第六十一話
日にちが経ち、百井の誕生日前日。マフラーのありがた味を感じる寒風が吹きすさぶ木曜日の放課後。
昇降口の人流はいつもより多め。期末テストが近い時期ゆえに、勉強に励むため速やかに下校する生徒が多いのだろう。私もその内の一人。
「そういえば、学食の自販機が変わるんだってさ」
同じく下校する百井はそう言い、下駄箱からローファーを取り出した。放課後のこういう何気ない会話も今週四回目。
「当たり付きのやつになるのかな」
「それよりも電子決済できるやつにしてほしいね」
下駄箱の影から樋渡が腕組みしながら現れて会話に入ってきた。
「あ、樋渡さん! 聞いたよ、この間の諏訪原高校との練習試合では大活躍だったって!」
「へへ、どうも。あんなの物の数じゃありませんぜ」
「流石はバド部のエース様」
私が褒めると樋渡はドヤ顔とも取り難いなんとも微妙な顔をした。
「さて、白川。この間の将棋じゃ不覚を取ったけど、負けっぱなしは私の趣味じゃない」
「白川さんって将棋指せるの?」
「人並みにはね。初心者でもなんちゃって頭脳戦を楽しめる間口の広さが将棋の良いところだよ」
「奥行きの無い対局だったけどな……」
「次は私が負けるかもね」
夕日が差し込む放課後の図書室で行われた激戦は涙なしには語れない。
両者一歩も譲らない対局を動かしたのは将棋好きの司書の先生。
放っておいた樋渡の
「でだ、今度は期末テストの合計点で勝負はどうよ?」
「うん、いい……」
「話は聞かせてもらったわ」
「わッ!?」
悲鳴を上げた百井の背後から桂木さんが音も無く現れた。
「白川さん、あなたに果し合いを申し込む」
桂木さんは時代錯誤なことを言った。
「はあ? 何言ってんだ?」
なぜか樋渡は私よりも先に反応した。
「穏やかじゃないね」
「あなた、バッティングセンターで神長さんを完膚なきまでに叩きのめしたそうじゃない……」
「暴行事件!?」
百井は桂木さんの誤解を招く言い方を真に受けたようだ。
「日曜日に神長と遊んだ時に打率を競っただけだよ。バッティングセンターなんだからさ」
「あ、そうだよね…………いいな、バッティングセンター……」
「神長さんは楽し気に話してたけど、きっと心の中では泣いてたはず……ならば私がテストの点数であなたを上回って、その無念を晴らす」
桂木さんはそう言い張った。ありもしない無念を晴らすためにテストの点数を競う健全さが風紀委員たる所以か。
「こいつ酔ってんのか? そこは打率で競えよ」
樋渡の言う通り、桂木さんの言い方は少し芝居がかっていた。神長に良い所を見せたい気持ちが明後日の方向に向いている気がする。
「いいよ。二人まとめて返り討ちにして、失意の荒野を歩かせてあげる」
「なっ!?」
「そんな余裕も今のうちよ」
「おい! 私と白川の勝負に割り込むな! クソ馬鹿ッ!」
「ク、クソ馬鹿ですってぇ!?」
樋渡と桂木さんは私と百井をそっちのけで、とてもお上品な言い争いを始めた。
「めっちゃ喧嘩になってるけど……」
「ふふっ、精々争うといいわ。眠いし帰ろ」
私は欠伸混じりに昇降口を離れ、百井も「ええ~……?」と当惑しながら後に続いた。
校門に設置されていた鰐とロケットが合体した妙ちきりんなオブジェは移動させられたようで、損なわれていた付近の景観はようやく取り戻された。
「というか、いいの? 果し合い? みたいなの受けちゃって」
私の右隣りを歩く百井はもの思わしげに言った。
「まあ、私が負けても二人が調子に乗るだけだし、いいんじゃない。どうあれ、いつも通りに勉強するだけだよ」
「だったら……今日、一緒に勉強しない? 勉強会的な」
「なにっ、勉強会だって?」
「よければでいいんだけど」
勉強会と言えば、複数人で集まり互いを監視しながら勉強を行う終わりが見えない地獄のチェーンデスマッチ。想像するだけで身の毛がよだつ。
「私、勉強は一人のほうが捗るから」
「そう……」
「ってことで、チャオ」
私はそう言い、帰路に就こうとした。
「あ、ちょっと待ってよぉ……」
百井は切なそうな声で私を呼び止めた。
「なぁに?」
「白川さん頭良いし、一緒に勉強してくれると私も助かるな~……なんて」
百井は調子の良いことを言った。
見えない地道な努力はもっとひけらかして、卑小な承認欲求を満たすべきなのだろうか。
とりあえず腕時計で時間を見た。日が暮れるのが早い時期だけど、寄り道に支障はない時間帯。
「はぁ……まあ、たまにはいいかな。やろうか、勉強会」
「ほんと? やったぁ……!」
百井は先ほどまでの心許なげな表情はどこへやら、嬉しそうだった。
少し仮眠してから勉強しようと思っていたけど、勉学に於いては互いに教え合い切磋琢磨することは学生の本分。私の頭のレベルを百井に知ってもらうにはちょうどいいし、モチベーションの助けになるのであればやぶさかではない。
そして、私が卑怯にも密かに行っている「百井と遊ぶことを餌にして頑張る勉強法」の発展系と言える「百井と一緒に頑張る勉強法」の威力を知っておく必要もある。
「場所に当ては?」
私はマフラーを巻き直しながら言った。
「カラオケはどう?」
「お、いいね」
「結構集中できるよね、ああいう閉鎖空間」
「言っておくけど、勉強するんだから歌わないからね」
「あ、はい……」
かくして私と百井は、縁起の良い招き猫のカラオケ屋がある街の中心部を目指して学校を離れた。
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