第七十二話

 国道へ繋がる道路を渡り、歩道と林を隔てる金網を横切ると、傾斜がついた芝生に囲まれる四角形の貯水池が見えた。

 広さは駐車場付きのコンビニが四つほど建っても余るほど。水が溜まれば浅いプールと呼べる深さがあるけど、内側の隅に枯れ葉が大量に溜まっている様子から、最近は水が溜まることが無かったようだ。看板曰く、底が乾いて危険が無い場合、自己責任で自由に利用できるらしい。

 案の定、人はいない。こんな辺鄙な場所でクリスマスイブを過ごす物好きはごく僅かだろう。

「こっちに来たこと無かったけど結構広いんだ。お、なんかレールみたいなのが置いてある」

 入ってすぐの一角には、二メートルほどの鉄パイプでできた無骨なレールが数個置かれていた。

「スケボーで使うやつだね。向こうにはジャンプ台も置いてあるよ」

「ふーん。置き忘れにしては豪快すぎない?」

「昔から置きっぱなしだから、共有の遊び道具なんだろうね」

 物の放置が容認されているあたり、付近の地域性が察せられる。良い捉え方をするならば、ローラースポーツに寄り添った場所なのだろう。コンクリートの路面のあちこちに残るブレーキ痕が、その印象を更に強める。

「で、古の記憶は蘇った?」

「ここで間違いないよ。あのポンプ設備とか見覚えあるし」

「ならいいけど。それにしても、こんな場所に鶴って来るのかな」

 この場所は四方に林が生い茂っているけど、未代木沼に比べると開けた感じで野生動物が潜んでいそうな雰囲気は無い。加えて水が溜まっているかどうかも天候により、餌場としても不適格な気がする。

「来るとしても林の方だと思う。私の場合はボール遊びでもしていて、林の方に飛んだボールを探しに行った、とか」

「それで群れからはぐれた方向音痴の鶴と運良く遭遇エンカウントしたと。まあ、妥当な線だね」

「なのかなぁ」

 百井は自信なさげに言った。


 諸々の要素を鑑みて、林の方に狙いを絞り、貯水池の芝生を歩くことになった。鶴の姿を求めて目を光らせる場違いな女二人は、事情を知らない人からすれば怪しいことこの上ない。

 開けた場所だから林を掻き分けて進むような時間を要する場所は無く、あっという間に貯水池をグルっと一周。

 しかし、期待も虚しく、何も成果を得られず徒労に終わる。

「いないねぇ、鶴」

「今の所、農家の施策も効果が無いみたいだね……」

 肩を落とす百井。よほど鶴の存在を確認できなかったことが悔しいと見える。

 無念さを含んだ百井の左肩をポンっと叩く。

「ツキが無い日もあるよ。そろそろ切り上げよう」

「え、もういいの? まあ、諦めも肝心だよね」

「それもあるけど、お腹空いちゃった」

「言うと思った」

 百井はやれやれといった感じだった。

「せっかくだし、スケボーの道具を見ておこう」

 最後に物珍しいスケートボードの道具の見物も兼ねて、貯水池の内側を見て回った。


「むむ」

 灯台下暗しと言うべきか、スケートボードの道具が置かれた一角で丸みを帯びた形状の白い羽根を見つけた。

 鳥博士ではない私たちでも見つけられる鶴の手掛かりだった。

「白鳥の羽根だよね、これ」

「多分。尾羽かな」

 詳しく調べるまでもなく、そんなところだろう。白黒の風切羽くらいではないと期待感は膨らまない。そもそも羽根が落ちていても、付近に鶴がいるとは限らない。

「……やっぱり見間違いだったんだなぁ」

 百井は再び肩を落とした。

 私の見立てでも、百井の見間違いだと思わなくもない。恐らく頭を怪我した白鳥や鷺の見間違いが関の山。

 ただし、この程度の散策で思い出の真相を変えることは早計だ。

「見間違いや魍魎の類との遭遇よりも、鶴を見たってほうが私は良いと思う」

「魍魎……過去は都合よく美化しろってこと?」

「それはものによる。今回はそっちのほうが……羨ましいからね」

「羨ましい?」

「私だって野生の鶴見たいのに、百井が先を越していたなんて、なんかずるい」

「……白川さんがそう言うのなら、その方針で!」

 百井は力を宿した瞳になり、ガッツポーズを決めた。私の羨望で退路を断てるなら安いもの。

 幼少期の体験は未知の連続。どれも瞳には新鮮に映り、大切な思い出として記憶される。

 それでも、重要度の低い思い出は、成長につれて脳裏から淘汰されていく。たとえ忘れることが無いと思っていても、際立った体験しか記憶に残らない。

 私の最も古い思い出は幼稚園で年長だった頃、幼稚園の敷地に用も無く現れた不審者を、園長先生が穏便に説き伏せてお縄につかせた現場に居合わせたというもの。あれ以降、後ろ回し蹴りがちょっと好きになった。

 当時の無垢な百井は、鶴らしき存在との出会いに感銘を受けたからこそ、今になっても覚えていたのかもしれない。

 これは私の我儘だけど、今日の散策で鶴が見つからなかった程度で自分の思い出を改変しないでほしい。

 得難き体験に興味を引かれた私の立つ瀬が無いから。


「さぁて、ご飯ご飯。何食べよう」

 少し遅めの昼食を想像しながら貯水池と芝生を仕切る段差を跨ぐ。

「鶏肉は避けようかな……あっ」

 振り返ると、百井は手で太陽を遮るようにして空を見上げていた。

「なんかいた?」

 百井の目線の先を追うと、空には白い飛翔体が滑空していた。

「まさか、鶴……いや、あの飛び方は」

「鷺だね」

「はぁ~、残念……うわっ!?」

 よそ見していた百井は段差に躓き、前方に倒れた。

「危ない!」

 芝生側にいた私はバッグをかなぐり捨て、倒れる百井の脇腹に手を回して受け止める。

 咄嗟の事だったので上手く支えきれず、私も体勢を崩して尻もちをつき、受け身も取れないまま百井の下敷きになった。

 芝生の傾斜が幸いし、体中を駆け巡った衝撃は軽いものだった。しかしながら少し視界が定まらなくなったので、回復するまで体に重みを感じたまま、しばらく芝生に体を預ける。

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