第四十四話
週明け月曜日。今週で冬服への移行期間は終わる。冬服を着慣れた私には関係のないこと。
いつも通りに身だしなみを整え、学校を目指して家を出た。
「あいつは権力に屈したんだ! 風紀委員会のやつなんかと仲良くしやがって……うう」
家を出た少し先で合流した樋渡は憤りを見せた。
樋渡曰く、神長は風紀委員会の誰かしらと仲良くしているらしい。長い物に巻かれるということだろうか。
と言っても、我が校の風紀委員会を率いるは密かなる風紀の破壊者こと夏目先輩。不安な体制の風紀委員会に付け入る価値などありはしない……のかもしれない。
ちなみに神長は朝練。今頃土手を自転車で走っていることだろう。
「ただ友達になっただけじゃないの?」
「そんなことより、前歩いてるやつを見ろ」
「何?」
樋渡は私の見解を無視して歩道の少し先を指差した。まったく忙しいやつめ。
「さっきからこの世の全てを馬鹿にしてそうな面のやつがチラチラ見てきてウザいんだよ」
「そんな挙動不審な人……あ、檀さんだ。私と同じクラスの」
前方には檀さんが一人で歩いていた。確かにこちらを見ていた素振りしていたみたいだけど、今は前を向いて歩いている。
「ああ、あいつが噂の檀」
「噂って?」
まさか下駄箱事件の噂が広がっているのか。頼む、善良なる我が校の生徒諸君。まだまだ文化祭の話題で浮かれていてくれ。
「同じクラスなのに知らないのか? あいつはあの厳しいと言われてる吹奏楽部の練習を考え無しにサボったアンポンタンだろ」
「へぇ~、うちの吹奏楽部って厳しいんだ……部活をサボってるのはあなたと同じじゃない」
「失敬な。私はこれでもバド部期待のエース。多少朝練をサボっても許されちゃう」
「はいはい」
私は適当に言った。
「お前もしかしてあいつに何かしたんじゃないのか? 足を踏んだとか」
「さあ? 記憶にございません」
「ならいいけどさ。朝っぱらからがおるわ」
樋渡はもはや消えつつある方言を用いた。
ようやく学校に到着。
校門のアーチは撤去されているのに鰐とロケットが合体したオブジェだけはそのまま飾られている。
「やあ、白川さん」
校門の影からぬるっと現れたのは毛利さん。
「あ、毛利さん。おはよう」
「げっ! 一組の毛利……」
「おはよう。元気そうで何より。それと、大層な挨拶じゃないか樋渡さん」
毛利さんはニヤニヤしながら言った。
「おい白川、こいつはオカルト研究会の変人だから気を付けろ」
「おっと、変人は褒め言葉だが研究会はやめてもらおう。文化祭で新鮮な生贄……あっ、新入部員が増えてね。これで念願の部活動へ昇格できそうなのだよ」
「それはよかったね」
「生贄って言ったぞ」
「クラスの連中を焚きつけてサバトカフェをやった甲斐があったものさ」
樋渡と毛利さんの会話を尻目に私は他のことが気になっていた。
今日は何やら視線を感じる。これはまさか……殺気……!?
