第四十一話

 スカートを徹底的に掃除し、今一度ソファーに座る。

 百井が頭を置くであろう膝の上……もとい、太ももの状態を整え、膝枕の準備が完了。早速百井を「おいで」と招いた。

 百井は私の右隣りにちょこんと座り、「失礼します……」と仰々しく言い、そのまま倒れるように横になり私の太ももに頭を乗せた。途中、ふわりと良い香りがした。

「いかがかな?」

「いっ、良い感じ、ですっ……!」

「そう」

 なぜか百井の声は若干上擦っていた。まあ、横になっているから声が出しづらかったのだろう。

 さて、この状況どうしよう。

 小休止のつもりで安請け合いした膝枕だけど、人間相手に膝枕をするのは百井が初めて。何をすればいいのやら。

 百井の頭は程よいずっしり感がある。重さは我が家の猫と大体同じ。確か我が家の猫の体重は約五キロ。もうちょっと軽かったかも。

 人間の頭の重さはその人の体重の約一割を占めるという。

 つまり百井の頭の重さを約五キロとすると体重は五十キロ……いや、諸説紛々とした情報を鵜呑みにするのはいけない。何より五十キロは語感が強い、強すぎる。細身の体型を維持できている私だからこそ感じる根源的な悍ましい響き。

 体重の話題は百井も楽しくないと思うので、ここは自分の目で見た事実で百井の体重を判断するに留める。

 それこそ私は百井の肌着姿を学校の更衣室で何度か見たことがある。体形は私とそんなに変わらずほっそりしていた。恐らく五十キロは越えていないだろう。にもかかわらず出ているところは出ている。ちくしょう。

 悶々とする私をよそに、百井はどういうわけか緊張した様子で黙りこくり、握った両手を口元に当て、つま先をギュッとして固まっている。加えてスカートの裾が胴側に寄って太ももが良く見えている。両脚はソファーに乗せたほうが楽にできると思うんだけどなぁ。

 実に変な様相を呈しているのだけど、それに気付かないほどに私を利用した件が堪えているのだろうか。これでは地味な責め苦を受ける甲斐が無い。

 先の件については気にせず、もっとリラックスしてほしい。緊張をほぐすために脇腹でもくすぐっちゃおうかな。私はロハで太ももを貸しているのだから、ちょっとくらい欲に身を任せた行動を取っても許されるだろう。

 と言っても私は百井に猫の代わりを演じてほしいわけでない。悩む。

「……白川さん」

 私が葛藤していると、百井は向こうを向いたままボソッと呟いた。私の邪な企みがバレたか。

「何?」

「女同士で膝枕って、変……かな?」

 百井は不明瞭なことを言った。向こうを向いているから声が聞き取りづらい。

「さあ? よくわかんないけど、変だと思うならやめよっか?」

 ただ人の頭を太ももに乗せるの行為である膝枕に性別の違いが関係するのか。肉質の違いだろうか。どうあれ自分から注文したのだから自信を持って楽しめばいいのに。

 もしかして私の膝枕は寝心地が悪いのでは? 全体的に脂肪が足りていないという百井流の密かな訴えか。さっき良い感じと言っていたのは嘘偽り欺瞞のお世辞……これは脇腹をくすぐらざるを得ない。

「えっ、いや、やめないで……まだ横でいさせて」

「そうしなさい。ちなみに私の膝枕で寝た人類は百井が初だから、変とは思わずむしろ誇ったほうがいいよ」

「初……!」

 百井は感嘆とも取れる声を上げた。誇れというのは冗談のつもりなんだけど。

「まあ、膝枕なら今後も言ってくれればするよ」

「ほんとっ!? あっ……ごほん。なら、たまに頼もうかな~……なんて」

 百井は嬉しそうに言った。

「もちろんTPOを弁えてよ? 特に学校では控えたほうがいいと思う」

「……なんで学校ではダメなの?」

「だって、あなた、さっきからパンツ丸見えですよ?」

 丸見えというのは語弊がある。少なくとも私の見える範囲では百井のパンツは見えていない。しかし、先ほどからスカートが少し捲れていて太ももが露になっているから、見る位置によっては丸見えと言っても差し支えない。

「えっ!? 嘘!」

 百井は慌てて起き上がり、少し捲れていたスカートを尻に撫でつけた。

「ふふっ、今と同じようだったらいい笑い者になっちゃうね」

「肝に銘じます……そうだ、学校……」

「んうっ」

 百井は再び横になった思いきや、寝返りを打ち、私の胴側を向いた。

 今度は脚を曲げてソファーに乗せ、全身を預けた形となっている。持て余していたこの広いソファーが初めて役に立った瞬間ともいえる。

 それと百井の後頭部があたかもロードローラーのように私の太ももをゴリッと整地して痛気持ちよかった。

「今から文化祭に行かない?」

 百井は少し上目遣いで言った。

「今から、ね……」

「どう……?」

 見つめてくる百井から視線を逸らし、棚の上の時計を見る。そろそろ午前十一時を回る。

 今から学校に行っても樋渡と神長の模擬店や、毛利さんのクラスには顔を出せるだろう。それにクラスメイトたちは打ち上げとかやるのかもしれない。とんだ重役出勤だけど行く価値はあるか。

