第六十五話

「…………良い歌詞だなぁ……ん、もうこんな時間か……ま、いっか。そういえば、さっき白川さんが言ってたの……確か……トゥールビヨンだっけ……ふーん、土星みたい……えっ? 七桁……!?」

「……んぅ……」

「やば……値段に驚いてる場合じゃない。白川さん、寝返りしちゃった…………静かにすれば、また撮れるかな、寝顔……むしろ仰向けの今こそベストなタイミングでは……?」

「……んー……」

「……いや。いやいやいや、ダメ。絶対ダメ。惜しいけども、今回は時間も時間だし……そろそろ起きて、白川さん、白川さ〜ん……」

「……んん…………はっ!?」

「わっ! 危なっ」

 意図せず深く眠っていた私は思わぬ事態に肝を冷やし、顔を俯けて私の顔を覗き込んでいた百井の顎に額をぶつけそうになる勢いで飛び起きた。

 途中、百井の側頭部から降り注ぐ髪の毛で構築された黒いカーテンを通過したけど、その絹のような柔らかさに思いを馳せている場合ではない。

「私、どれだけ寝てた!? 今何時!?」

「えっと、そろそろ店員から電話が掛かってくる頃合いかな……」

 百井は私が腕時計を見る前に答えた。

「かなり寝ちゃった……それに、いくら勉強のために来たとは言え、こんな枕にして拘束しちゃって……」

「いやいや、問題無いよ」

「私としたことが……ゲホッ、涎とか垂らしてない……?」

「うん、大丈夫。それより咳出てるけど平気?」

「咳? ああ、喉の慣らしが足りなかったかも。カラオケに来たの中学以来だから」

「そう……気を付けてね、この時期乾燥するから」

「平気平気……あ、過信しちゃダメだ……私、やっぱり調子に乗ってる」

「白川さんが?」

 百井は怪訝そうな顔をした。

「うん……あなた、明日、誕生日でしょ」

「え? ああ、うん……」

「いい感じの誕生日プレゼントを探してたんだけど、適当な物が見つからなくて、ここ最近はずっと悩んでたの」

「そうだったんだ……」

「色々あって相応の物が用意できたっていうのに、それで浮足立ってこの様だよ」

「そこまで悲観するほどでもないと思うよ。うん」

「あと、思い返すと、百井は誕生日祝われるの嫌そうな感じだったし、頭の片隅で私だけ突っ走ってる気がして……」

「ちょっと待って。私、自分の誕生日に後ろめたい気持ちは一切無いから! どうぞ心清らかな感じで祝っていただけると幸いです!」

 百井は流暢に語った。

「でも誕生日の話題になると気まずそうだったじゃん」

「それは、そのなんていうか……白川さん、だから……?」

「私だから? しつこかったってこと?」

「いや、そうじゃなくて……えーっと、白川さんなら小洒落た物を用意してきそうだなって……そういう期待が緊張に変わって表に出てたのかも……」

「な~んだ、ただ期待されてただけなんだ。それならよかった」

 困難を極めた百井への誕生日プレゼント選びは、私が勝手にひりついたタイトロープだと思い込んでいただけで、そこまで過酷なものではなかったようだ。

 まだ物を渡していないから本番はこれからだけど、何かと苦慮した日々は、ただ楽しかっただけのものとなった。

「あはは……あ、来た」

 部屋の入り口近くの壁に設置された電話が鳴る。百井と一度顔を見合わせる。

「私が出るよ。今のところ、私のほうが年上でお姉ちゃんだからね」

 私は百井に本日限りのマウントを取り、店員からの電話を取った。百井は何とも不服そうな顔をしてこちらを見ていた。


 時間を延長することなく、レジで清算を済ませて店の外へ。もはや日は暮れ肌寒く、時間帯は帰宅ラッシュ。辺りには忙しなく人が行き交う。

「今度は普通に歌う目的で来ようよ。テスト明けとか」

 百井は気の早いことを言った。

「気が向いたらね。そうだ、誕生日プレゼントだけどさ、お米持ってくるから」

「……それってもしかして……米俵とかで?」

 百井は冗談なのか計りかねる真剣な面持ちで言った。

人の家ひとんちの食費を過度に浮かせる趣味は持ってない。それじゃあ、また明日」

「ちょ、ちょっと待ってよ。のど飴持ってって」

「ん、のど飴?」

 百井はカラオケのレジ横に陳列されていたのど飴をいつの間にか買っていたようだ。

「というか全部。それじゃあ、バイバーイ!」

 百井はのど飴を袋ごと私に手渡して人混みの中に消えた。

「……羽振りがいいな。というか私が贈る側なのに」

 百井の思い切りの良さに、私はらしくもなく独り言ちた。


 その日の夜。私は暖房を効かせた自室でカラオケでの勉強会の成果を参考にテスト勉強。

 けれども、明日のことが気になって勉強に身が入らない。

 百井の誕生日を祝うのは初。特別扱いはしたくないけど、不思議と心が逸ってしまう。学校に忘れずに持っていくために勉強机の上に載せている、ブランド米食べ比べセットと自分でラッピングしたもう一つの誕生日プレゼントが目に入ってしまうのがいけないのだろうか。

「んっ……ゴホッ、ゲホッ! ゲホッ!」

 そして、どうも喉の調子が悪い。

 今一つ身が入らない勉強をそこそこのところで切り上げ、百井から貰ったのど飴を一粒口に入れる。パッケージに大きく記されたプロポリスという成分が喉の炎症に効くらしい。

 パッケージを見ている内に、午前零時が迫っていた。

 せっかくなので日付が変わった瞬間を狙って百井に連絡してみようか。いの一番に百井を祝ったことになるかも。尤も、誕生日を祝うなら早い遅いに固執するより、純粋な祝う気持ちが肝要。しかし、落ち着かない。

 そういった気持ちを晴らすために携帯電話の電源を入れる。喉の調子を鑑みて電話ではなくメールを送ることにした。

 メッセージアプリならもっと気楽なのだけど、アプリを再インストールする気にならないのは、未だに煩わしさが勝ってしまうからだった。こんな私にわざわざ合わせてメールを用いてくれる百井や樋渡や神長には頭が上がらない。

 手短な祝いの旨を伝えるメールを作成し、午前零時に合わせて百井に送信。

 のど飴のおかげで喉の調子が幾分か良くなってきた頃に、百井からメールの返信が届いた。

 百井から届いたメールの内容は突飛なものでも無関心なものでもない、唯一私だけが読める百井らしさが出たものだった。

 それだけで明日、百井に会うことが、より一層楽しみになった。

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