってしまったようだ。そもそも雪が降ったことさえ記憶にない。寝起きで頭がふわふわして朧気だが、今日は始業式、だよね。

 何も無い長期休暇だった、とは思えない。白川さんとの未代木沼散策は冬休み唯一の思い出。クリスマスイブから数日後、白川さんは遠方に里帰りしたので、それ以降一切遊べていないが。

 惜しむらくは白川さんの写真を撮っていなかったこと。何を呑気に亀の写真なんか撮っていたんだ私はっ。クリスマスイブの白川さんなんて滅多にお目にかかれるものではない。正直、そこまで特別感はなかったが、私の気持ちの問題。手元に記録が残っていないことがとても悔しい。

 でも、写真に撮られることがあまり好きそうじゃないんだよな、白川さん。少し前みたいにノリで誘うことを無意識に控えてしまっていた。

「……おぉ〜い、百井もんもい~ん! 待ってぇ~ん」

 話術を持たない自分の至らなさに背中を丸くしていると、誰かが猫撫で声で私を呼び止める。

「この鼓膜をくすぐるしっとりとした声は……白川さん?」

 不審な言い回しは気になるが、節々から感じる艶めく発声は白川さんに違いない。

 その場に立ち止まり振り返ると、いつも以上にテンションが高い白川さんが手を振りながら走ってきた。

(嘘……。あの白川さんがあんな風にドタバタと走るだなんて)

 普段の瀟洒な姿からは想像もつかない異常事態と言うべき状況。そして異常事態はそれだけにとどまらない。

「はあはあ……ふぅ。おはよっ!」

「おはよう……」

 横に並んだ白川さんは髪型がハーフツイン。制服ではなくフリフリしたフェミニンな服を着て、スカートの丈は脚の綺麗さが引き立つ短さ。あっ、ネイルしてる。しかも、ニーソックス? 脚ほっそ。厚底のショートブーツを履いて走れるのは流石の運動神経としか言いようがない。概ね白川さんが好む服装とは思えないが、ありえないほど似合っている。

 尤も、目に映る全ての状況に何一つ確証が持てない。今日は学校あるよね? うう、頭がカチ割れそう。

 そんな私を見て、白川さんはいたずらっぽく笑う。

「……あはっ、百井の顔ウケる。カイガラムシみた~い」

「カイガラムシって、何?」

「ねぇ、そんなことより聞いて聞いてぇ!」

 白川さんは私の左腕をぐいぐいと下に引っ張る。引っこ抜くつもりかと思うほど力が強い、強すぎる。

「いたた……なんか良いことあったの?」

 手を離した白川さんは勿体ぶる感じでいじいじと両手の人差し指をくっつける。

 有象無象が同じ仕草をしようものなら顔面に拳を叩き込みたくなるが、今日の白川さんは服装も相まって驚くほど様になっている。

 などと感心している気持ちは白川さんの言葉でかき消されてしまう。

「な・ん・と、私にぃ……彼氏ができましたぁ~!」

「……かっ、彼氏ぃ?」

「そう! 私もびっくり! 彼氏なんてできないと思ってたのに。これって、結婚願望が無い人に限ってすんなり結婚する現象と似てるよね?」

「よくわかんない例えしないで……というか、彼氏って……誰? どういう馴れ初めがあったの?」

 白川さんに彼氏がいない方がおかしい。

 でも、なんか、こう、あるじゃん。いきなりとかじゃなくて、兆候みたいなの。クラスで密かに話題になるとか。他校の男子とかそういうの?

「ん~、私たち友達だけどぉ、何でもかんでも話せる仲じゃないよねぇ……だからぁ……教えな~い」

「そ、そんなぁ……」

「ってことで、百井とはぁ、もうあんまり遊べなくなると思うけどぉ……これからも友達でいよーねっ! あ、友達って言うより、『引き立て役』だったね。あはははははっ!」

 大笑いした白川さんは、前方から突然現れた長いリムジンへ乗り込む。

 乗り際の白川さんの目つきには、興味が無いものを見る時の冷たさがあり、明らかな決別の意思が込められていた。

 私がどうこう言う問題じゃないが、相談とか情報を共有してもらえる立場にいなかった事実に胸を刺されて、ただ寂しい。白川さんが遠くに行ってしまう。

「待って……引き立て役でもいいから私をお傍に……そば……」

 零れ落ちる涙を拭うことを忘れて手を伸ばす。

 しかし、私の手を近づけまいと、白川さんを乗せたリムジンは法定速度を超える速度であっという間に遠くへ。途端に陽が落ち雨が降り始め、走り去ったリムジンの尾灯は嘲笑うように明滅を繰り返す。

 その場で崩れ落ちた私の体を冷たい雨が叩き、頬を伝う涙を無慈悲に流す。次第に周りの光景はぐるぐると渦を巻き意識が遠のいた。


「うぐぐ……待って、白川さん……なんか、全体的に……解釈違い……ううぅ……はっ!?」

 目が覚めて真っ先に目に入った見慣れた自室の壁。そして自分のベッド。布団は蹴っ飛ばしていた。

「夢……か。はぁー……」

 眼鏡を掛けてスマホを手に取り、日付を確認する。十二月三十一日の大晦日、正午過ぎ。

「よかった……まだ冬休みは終わってない」

 冬休みの残りはあと一週間ほどあることに安心したが、寝汗はだらだら、左腕を下にして寝ていたから痺れてる。

 クリスマスイブ以降、似たような夢を見ている。昨日の夢では、白川さんはどこかの外国に移住していた。その前は宇宙進出。多少の差異はあれど、どれも白川さんと疎遠になることが共通している。今の私からすると、友達が減る夢はしんどい。

 体を起こして呼吸を整えていると、部屋のドアがノックされる。

「お姉ちゃ〜ん、起きてる? 出前の蕎麦来たよ」

「そば……蕎麦、食べる」

 夜宵、よく出来た妹よ。

「風邪でもひいた? 大丈夫?」

「大丈夫。暖房の設定ミスったかも……」

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