第五十三話
上半身の次は下半身。主に膝から下。
「軽くでいいよ……ほんと軽くで」と百井は言う。
手伝うからには体の隅々に至るまでとことんやりたいけど、はだけていた上着をそそくさと着直す百井の様子を見る限り、下着を取り換えるほどの不快感はないようなので言う通りにする。なるべく。
ベッドの足側へ回って寝心地の良さそうなふかふかした布団を捲り、ゆったりとしたズボンを履いた百井の脚と対面する。
「爪、綺麗だね」
「そう……?」
つやつやしている足の爪を褒めると、百井は爪先をキュッと閉じて膝を抱えた。見えない場所こそ綺麗にする美意識の高さを垣間見た。
「保湿したりしてるの? クリーム塗るとか」
「特に何もしてないけど……」
百井はズボンの裾を膝の上まで捲りながら参考にならないことを言った。
「そういえば、お昼ご飯は食べた?」
私はそう言い、百井の小さい足の指をタオルで包んで揉む。
「んっ……まだ、食べてない……」
百井はくすぐったそうに答えた。
「食欲はあるんだ」
「うん、適当にあるものを食べようかなって。そこの菓子パンとか」
百井は部屋の隅にある学習机を指差した。
「ああそう。お粥とか買ってきたんだけど余計だったね」
私はそう言い、百井の脹脛にタオルを這わせる。
「……お粥、食べたい」
百井はボソリと呟いた。
私は「任せろ」と言わんばかりに百井へ笑顔を向けた。
百井の了承を得たので、電子レンジを使うためキッチンへ向かう。家の大まかな構造は教えてもらった。
人の家を案内もなく歩くのは些か落ち着かないところがある。百井曰く、現在家の中には百井と私しかいないとのこと。当然ながら必要以上に家の中を観察しないことを胸に刻み慎重に行動する。
もはや温くなった風呂桶のお湯は階段の近くにある二階のトイレに流し、風呂桶一式とレトルトのお粥を持って家の一階へ。
階段を下りて直ぐにある扉の先は恐らくリビングなので用は無い。部屋の位置や外から見える大きな窓の存在から日当たりは良好だろう。
まずは風呂桶一式を片付ける。
百井の指示通り、廊下を西側に進んだ先にある洗面所に置いた。この清潔な空間で百井一家は毎日身だしなみを整えていることだろう。
洗面台の棚の一角には電気シェーバーと全自動洗浄充電器。私の父親も「音デカいけど、なんか楽しい」という理由で似た機種を使っている。蛇口の横には置き場を選ばない自動式のソープディスペンサー。横にあるドラム式洗濯乾燥機も目を引く。
まずい、あちこち目移りする。
このままでは見える範囲に置いてある歯ブラシの本数を数えてしまう。不誠実極まりない。出過ぎた好奇心は身を滅ぼす。
自分を戒め、急いで廊下に出て反対側にあるキッチンへ向かった。
百井の部屋に戻り、和風だしが香る玉子粥と諸々の食器が載った盆をテーブルに置いた。
「食器はこれでよかった?」
「うん……今そっちに行くから」
ベッドから体を起こした百井は、あたかも酔っぱらいのようにぐでんぐでんな様子である。
「無理しないで」
私はそう言い、空のグラスにドラッグストアで買ってきた白湯を注ぐ。
「うぅ……じゃあ、ベッドの上で食べるよ……お椀ちょうだい」
百井は弱々しく手を伸ばした。
このまま百井にお椀を渡していいのだろうか。食べている途中、うっかり手を滑らさてパジャマや布団の上が大惨事になるかもしれない。
「よいしょ」
私はお椀とスプーンを手に持ち、ベッドに腰掛けた。
「どうしたの……?」
「私が食べさせてあげようかなって。それに、私に
そうすれば安定した食事が可能となり、テーブルには私の手が届くので飲み物も取れる。手前味噌だけど、あまりにも合理的な提案である。
「え、ええっ……!?」
「ダメだった?」
「いや、いいんだけど……私、その、重いし……悪いよ」
百井の顔は茹で蛸のように紅潮している。熱による体への影響も正念場と言ったところか。
それと「全然太ってないよぉ~」とでも言ってほしいのかな。忖度無しで、望みどおりに言ってあげよう。
「百井の細っこい体なら余裕よ」
私はそう言い、更に体を寄せる。
「なら……お言葉に甘えて」
大人しく体を預けてきた百井の背中を体の右前面を使い包み込む形で受け止める。額の冷却ジェルシートの爽やかな香りが僅かに鼻先をくすぐった。
無論、百井の背中はかなり温かい。つらいことだろう。
「はい、あーん……これ意外に難しいね」
百井を支えながら体の右側から回した右手でスプーンを使い、百井の慎ましやかな口元にお粥を運ぶ。中々苦労する二人羽織擬き。体幹が強いほうでよかった。
「ん……」
「美味しい?」
「うん、優しい味……」
「まあ、レトルトだからね。なんか味変してみる?」
「いいよ、このままで……」
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