第六十九話

 冬休みに入ってから最初の土曜日。

 天気予報曰く、今年の冬は来年にかけて暖冬傾向にあるらしい。

 日中は日差しもあり過ごしやすいとは言え、夕方の冷え込みは例年通り。

 なので、日が高いうちに行き付けの美容院で髪の毛のメンテナンス。

 暖房の心地の良さにウトウトしながら施術を受けつつ、二日後のクリスマスイブに行う未代木沼の散策に思いを馳せる。


「未代木沼で? 冬場に心霊スポットって、身も心も凍り付いちゃう……」

 百井は当初、散策に乗り気ではなかった。

「嫌なら代案を出しなよ」

 未代木沼は蓮の開花時期を除けば観光客は滅多に訪れない。人混みを避けて暇な時を過ごすには打って付けの場所。

 加えて、鶴に関しては町の広報誌から有益な情報を掴んでいた。

 近年、県南の有志の農家が野生の鶴を呼び寄せるため、収穫後の田んぼに水を張って餌となる生物が住む環境を整える施策を行っているらしい。

 これだけでは遭遇の可能性は、未確認飛行物体UFOを呼ぶために宇宙そらに向かって交信し続けることと同じく無に等しい。

 けれども、暇を利用して散策するだけの値打ちはあるだろう。

 鶴がいてもいなくても、少なくとも景色は楽しめる。

「ううっ……うううう~……」

 結局、百井は案を出せなかった。

「記憶に残るイブになりそうだね」

「トラウマが、刻まれる……」

「心霊スポット云々の話は単なる噂だよ。私もいるんだから安心しなさい」

「頼もしい……なんだか鶴もいそうな気がしてきたよ」

「結局は鶴の気分次第じゃない?」

「私の気分の問題もあるのッ」

 百井はその後も煮え切らない態度だったけど、未代木沼付近の道の駅で地場産品を使った料理を食べることでようやく納得した。

 今思えば、なぜ誘われた側の私があれやこれやとプレゼンしていたのか。まだまだ口八丁には程遠い。

 そのおかげでクリスマスイブの究極の主導権は私の手の中。遠めでもいいから鶴を拝みたい。

 もし遭遇できたら、百井には鶴の頭の赤い部分の感想を聞いてみたいものだ。


 施術が終わり、気分は最高潮。

「トゥルトゥルになりましたよ。いかがですか、お嬢」

 担当美容師の由良里ゆらりさんが鏡で後頭部を見せてくれた。

 二十代半ばにして比類なき腕前を持つ、パンクファッションが似合う女性。

 その洗練されたハサミさばきは、髪の毛のみならず、人との悪縁すらさっぱり断ち切ると評判である。

「いい感じです。ありがとうございます」

 無計画に伸ばし始めた髪の毛は、由良里さんとの相談もあって目立つ傷みは無い。

 髪色は私のチョイスだけど、髪質に適した髪型はこの人が提案してくれた。

 当初は手入れに難儀した髪型も、今となってはお気に入り。

「恐れ入ります。これでイブの予定もバッチリですね」

「うぃっす」

 困るなぁ。

 クリスマスイブの予定を心待ちにしている浮かれポンチだと思われている気がする。

 百井との散策は日にちがクリスマスイブというだけで、普段の遊びと何ら変わらない。

 私は浮かれていない。断じて。

 

 残量が乏しかったシャンプーなどを買って会計を済ませた。

「お嬢、お気をつけてお帰り下さい」

「今年もお世話になりました。来年もお世話になります」

「いつでもお越しください。良いお年を」

 由良里さんと手が空いている他の従業員の見送りを受け、店を出た。

 さて、どこでお昼ご飯を食べようかな。

 とりあえず街の飲食店が集まる区域を目指す。

 マフラーを巻く前に、ほんの少し軽くなった髪の毛に指を通す。中々の指通りと良い香りで歩みの軽やかさは増す。

 不思議なことに、このトリートメントと同じ香りを最近どこかで嗅いだ覚えがある。

 考えを巡らせるため、再び髪の毛に指を通す。

 しかし、今度は吹いた風が香りを流してしまう。

 何より首元に吹き込む風の冷たさと空腹でそれどころではない。

 今の優先事項は温かい場所で食事と思い、しっかりとマフラーを巻いた。


 クリスマスイブ当日。

 体調は良好で、普段よりも化粧のモチベーションは高かった。

 やっぱり髪の毛の調子が良いと万事上り調子だ!

 気持ちを更に押し上げるように天気は晴れ。もう今年は晴れの日しかないとテレビの気象予報士は熱弁していた。

 そう思わせるほどの陽気の中、余裕を持って到着した待ち合わせ場所のバス停で百井を待つ。

「おっはよう。早いね」

「来たか百井。おはよう」

 道路を挟んで向かいの林の方を見ていると、遅れて百井がやって来た。

 百井の服装は、今にもデートへ赴く恋する乙女のような流行を抑えた冬の装い。赤と黒のチョイスは中々に映える。私の飾り気の無い動きやすい服装とは対称的。

「今日、温かくてよかったぁ。白川さんは相当温かそうだけど」

「まあ、しんどかったら脱げばいいからね」

 保温性の高いコートは厚着のしすぎではないかと懸念していたけど、むしろちょうどよかった。天気は気まぐれなもの。着込むに越したことはない。

 そんなことよりも、気になることが一つあった。

 百井が……眼鏡を掛けている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る