第七十三話

 ようやく開けた視界が映した青空は澄み渡って清々しかった。

 アメリカンフットボールなら屈辱的だろうなぁと、どうでもいいことを考える余裕ができたから状況を確認する。

「いだだだ……」

 百井は私の鳩尾の辺りに鼻先を突っ込んで呻いていた。受け身を取ろうとしていたので、両手を広げて私の胴体に覆いかぶさるような形になっている。

 倒れた拍子でマフラーのところどころから髪の束がすっぽ抜け、そのいくつかが私の顔に掛かり口の中に入りそうだったので手早く、かつ丁寧に避ける。

「大丈夫?」

 百井のつむじに声を掛け、背中を数度叩く。

 すると百井は顔をゆっくりと上げ、眼鏡を掛け直した。

「平気……ありがとう」

「眼鏡も無事そうだね」

「私のことより、あの、思いっきりのしかかっちゃって……」

 百井は申し訳なさそうに言った。

 特に痛む箇所は無い。百井の体の重みも布団とさして変わらない。

 強いて言えばタイツが捩れて居心地が悪いくらいなものなので。

「……あ、いたたた。肋骨の七、八本はオシャカになっちゃったかも」

「だとしたら、平常じゃいられないよ……」

「冗談はさておき、起き上がってくれると嬉しいな」

 私が言うと、百井はお腹の上でモソモソと動いて体勢を整え、芝生に両手をついた。

 何が悲しくてクリスマスイブの寒空の下、女同士で体を密着させなければならないのか。私は別に構わないけど、百井からしてみれば途轍もなく寒々しいものだろう。

 あと、脚を開いた体勢もちょっと恥ずかしい。

「よいしょっと……」

 百井が体を起こそうとすると、私のコートの胸元が何かに引っ張られてビンっと張った。

「ちょっと待って。なんか絡んでるッ」

 私のコートのボタンと、百井の襟元のトグルボタンの紐が絡んでいた。

「ごめんっ、すぐ外すから……」

 百井は絡まったボタンを外すために先の体勢に戻り、私の胸元で手を動かし始めた。

「危うく今日一のダメージが入るところだった」

 私の必死さを察した百井の手つきは張りつめていた。そこまで複雑に絡み合ってるわけでもないし、落ち着いている私がやったほうが早い気もする。

 けれども、一生懸命に手を動かす百井を間近で見ていると、そんな気は次第に薄れていった。


「外れた!」

「よくやった」

「えへへ……」

 一仕事終えた百井は、私のお腹に顎を乗せて眼鏡の奥の目を細めた。

 何故悠長な感じになっているのかは知らないけど、さては目的を忘れているな?

「あの、起き上がってくれない?」

「……す、すぐ退くからっ」

 機敏な動作で起き上がった百井に続き、私も体を起こして立ち上がり、お尻の辺りについていた砂を払う。

「ふう。とんだハプニングだったね」

「白川さん、これ」

 髪の乱れを整えた百井が吹っ飛んでいたバッグを拾ってくれた。

「ありがと」

 受け取ったバッグの汚れを払う。買い換えにはまだ早い。

「中身は大丈夫?」

「大したものは入ってない」

「そう……あ、背中に草がついてるよ」

「なにっ」

 背中の芝生に接していた箇所を適当に払う。しかし、手応えは無い。

「ここに、ほら。ああ、髪にもついてる!」

 百井は摘んだ草を見せながら、目を見開いてとんでもないことを言った。

「それはシャレになってない」

 非常事態だったので、マフラーをほどいて首を振って髪の毛を揺らしたり、手袋を脱いで髪の毛に手櫛を入れる。

 百井の言う通り、指の間には乾燥した細かい草がいくつか挟まっていた。

「どう? 完全に取れた?」

 百井に背中を見せる。

「えっと……まだ、取れてない」

「え~。お手を煩わせて悪いんだけど、取ってよ」

「私なんかが……いいんですか?」

 何を戸惑っているのやら。

「私に、頭に草をつけたまま歩けと?」

 私が更に促して、ようやく百井は観念した。


「……ごめんね、白川さん」

 百井は私の髪の毛に指を通しながら何か呟いた。

「何?」

「あ、いや……髪、切ったでしょ」

「よくわかったね。傷んだ部分をほんの少し切っただけなのに」

「わかるよ」

「え、こわ」

「こ、これくらい誰でも気付くよ」

 百井の洞察力の進化は留まる所を知らないようだ。

 そんなことよりも。

「まだ終わらないの?」

「もうちょっと」

「はあ、竜田揚げでも食べたい気分だ」

「鶏肉は避けようって……」

 程なくして草の除去が終わったので、崩した身だしなみを整え、昼食を求めて付近の道の駅へと向かった。

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