第七十一話
「鶴らしき存在を見たのって、いつ頃の話?」
私が歩きながら聞くと百井は「ううん」と唸った。
「幼稚園の頃で、確か……秋の遠足だったかな」
「なら、ある程度の人数が見たんだよね」
「他の人……いたような、いないような……もう記憶が朧気でね」
「一人で迷子になった覚えは? 風車を探して神隠し。それとも、宇宙人に
「そ、それは無いよ。もし迷子になってたら大騒ぎになってたと思うし」
「なぁんだ。宇宙人に連れ去られて頭ん中に鉄片を埋め込まれた経験は無いんだね」
「そんな経験あってたまりますか……白川さんだって無いでしょ?」
「どうだろう。知らぬ間に改造されてたかも」
私はそう言い、頭を指でつついた。
「やめてよぉ、別の脅威が湧いてきたじゃん……未知の侵略者による平穏な日常の浸食……ううぅ」
「心霊現象と宇宙人の脅威。どっちが怖いの?」
「どっちもー! なんかもう恐怖心が裏返りそう……」
百井は顔の血色を良くして憤った。
根源的な恐怖に宇宙のロマンをぶつけて相殺する作戦はうまくいきそうだ。
メインの沼に到着。
広大な水面は開放感があり、日頃の生活で削れた精神に新鮮な安らぎを齎してくれる。
周りを見た限り、親子がキャッチボールしてたり、老人が飼い犬と散歩しているくらいで、ほぼ貸し切り状態と言っても過言ではない。
「やっぱり蓮は枯れてるね」
百井は肩をすくめて言った。
本来であればこの場所で一番の目玉となる鮮やかな蓮は休眠期に入り、項垂れるように枯れて水面を埋めている。見るも無残な状態だけど、夏には花を咲かせていたと思うので、その様子には時の移ろいを感じさせる。
「とりあえず、鶴の痕跡を探しながら道通りに歩こうか」
「うん。デッキの方に行ってみようよ」
「そうだね」
蓮を近くで見るための岸辺からせり出す木製のデッキは、遠目で見ても頑丈そうな作りのものに変わっていた。
「わ、十二月なのに亀が甲羅干ししてる」
岸辺に放置された太い木の枝の上には亀が寄り集まっていた。鶴と亀の両方を見つけられたら縁起を担げてしまいそうだ。
「今年は今の時期に桜が咲いたりして変な気候だもんね」
「へぇ~、こんな風に並ぶんだ。面白」
百井は携帯電話を取り出し、亀の写真を撮ろうとして岸辺に近づいた。
「待って。亀は警戒心が強い」
「え、呑気そうだけど……」
「意外と敏感だよ。全員こっち見てる」
「嘘……確かに、なんか足バタつかせてる」
「あと一歩近づいたら絶対水の中に潜る。写真撮るならここでだね」
「うう、ズームが足りない」
百井はそう言い、写真を撮った。
その後も遊歩道を道なりに歩き、無人の神社に立ち寄ったり、木々がより一層に生い茂る西側で白鳥やマガモの群れを発見した。しかし、鶴は見る影もない。
「一通り見て回ったけど、思い当たる場所はあった?」
「思い返すと、こんな広い場所じゃなくてもっと狭い場所で見たような……うーん」
「鶴がいてもおかしくない狭い場所ねぇ。あるかなそんな場所」
「……あ、こんなところに道がある」
有益な手掛かりが無い中、百井が茂みの中に車の出入りが窺える道を見つけた。
「獣道ではなさそうだね」
「ここから道路に出られるみたい」
「ってことは、池に続く道がここか」
「池なんかあったっけ?」
「駐車場の看板に書いてあった。雨水を溜める池なんだって」
「あ、そんな場所あったね。雨が降らない時期は広場として使えるんだとか」
百井は知っている様子なので、もしかすると狭い場所とは雨水貯水池のことかもしれない。図らずも現れた手掛かりに少々の疲れは吹き飛んだ。
「よし、行ってみよう」
百井が頷くと近くの茂みは音を立てて揺れた。
「えっ、何……?」
「猪かな? もしかしたら熊じゃない?」
「熊!?」
「さっきのバス停の林に捕獲用の罠が置かれてたよ」