「いや、気分じゃないから行かない。ごめんね」

 とは言え、既に文化祭への興味はなくなっている。百井の話を聞く限りでは来年と再来年で楽しめば十分の出来だった。

「ううん、いいの。私が急な事を言っただけだから気にしないで……本当は一昨日、一緒に文化祭を回ろうと誘おうとしたんだけど、その、切り出せなくてさ……」

「え? もしかして百井の言いたい事って球技大会の事じゃなかったの?」

「それも当然重く受け止めた上で、お詫びで模擬店の食べ物を奢ろうと思ってたの」

「ふ、ふぅん。それは惜しいことしちゃったな……」

 百井は私と一緒に文化祭を回るために誘おうとしてくれていたとは。半端ないほど惜しいことをしてしまった。一昨日、結論を急いだことが裏目に出た。

「じゃ、じゃあ来年の文化祭ならどう?」

 百井は私に反省させる暇を与えず、来年の約束を持ち掛けてきた。

 果たして私と百井の縁は来年まで続いているのか。私は百井に固執するべきなのか。来年は別のクラスになっていたり、私はともかく百井には恋人ができて疎遠になっているかもしれない。

「いいよ」

 未来のことを考えると数々の不安が思い浮かぶ。

 それでも良いことが起こり得る筋道を作っておくことが今の私にできること。この選択が私と百井にとってプラスに働くことを祈る。

「ほんと? やった……!」

 百井は嬉しそうな顔をした。

 その顔を見たことで私が百井に抱いていた気持ちの正体がなんとなくわかった気がした。

 それは……恐らく老婆心。

 私はいつの間にか百井と友達になる目標を通り過ぎて、孫を過度に甘やかす老人のような気持ちで百井を見ていた。道を間違えていた自覚はあったけど、ようやく合点がいった。

 いや、ダメだろ。これでは私のほうが過保護ではないか。というか膝枕による一種の先入観が正常な思考を阻害している気がしなくもない。ここは一度冷静にならなければ。

 とりあえず癒しを求めて百井の顔を見て頬を緩めていると、百井の側頭部の髪の毛がはらりと流れて顔を隠してしまった。

「あ」

 私は反射的に百井の顔を隠す髪の毛に触れた。

「んっ」

 百井は目を細めて小さな声を出したので手を止めた。

「あ、ごめん」

「いや、いいよ……お願い」

 私は百井の顔に掛かった髪を避けた。また顔が見えた。

「……私が言うのもなんだけど、あまり他人に髪を触らせない方がいいと思う」

 私が勝手に百井の髪を芸術品扱いしているだけなので、完全に余計なお世話である。でも言わないと気が済まなかった。

「大丈夫だよ、ちゃんと人は選んでるから……白川さんっていい匂いするね」

 百井は眠そうな声で言った。

「朝シャワー浴びたけど、多分柔軟剤の香りじゃない? 香水とかつけてないし。ほら、擦ると香りするでしょ」

 私はそう言い、百井の顔に近いスカートの内ももの辺りを擦った。

「う、うん、そうだね……柔らかい匂い……匂いと香りって意味が違うのかな? 人に対して使う時はどっちがいいんだろう」

「どっちでもいいんじゃない。国語の教師気取りの頭が固い人しか気にしないよ」

 私は偏見を答えた。

「言えてる」

「私は普段から香りって字をよく見るから、無意識にそっちを多用してたのかも」

「ふぅん……あぁ……なんか眠くなってきた」

 百井は欠伸混じりに行った。

「寝てないの?」

「昨日は眠れなくて……白川さん、彼氏出来た……?」

 百井はむにゃむにゃしながら言った。いきなり何を言うのか。

「出来てませんけど。もしかして、私ってそういう雰囲気醸し出してる? 『わたくし彼氏いますけど、何か?』みたいないけ好かないやつ」

「いいや、なんとなく聞いてみただけ」

「私、男友達すらいないからなぁ。それに彼氏を作るための努力も行動もしてないから出来なくて当然なわけ。百井はどうなのよ?」

「私も……そんな感じ」

「今まで誰かと付き合ったことある?」

「教えない」

「私はそういう経験ないから、もし恋愛経験者だったら恋のいろはを教えてもらいたかったのに、残念。まあ、今はこうして百井と遊ぶ方がかな」

「……そうなんだ」

 百井が言った途端、グゥーッとお腹の音が鳴った。当然私ではない。

「お腹空いた?」

「うん……ちょっと」

 百井は恥ずかしそうに言った。

「朝ご飯は?」

「食べてない」

「信じられない……私もお腹空いてきたな。百井、何か食べていきなよ。カップ麺とか出すから」

「いや、申し訳ない……」

「それとも私が何か料理を作ろっか?」

「それは食べたい!」

 百井は食い気味で答えた。

「じゃあパスタでも茹でますか。私は夕方から家族と出かけるから軽めにしよう」

「……どこか出掛けるの?」

「寿司食べに行くの、回らないやつ」

「お祝い事?」

「んー、一応そうかな。今日、私の誕生日だし」

 今日、十月十三日は私の誕生日。正直、文化祭より寿司だった。

「ええ!? そうなの!」百井は勢いよく起き上がり、「あっ、誕生日おめでとうございます」と言った。眠気は吹っ飛んだようだ。

「ありがとう」

「ああ、どうしよう、何も準備してない……」

「祝ってくれただけでも嬉しいよ。それにさっき栄養ドリンクと桃缶くれたじゃん」

「あれはプレゼントのつもりで買ってないし、全然プレゼントっぽくないよ……」

 百井は歯痒そうな顔をした。私が何で喜ぶのか知らないくせに。

「じゃあプレゼントの代わりに一つだけ、私のお願い聞いてくれる?」

 しかし、気が済まないのであれば助け舟を出そう。百井は私の小さなお願いを叶えてくれるだろうか。

「何? 私にできることなら」

「私ね、百井としたいことがあるの」

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