第七十九話

 司書の先生は別棟の図書室にいると思われる。放課後の解放感で浮かれる生徒たちの間を縫って別棟へ向かう。

 途中、名前も知らない男子生徒たちから「俺たちとカラオケ行かね?」と声を掛けられる。誰だか知らない人たちとカラオケに行くとか怖すぎるので、これから取材に向かうことを伝え、そそくさとその場を離れた。

 こんな私より、暇している白川にでも声を掛けた方が有意義だろうに。


 別棟に到着。吹奏楽部の練習が始まり賑やかな本校舎と違って別棟はひっそりとしている。もしこの学校に七不思議があるなら、いくつかの話はこの場所一帯から湧き出ることだろう。恐ろしい……。

 思えば、取材と言っても何を聞けばいいのやら。

 大人を相手に、当たり障りのない内容を引き出して穏便に済ませられるかなぁ。他の面子は別の仕事を割り振られているから、示し合わせてのなんちゃって良い警官・悪い警官戦法は使えないし。

 そんなことを考えながら階段を上っていると、廊下側から笑い声が聞こえてきた。

「わかる~、あのロン毛キモいよね……あ、ももちゃんだ」

 我が物顔で廊下に座り、私に向かって手を振る女子生徒の名は檀歩美。横には薄ら笑いを浮かべる桑原智子と瞑想に励む二階堂響が並ぶ。飲食物の存在から大いに寛いでいる。

 午後の授業でこの三人の顔を見なかったが、どうやらサボっていたらしい。比較的治安の良いこの学校の校内で堂々とサボるとは怖いもの無しかこいつら。

「どうも……」

 正直、愛称で呼ばれるほど親交は無いと思っているのだが、なぜか私はこの三人によく付き纏われている。まあ、孤立するよりましなのかもしれない。けれども、少々煩わしいと思ってしまうことが最近の悩み。

「大将、ちょっと他人行儀すぎ。うちらマブっしょ?」

 桑原はそう言い、八重歯を見せて笑う。

「そうそう……あっ、ヤバっ」

 檀は飲んでいたパックのミルクティーを倒して中身を床に零し、廊下に小規模の水溜りが出来上がった。

「何やってんの。あんた赤ちゃんかよ」

「雑巾を取ってこい、檀。それか啜れ」

「うわっ、びっくりした……」

 目を閉じて静かだった二階堂が急に声を発した。

「あ、響起きた。ほら、雑巾取ってきな」

「えー、誰か掃除するって。いこいこ。じゃあね~、ももちゃん」

「お前は部活行け」

「やだよ。体力作りでランニングとか馬鹿みたいじゃん」

「言えてる~」

 三人は水溜まりを放置し、笑い声と共にその場から立ち去った。

 私も惨状を放置して図書室へ足早に向かった。私が零したわけじゃないのに、掃除なんてしてたまるか。


 図書室の入り口の傍に司書室があるのだが、飛び込みで話を聞く度胸は無い。

 一先ずワンクッションを挟みたいので、図書室の中へ。

「まったく、めんどくさいな雨宮のやつ……私に聞かず直接聞けばいいだろうが。つか白川も帰宅部なんかに身を落として……」

 貸し出しカウンターにいた図書委員はぶつぶつと呟きながらスマホを弄っていた。

「あの~……」

「ああん? あっ、百井さん……ちっす」

 この女子生徒とは初対面のはずだが名前を知られていた。多分同級生。

「新聞委員会の仕事で司書の先生に用があるんですけど、いますか?」

「藤代先生なら今は事務室に行ってますよ……へへ」

「そうなんですか。いつ頃戻りそうですかね?」

「さあ、わからないですねぇ。ここだけの話、事務員の仕事もやらされて忙しいみたいなんですよ。起案書とか旅費がどうとか」

 女子生徒はこっそりと耳打ちをくれた。

 仕事が忙しいなら、なおさら時間を取らせることに気が引けてしまうなぁ。耳打ちの内容を司書の先生から聞いたことにしちゃおうかな。うん、そうしよう。


 図書室を後にして新聞委員会が活動している教室へ向かう。先の惨状はそのままだろうけど、見て見ぬふりを貫く。

 連中の尻拭いなど絶対にしないという決意を抱いて来た道を戻ると、ちょうど水溜りのある場所には人がいた。

 あの目立つ髪の色は間違いない、白川だ。閑静な空間に場違いな人物が膝をついて床を掃除していた。

 私はこの惨状を知った上で見て見ぬふりをしていたのに、無辜の優等生が後始末している光景に深い罪悪感を覚えた。

「……なにしてるの?」

 つい白川に声を掛けてしまった。罪悪感を雪ぐためだと思うと自分が惨めでしょうがない。

「わっ、百井さ……」

 白川はゆっくりとこちらを振り向いた。驚いた顔には普段の凛々しい印象とは打って変わって年相応の子どもっぽさがあった。

「え~、何? この惨状は」

 間をおかず、階段の方から学年主任兼生徒指導の門原先生が現れた。

「えっと、その……」

 門原先生のよく通る声には委縮してしまう。厳しい指導を行うともっぱらの評判であり、生徒から鬼教師的な扱いをされて恐れられている。

 特に、見て見ぬふりをしていた私は、良心の呵責でより縮こまってしまう。

「ここで誰かが飲み物を零したまま放置したみたいで、それを見かねた私たちが掃除していたんです。ね?」

「え……あ、うん」

 情けない私とは違い、白川は門原先生に物怖じせずスラスラと状況を説明した。通りすがりの私もいい感じに巻き込まれた。

「あら、そうなの。流石はの娘さんね、感心感心。どれ、先生も手伝うわ」

「ありがとうございます」

 そんなこんなで私も白川の手伝いをした。

 白川の手際の良さから、この子が学校の清潔を保つ美化委員会に所属していることを思い出した。

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