第五十二話

 不調にあえぐ百井の話を要約すると、「家に来てください」とのこと。

 正直言って急な話ゆえに応じ難い。

 具合が悪いなら然るべき対処を施して寝るのが一番。

 加えて今日は他の家族が揃って外出、私は我が家の猫とお留守番。

 それに私は甘ちゃんではあるけど、頼まれたら何でもする都合の良い女ではない。

 それはそれとして、休日の朝っぱらからゲームに興じるほど究極に暇しているのは事実。

 部屋の窓から見える庭の金木犀の枝葉が風で絶え間なく揺れているけど、外出に支障はない。

 行くか、百井の家に。

 じっくりと時間をかけて身支度を整えた。今日はそれなりに風が強い。道端のススキはすっかり斜めの癖がついている。服装は少々厚着で行く。

 我が家の猫にご飯を用意してから百井の家へ向かった。

 途中、ドラッグストアへ入り、手土産を見繕う。百井の容態を風邪と仮定すると、消化が良くて栄養を摂れるものが望ましいか。


 午後一時頃、強風に煽られる中、ようやく百井の家に到着。いい運動になる。

 百井の家を訪れたのはこれで二度目。昨日は付近の市民センターで別れた。ステンレス製の表札は綺麗に磨かれている。駐車場に車はない。

 風が身に堪えるので早速インターホンを鳴らした。

『はーい……』

 すぐさま反応があった。マイクから聞こえる少し高い声は百井の声ではない。

「こんにちは。私、白川というもので……」

『ん……? 白川……この人が……あっ! すぐ開けますっ!』

「はい」

 すぐに鍵を開ける音がしてドアが開いた。

「お姉ちゃんから話は聞いてるので、どうぞ上がってください」

 私を出迎えたのは小型種の百井と言うべきジャージを着た女の子。百井の妹かな。

 玄関の床には以前も見たキャディバッグ。玄関収納のそばにはスポーツメーカーのログが目立つテニスのラケットバッグ。

「お邪魔します」

 ブーツを脱ぎ、家の中へ。それにしても話が早い。


 二階にある百井の部屋に案内された。

 あまり人様の家を批評したくはないけど、この家は綺麗な外装に負けず内装もしっかりしていて掃除も行き届いている。

「お姉ちゃん、白川さん来たよ~、開けるよ」

 百井の妹はドアをノックしてすぐに開けた。

 眼前に広がる百井の部屋は、なんていうか……普通。広さは六畳程で、一般的な女子高生の部屋と聞いて思い浮かべるイメージを具現化したかのような様相。

 けれども、インテリアの色合いは可愛らしいもので統一されてセンスの良さが見て取れる。私の面白みの無い部屋とは正反対。

 そしてベッドの上には百井。横には水が張られた風呂桶と数枚のタオルが置いてある。加湿のためだろうか。

「いらっしゃい……白川さん」

 百井は今さっきまで寝ていたようで、ベッドから体を起こして眼鏡を掛けた。額には冷却ジェルシート、紺色のパジャマを着ている。

「やっほ、来ちゃった」

「あの、お姉ちゃん任せて大丈夫ですか?」

「えっ?」

「私はこれから部活で、今日はパパもママも仕事に行ってて……」

 百井の妹はどこか落ち着きがないように見える。玄関にあったラケットバッグから察するに、所属する部活はテニス部か。そして部活の練習開始時間が差し迫っていると見た。

「なるほど。あとは私に任せてください」

 詳しいことは百井から聞く。

「お構いもできずにすみません、不束な姉をよろしくお願いします。じゃあお姉ちゃん、行ってくるね」

「気をつけるんだよ……」

 百井の妹は足早に部屋から出た。

「妹いたんだね」

 一先ずビニール袋を部屋の中央にあるテーブルの上に置いた。

「うん……来てくれてありがとう」

「気にしなくていいよ」

「白川さんなら『具合が悪いなら寝てろ』って言いそうなのに」

 私の主張は百井の言う通りで、少し様子を見て帰るつもりでいた。とは言え、思ってた以上に弱っている百井を放っておけない。

「具合悪そうだけど、どんな感じ?」

「熱がある……ような」

 百井は曖昧な感じで答えた。

 病院に行くほどではないけど、結構しんどい感じといったところか。

「で、私に何をしろと? 子守歌でも歌おうか?」

「あの……寝汗かいたから、か、体……拭くのを手伝ってほしい……かも」

 百井はそう言い、眼鏡の奥で瞳をキョロキョロさせた。

 どうやら風呂桶に張られている水はお湯のようである。

「ふふっ」

「おかしい、かな……?」

「いや、この私を小間使いにするとは、いい度胸してるなって」

 私はお湯の温度を手で確かめながら言った。適温。

「そんなつもりじゃ……」

「百井のそういう馴れ馴れしさ、嫌いじゃないよ。ほら、拭いてあげるから上脱いで」

「うん……」

 百井は上着のボタンを外し、前をはだけた。

「ん、ブラ着けてたんだ。苦しくなかったの?」

 薄ピンク色のキャミソールの肩紐の下に白い肩紐が見える。

「収まりが悪いと寝づらくて……」

「へー。あ、捲った状態だと拭きづらいからキャミも脱いでね」

 私はお湯に浸したタオルを絞りながら言った。

「え、うん……」

 百井はもぞもぞとキャミソールを脱いだ。


「さて、やりますか」

 私はベッドに腰掛けた。

「お手柔らかにお願いします……」

 まずは百井の左腕を指先から肩にかけて撫でるように拭く。

「腕、少し上げて」

「ん……」

 私も百井の細い腕を支えるように持ち上げる。腕の動きに連動して胸が持ち上がり、下の方の肋骨が浮き出る様子に人体の神秘を感じて思わず目を奪われかけた。

 両腕を拭き終え、次は背中。枕を避けて百井の背後へ回る。

 百井の黒髪を前方に避けると綺麗な背中が露になり、再び濡らしたタオルで見える範囲を優しく拭く。

 しかし、ブラジャーのサイドベルトが邪魔で肩甲骨の下のあたりが拭きにくい。

「一回ホック外すよ」

「待って……そこまで徹底してやらなくても……」

 百井は首をこちらに向けて制止した。

「寝汗って結構かくから、ちゃんと拭かないと。あと、前は自分で拭けばいいでしょ」

 百井に別の濡らしたタオルを手渡す。ついでに眼鏡を掛けた百井は新鮮なのでジーっと見つめる。

「……どうぞ」

 観念した百井のブラジャーのホックを外し、跡がくっきりついた背中を丁寧に拭いた。

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