第六十三話
パチンコ屋、古本屋、潰れたナイトパブを通り過ぎ、午後四時を回る前に目的の招き猫のカラオケ屋に到着。位置的には私の生活圏内寄り。
このカラオケ屋はかつてラブホテルだったテナントを使っているらしく、店の屋根には気の抜けた煙突の意匠がそのまま残っている。
「人少なそうだね、ラッキー」
百井は店の駐輪場を見て言った。
普段なら夥しい数の通学用ステッカー付き自転車が無秩序に停められているけど、今日は数が少ない。他の学校もテスト前になるからだろう。おまけに今の時間帯は日中から熱唱していたであろう年長の客は既に帰っている頃合い。
早速店内に入り、入り口直ぐのセルフレジにて手続き。
百井が率先してやってくれているので、私は利用時間などについて受け答えしながら、店内の壁に貼られている有名飲食店とのコラボについて書かれているポスターに目をやった。夕食の候補にするか。
手続きが終わったので、百井とドリンクバーへ立ち寄り、中から音が漏れ聞こえる部屋が並ぶ廊下を通って部屋へ向かった。
トイレから一番近い場所にある部屋が私たちの部屋。五、六人だと狭く感じるこの空間も二人だと広く感じる。その分、座り心地の良いソファーを贅沢に使える。微妙に薄暗い照明も眠気を誘う。
「あ~、あ~あ~……」
百井はモニターの前でマイクに向かって声を出し、抑揚がついた音量調整の声がスピーカー越しに部屋へと響いた。
「何してるの?」
私はブレザーを脱いで勉強の準備をしながら言った。
「景気づけに一曲歌っちゃ……だめ?」
百井は首を傾げて愛嬌を迸らせた。
その狡知な仕草の効果のほどは余人ならともかく、勉強する気になった私には効かない。そう、断じて。
「是非とも聴きたいな。カラオケ大会開始の狼煙となる一曲をさ」
心を鬼にして皮肉を言ってみると百井はマイクをテーブルに置いて反対側のソファーに座った。
「冗談です……ちゃんと勉強します」
「わかればよろしい。歌うのは、少しは勉強してからだね」
私はそう言い、ホットココアを啜った。
勉強会の発案者である百井の意向は尊重しなくてはならない。
しかし、一度歌い始めてしまったら勉強のことなど忘れる事態になりかねない。歌とは危険な魔力を秘めた存在であることは過去の経験から知っている。
落ち着いた百井と勉強を開始。
とは言え、こんな場所で無作為に書き取りしても他の場所との効果の違いは見られないので、ノートの見直しをしながら出題されそうな場所に当たりをつける談論に変化した。二人いればなんとやら。
「歴史ってさ……どんどん積み重なっていくよねぇ……」
談論開始から約三十分ほど経ったところで百井は言った。先ほどから虚ろな目で私のノートを見つめている。
「後から生まれた人間ほど覚えることは多くなるね」
「昔の人たちに比べて不利じゃない私たち?」
「取捨選択されて教科書に載せてるとは思うけど」
「あ、昔の教科書と今の教科書って内容が変わってるんだよね」
百井はそう言い、ミルクティーを一口。
「有名な出来事が起こった年号は解釈次第で変わるらしいね。じゃあ、次は……」
「ちょ、ちょっと休憩しない?」
「休憩?」
「今の時間帯から混むだろうし、フードメニューとか今のうちに注文した方が賢明というか……」
「それもそうだね」
「私もここで夜ご飯済ませるから」
「なら、少し早いけど注文しようかな」
私が言うと、百井は背後の壁に設置されていたメニュー表を引っこ抜き机に広げた。
私は目をつけていたコラボメニューから焼きカレーとマルゲリータピザを注文。百井はチキン南蛮プレートを注文。
「やっと休憩だ~」
何を思ったのか百井はそう言い、ソファーに凭れかかった。
「私、休憩するとは言ってないよね」
「え……?」
「注文したものが来るまでは続けよう、ね?」
「はい……」
上体を起こした百井と食事が運ばれてくるまでの間、談論を再開した。
「さて、夜ご飯も済んだことだし……」
「勉強の続きか~……」
百井はそう言い、天井を仰いだ。
「いや、もう勉強する気にはならないでしょ。粗方の山は張れたから今日はここまで」
「ってことは……」
「百井の歌、聴きたいな」
「ほんと? やったー! じゃあ遠慮なく……」
百井は電子目次本を手早く操作し、曲専用のMVが再生されるモニターの前に立った。どうやら歌声合成ソフトウェアで作成された流行りの楽曲を歌うようだ。
伴奏が終わり、確かなメッセージ性が込められた混沌とした歌詞を歌い上げる百井は、普段では見られない側面が見られて別人のよう思える。
しかし、私があまりにも凝視しているからなのか、時折見せる照れた表情は確かに百井だった。
数分の歌唱を終えた百井に私は手を叩いた。
「何を食べたらこういう歌詞を思いつくのかな」
「鬱屈とした中高生に刺さりそうな単語をリサーチするのが大事なんだろうね。次、白川さんの番だよ」
「え、私も歌うの?」
「聴きたい~」
「しょうがないな。他所行き用の曲と私の趣味の曲、どっちがいい?」
やることは終わらせたので歌う大義名分はある。
そして、実は歌うことは想定していたのでコーヒーを飲まずに喉に良いとされるホットココアを飲んでいたのは誰にも内緒。
「そりゃもちろん……趣味の曲でしょ」
百井はニッと笑った。
気楽になった私は電子目次本を操作し、汎用のムービーが流れるモニターの立ち、これまでカラオケで歌う機会がなかった趣味の曲を歌った。
「すごい良い曲だったね。全然知らない曲だったけど」
百井はしみじみと語った。
「私たちが生まれる前に発売されたゲームのOPテーマ曲だからね。ちなみに歌ってる人は、今は女優で有名なんだよ」
「あ、これって同姓同名じゃなくて本人が歌ってるの!?」
百井は携帯電話でその女優について調べ、「わ、マジだ……」と言った。
「ふう……ゲホッ。私、ちょっと横になるね」
「大丈夫?」
「元から眠かったから。百井、歌ってていいよ」
私がローファーを脱いで横になろうとすると、百井がこちらのソファーにやって来て右隣に座った。
「このソファー、寝心地悪いに決まってるから」
百井は「どうぞ」と言わんばかりに自分の膝の上をポンポンと叩いた。家に置きたいくらいにはフカフカで質の良いソファーなのだけど。
「いや、申し訳ないよ、膝枕なんて」
「私、そこまで歌いたいわけじゃないし、白川さんが休む間の暇を利用できて超合理的! だから……」
「……まあ、いっか」
変なテンションの百井をいなすには、食後で微睡む私の頭では荷が重かった。
なので大人しく百井の膝の上に頭を乗せた。
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