「ええ、そうだった?」
「冬眠しそこねた熊がいてもおかしくないからね。どんなものにも例外はある」
「今回がその例外だとしたらヤバいって! 熊の膂力が可能にする強烈な一撃の前には人間なんて瞬く間にタンパク質の塊にされちゃうよ!」
百井はぺらぺらと喋り、私の背中にぴったりとくっついた。
「落ち着いて。あと、動きづらいから離れて」
「ん」
「ほら、あそこを見なさい」
私が遠くの木の枝を指差すと、百井は指で眼鏡を掛け直した。
「何? あの黒いペットボトル。不法投棄?」
「害獣避けの
「あんなので効果あるの……」
「さあね。ん、茂みの動きがより活発に」
「うう、鶴亀鶴亀……」
百井が縁起直しの文句を唱える間もなく茶色い塊が姿を現した。
「ヴッフ、ヴッフ……」
茂みから現れたものは体毛に乱れのない一匹の狸。
丸々とした魅惑の体つきから、一瞬小熊かと思い、肝を冷やした。
「なんだ狸か。放っておこう」
「うん……え、なんかめっちゃ近寄ってくる」
狸は地面の匂いを嗅ぎながら百井の足元へにじり寄った。幸いなことに私には興味が無いらしい。
「なんか美味しいものでも持ってきたの? ビーフジャーキーとか」
「持ってきてないよぉ。うわっ、ちょっと!?」
百井は狸の鼻先を避けるようにタップダンスを踊った。
「放っておくには無理がありそうだね」
「靴は、靴はやめてッ」
狸は臆病と聞くけど、この人慣れした様子に百井の身の危険を感じた。
今の私たちには野生動物と仲良くする術を持たぬゆえ、ここは刺激せず穏便にお引き取り願う。
とは言え、準備もなく無計画に触るのは現代人らしからぬ。
「仕方ない、ん-っと……百井、そこの木の側に寄って。静かに」
私は周りの木から手早く良さげなものを選出し、落ちている大きめなドングリを数個拾った。
罪なき野生動物たちを威嚇することは心苦しく思う。
けれども、今の百井の時間は私が占有していることは理解してもらわないとね。
「こ、ここら辺? おっとと」
「そう、そこがいい。なるべく声は抑えてね」
「えっ?」
私は百井が近寄った木の枝に狙いをつけ、ドングリを親指で弾いた。
直線的に飛んだドングリは枝に命中して枝葉を数度揺らした。すると、けたたましい鳴き声と羽ばたきを伴った黒い影が宙に散った。
それは数羽のカラスだった。その騒がしさにようやく臆病さを見せた狸は茂みの中に消えた。
枝葉が落ちる中、百井は「んーっ……!」と悲鳴を押し殺していた。
「悪いね、カラスたち。狸も車に轢かれないでね~」
「……お見事」
頭に一枚の葉を乗せた百井は気の抜けた感じで言った。
「一先ず、ここを離れよう。カラスは仕返ししてくるから」
私はそう言い、百井の頭に落ちた葉を取ってあげた。
百井の髪に葉を触れさせてしまったから、あまり良い手ではなかったな。
「追ってはこないみたいだね」
私は後ろを警戒しながら言った。
「なんだったんだろう、あの太々しい狸」
「餌でも貰えると思ったのかな。あなた、動物に好かれる質なんだね」
「私にそんなメルヘンチックな才能が……」
「舐められやすいとも言う」
私が言うと百井は不機嫌そうな顔をした。普段からよく見るその顔は眼鏡を掛けていても変わらないようだ。
「というか、さっきの何? なんか飛ばしたよね」
「ドングリを指で弾いたんだよ。カラスがとまってる枝を狙ってさ」
「なるほど〜……待って。納得しかけたけど、そんな漫画みたいなことをしたの……」
「うん。枝を揺らすには威力が足りないと思ったから、実は二連射したんだよ。気付いた?」
「いや、全然……」
話していると道路が見え、貯水池の看板が目に入った。
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