「おい、お前行けって……!」
「馬鹿野郎……ああいうのは遠くから眺めてなんぼだろ」
「それに下手に近づいたら粛清されちまうからな……俺はもっと手頃な女で満足させてもらうぜ」
「その顔でか?」
「すげー自信」
「ほう、あれが『高嶺の花四天王』のニューフェイス、『
「つーか性格きつそー」
「あんたほどじゃあない」
「あの子が球技大会のルールにKO勝ちの禁止を追加した悪魔……」
「ぜひテニス部に入ってもらって他校の殲滅に……」
ぶつくさ言っている周りの生徒たちからの視線ではない。
もっと意図を感じる何者かの視線が私を捉えている。周りの人間によるものでは無いとすれば、残るは校舎か。
校舎を見上げて各階の窓を見る。
そして四階の廊下の窓にて視線の主を発見。
なんだ百井か。ばっちり目があったのにすぐさま隠れてしまった。偶然なだけか。
「ちょっと部活に顔を出してくる」
樋渡はそう言い、体育館の方へ走った。私と毛利さんは昇降口へ。
「今から行くくらいなら初めから朝練に出ればいいのに」
私は言った。
「私もそう思うな。そうだ白川さん。美化委員会の仕事が増えるって知ってたかい?」
毛利さんは気落ちすることを言った。
「えー、暇なのが美化委員会の良い所だったのに。どんなの?」
「陶芸部が作成した花瓶がそれぞれのクラスに配布されたからそれの管理」
「花瓶の管理ってことね。まあ、それくらいなら」
毛利さんと話しながら長い階段を上り、廊下を歩いていると、窓の近くで冬服姿の百井とクラスメイトたちが談笑している光景が目に入った。
百井も気付いたのかこちらを向き、手を振りながら小走りで近づいてきた。毛利さんもいるし恐らく私たちに手を振っているはず。檀さんが手前を歩いているけど構わず手を振っておこう。
予想通り百井は檀さんに目もくれず後方を歩く私たちに合流。
檀さんも手を振ったと思いきや、立ち止まって窓の外を見ながら頭を掻いている。どうやら頭が痒かったらしいな。
「おはよう白川さん。あと毛利も」
百井はニコニコしながら言った。
「おはよう」
「うん、おはよう」
百井は若干毛利さんを蔑ろにしているけど、当の毛利さんは平然としている。二人の関係性が成せるやり取りと言ったところかな。
「おはよう、檀さん」
私は未だに廊下で立ち尽くす檀さんの背中に声を掛けた。二人はスルーしているけど、同じクラスのよしみ故に挨拶くらいはしておく。
「くっ……!」
振り向いた檀さんは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。恐らく今日一日の授業に対する苦々しい意気込みが顔に出ているのだろう。気持ちはわかる。
「白川さん、君は……ナチュラルに人を辱めるんだな」
左側を歩く毛利さんは歩きながら私に耳打ちした。なぜか半笑いである。
「え? 急に人聞きの悪いことを言わないでよ」
「いやいや、褒めてるのさ」
「ちょっと毛利。何話してんの?」
私の右隣を歩く百井は訝しんだ。
「大した話じゃないよ。それじゃあね~」
毛利さんは先にある自分の教室へと向かった。
「あいつに何言われたの?」
「よくわかんない……」
私はそう言い、百井と飾りつけが撤去されて普通の状態となった教室へ。
教室後方のロッカーの上には見覚えのない花瓶があった。くびれがある普通のデザイン。生けてある花は色とりどりのコスモス。
「この花瓶、陶芸部が作ったんだって」
百井は言った。
「ふぅん。花の水は交換してるのかな」
「水の交換は美化委員会の仕事らしいけど」
「そう。なら一応交換しておこうか。百井手伝って」
「あ、うん」
百井と最寄りの水道へ行き花瓶の水を交換。
濡れたコスモスを触ったので手が濡れた。
「えーっとハンカチ、ハンカチ……」
「私の使う?」
百井は既にハンカチを準備していた。以前私が拾ったハンカチを。
「準備がいいね。でも他人のハンカチを使うのは気が引ける」
「そ、そう……」
「そういえばそのハンカチの柄……ドズル迷彩って言うんだよね?」
私は自分のハンカチで手を拭きながら内心自信満々で言った。
「いや、ダズル迷彩だけど……」
「え……?」
「白川さんが覚え違いをするなんて……ぷっ、あはははっ!」
百井は楽しそうに笑った。
私は百井の色んな顔を見たい。喜ぶ顔はもとより、少し怒らせてみたいし、悲しむ顔はたまには見たい。ほんとたまに。私の内面を引き出すのが楽しいのであればそれでいい。私の間違いで百井の笑顔を引き出せたのなら儲けもの。
それはそれとして、不覚を取った。まあ精々笑うがいい。完璧な人間はそう滅多にいないのだ。
元の場所に花瓶を飾り、そろそろホームルームが始まるので席へ着くと、机に置いた鞄から振動が。
振動の原因である携帯電話を引っ張り出し電源を入れる。メールが届いていたようだ。送り主は百井。内容は……『おはよう!』とだけ。こういう細かいやり取りが煩わしいというのに。
廊下側を見ると席に着いた百井がこちら見ていた。
とりあえず抗議の視線を送る。しかし、百井に意図が伝わっていないのかニコッと笑顔を返された。
今回はサービス期間として大目に見て適当な返信をした。
携帯電話の電源を切る前に、再びメールの送り主の欄に視線を走らせる。
百井
この字面を見る度に思っていたけど、改めて思う――。
百井の名前、かっこよ。
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