第六十四話

「どう? 良さげでしょ」

 頭の上から聞こえる百井の声は自信に満ちている。しかし、

「ちょい、首が痛い……」

 百井の膝枕の寝心地はこのソファーと同じく自室に置きたいほど快適だけど、このままソファーの沈み込みに身を任せて体を休ませるものなら首を痛めること請け合い、と私の膝枕遍歴で構築された脳内膝枕データベースが警鐘を鳴らしている。

「ああ、やっぱり。うーん、どうしたものか……」

 横目で百井を見上げると、忌々しそうに右手でソファーの弾力を確かめていた。その動作による僅かな余波が百井の太ももを経て私の頭を少し動かす。

 ともあれ、この問題はそう呻吟するほど難しいものではない。私の微睡む頭でも容易く解決法を導ける。何を隠そう、私は今まで自分の膝の上を他人に貸すことが皆無だったけど、他人の膝の上を借りることに関して言えば多少の心得がある。

 まず、膝枕とは古来より人と人との信頼関係によって成り立ってきたものである。親と子や恋人同士の間に生じる親愛に基づく気持ちなどがそれに該当し、膝枕という非効率的なものを可能にする。

 尤も、私と百井は多く見積もって友人程度の間柄だけど、百井の献身的な姿勢に報ずるには無為な遠慮は妨げとなり、何より私が寛げない。

 つまり、この問題の解決法とは、もっと私が百井に体を預けること。

 具体的には百井の胴体側へ更に頭を寄せ、膝の上を自室の枕のように使い倒す心意気を持つ。そのほうが百井も膝枕のやり甲斐を感じられるだろう。あと、下半身が休まらないから脚をソファーに乗せたい。

「体勢変えるから」

「……どんと来いッ」

 ベストを尽くそうとやたらと意気込む百井は、私の頭を膝の上に乗せたまま器用にソファーへ深く座った。それを受けて私はソファーに脚を乗せて一度仰向けになり、百井の胴体側に顔を向ける。カーディガン越しでも百井の温もりがより一層感じられ、天井の薄暗い照明も相まって体が安らぐ。

「んー……」

 眼前のカーディガンのボタンを見てると本格的に眠ってしまいそうだったので、頭の上にある百井の顔をなんとなく見上げる。

「……もしかして顔に何か付いてる? 白川さん? ちょ、ちょっと?」

 顔に手を這わせて狼狽える百井をよそに、私はそのまま百井の瞳の中心にある濃褐色の虹彩を眺め入る。顔には何も付いてないし。

 温かな夕日のように落ち着いた色合いの虹彩に見惚れていると、次第に百井の瞳からは落ち着きが失われ、逃げるように不規則な動きを始める。私はそれを玩具で遊ぶ猫のように目で追いかける。

「ふふっ」

「笑わないでよ……」

 百井は視線を逸らして口を尖らせながら言った。突発的にらめっこバトルに負けたのがそんなに悔しいのだろうか。

「いや、ちゃんとコンタクト付けてるんだなぁって」

 一連の戯れの中でも百井の虹彩が一回り大きいコンタクトレンズで覆われていて白目の境となる外周には薄っすらと円が象られていることが視認できた。その特徴からソフトコンタクトレンズであることが察せられた。些細なことから百井の生活の一端を垣間見れた一瞬にこそ面白みを感じる。

「裸眼でそこまで視えるんだ……」

 百井が鼻の下に指を添えて言った途端、先ほどから静かだった百井の背後の壁から賑やかなリズムが微かに聞こえてきた。

 隣の部屋に客の入りを感じ、一先ず腕時計で時間を確認。今の時期だと既に日が落ちている時間帯だった。

「もうこんな時間かぁ。ふわぁ~あ……」

「その腕時計、いつも着けてるよね」

「これ?」

 右腕を掲げて百井に腕時計を見せる。

「前々から珍しいと思ってて。うちの学校で腕時計を着けてる人って全然見ないし」

「時間を見るならスマホでいいからね」

 私はそう答え、掲げていた右腕を下ろす。

「で、白川さんはスマホをあんまり使わないから腕時計が必要だと」

「おお、その通り」

「ふふん。そういうデザインが好きなの?」

 百井は得意げな顔をしながら言った。

「シンプルなのも嫌いじゃないけど、私としてはクロノグラフとかトゥールビヨンが備わってるほうが好みでね」

「クロノグラフはなんとなくわかるけど、トゥールビヨンってなに?」

「時計の精度を高める機構だとか」

「へぇ~……好みじゃなくても大事に使ってるんだね」

「まあ、贈り物でそこそこ良いやつだからさ」

「貢物だったりして」

「何それ。さっきの時計屋でひいおばあちゃんが買ってくれたの。中一のときの誕生日プレゼント」

「ああ、だから訳知りな感じだったんだ」

「うん。ひいおばあちゃんが店主と仲が良かったみたいで、他の知り合いと騒ぎながら賭けダーツしてたり」

「結構やんちゃだね」

「毎日お肉を食べるくらいには元気だったんだけど、その年の冬に亡くなってね」

「そう……」

「狭そうな棺で眠ってたひいおばあちゃんは……冷たかったなぁ……」

 身近な人の死は曾祖母が初めてだった。

 私の両親は共働きで、私が小学生の頃は安全の観点から放課後は学校から近い曾祖母の家に立ち寄り、他の家族が迎えに来るまで曾祖母に遊んでもらっていた。そう言った生活環境もあり、曾祖母の死に直面した当時はどうしようもないほど怖くなった。

 思い返せば、髪を伸ばし始めたり両利きになる特訓を始めたことは、そう言った不安を払拭するため自分なりに考えて行ったことだった。根本をすっかり忘れていたということは私にとっては前向きな行動だったらしく、一定の効果があった。

「……ごめんね。辛い話を引き出して」

 百井の目には私の表情が辛そうに映っているのかわからないけど、百井の方がよほど辛そうに見える。

「私の口が滑ったと思ってよ……もう乗り越えたことだし」

「でも……」

「それに今は……百井が温かいから…………」

「……白川さん? 寝ちゃった……?」

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