第四十話

「まさか……百井が檀さんをそそのかしたんじゃ……?」

 過去の檀さんは穢れを知らない乙女であり、それを百井が気まぐれに人生の暗黒面へと突き落とした重たい物語があった……とは欠片も思っていない。たとえ檀さんに悲しき過去があっても興味はない。

「そんなことはしないっ! 絶対に……」

「だよね」

 ちょっと意地悪だったな。百井がここまで取り乱して否定したので信用はおける。

 それに先ほどから百井は下駄箱の事件に対して俯瞰した物言いだった。事件とは直接的に関わっていないからこそ私の手緩さを指摘できるのだろう。

 ならば百井のせいとは一体。

「さっき言った通り、私は檀たちとはそこまで親しくない。むしろ付きまとってくるのが嫌で……特に檀は他の二人に比べてしつこくて」

「あら、そうだったんだ。大変だったね」

「う、うん……それで檀たちと距離を置くために、私……白川さんを利用したの」

「どういうこと?」

 全く見当がつかない。私をどのように利用すれば檀さんと距離を置けるのか。私は蚊取り線香か。やだなぁ。

「その……檀は、白川さんのことを…………嫌ってるみたいで」

 百井は口ごもりながら言った。

「私、何かしたかな」

 知らぬ間に足でも踏んでいたのだろうか。これまた見当がつかない。

「ストレスの捌け口を求めて一方的に因縁を付けてくる人っているから。檀はそういうタイプなんだと思う。だから白川さんは何も…………あっ! き、嫌ってるのは多分あいつくらいで、他のクラスメイトは親しみを持ってると思うよ!」

「いや、別にいいの。万人に好かれることは無理なんだからさ。続けて」

 私はそう言い、膝の上の我が家の猫を撫でた。

「……それで白川さんと仲良くしていれば檀は勝手に離れるんじゃないかと思って……ついでに他の二人も」

 百井は言った。

「ふぅん……で、効果はあった?」

「一応あって、縁はほぼ切れたよ」

 そう簡単に事が進むものなのか些か疑問ではあるけど、縁が切れたと認識できるくらいには疎遠になったのか。

「あの子たちが落ちぶれたのって百井の後ろ盾が無くなったからなんだね」

「蔑ろにされてるとは思うけど、私の後ろ盾……?」

 百井はそう言い、首を傾げた。

「ほら、百井ってクラスで良い位置にいるじゃない。俗に言うカースト上位ってやつ」

「えっ、私ってそうなの?」

「百井……あなた大物だよ」

 ここに来て天然っぷりを見せてくるとは。それは他人から嫌われていることに気付かない私の領分だぞ。

「それはまあ、置いといて……他の二人、桑原くわはら二階堂にかいどうは察しが良いみたいで、クラスでの立ち位置を改善するために球技大会を頑張ってたみたいなんだよね」

「へー、そんな裏があったんだ」

 桑原さんと二階堂さんは球技大会で私と同じくテニスに参加していてダブルスのペアを組んでいた。あの頑張りの裏には失墜した信頼回復の魂胆があったようだけど、効果があったのかどうかは定かではない。

 二人の名前は、桑原さんが「智子ともこ」で、二階堂さんが「ひびき」というらしい。ダブルスは意思の疎通が大事なので、練習の時からお互いに名前を呼び合っていたから耳に残っている。

「だけど、檀は違ったみたい。悪い状況に陥った原因を白川さんにあると思って、逆恨みであんな嫌がらせを……」

「偶然でしょ。私クジ運は良い方だから、今回はそれが悪い方に働いて貧乏クジを引いたんだと思ってるんだけど」

 私は自分の見解を言った。

「違うよ。二回もなんて明らかに狙ってる」

「そうかしら。まあ、もし百井の言う通りなら私が檀さんのポジションを奪った形に変わりないし、嫌がらせを受ける謂れはあるんじゃないかな」

 檀さんは百井に対して深き友情めいたものを感じていたからこそ私を逆恨みしたのかもしれない。檀さんなりに必死で考えたと思えば、なんとも健気で涙ぐましい。

「そんなこと言わないで……白川さんは悪くない。発端は私……私だけが我慢すればよかった。でも、結局白川さんを利用して、迷惑かけて……逃げて……本当に……ごめんなさい……」

 百井の声は徐々に小さくなり、目を伏せた。

 一先ず百井のこれまでの行動の意図と目的がなんとなくわかった。

 百井は檀さんたちを遠ざける目的の下に私と交流していた。

 それが結果的に檀さんの逆恨みの炎に油を注ぎ、私が嫌がらせを受ける原因を作ってしまった。それが百井の心残りとなっているらしい。

 特定人物との交友関係を断ちたければ、拒絶の意思を明確にすることが必要となる。かなり乱暴な手段でナンセンスである。

 それを避けた百井が選択した手段は、私と交流するという後腐れを生まないとも限らない不確実なもの。もっと良い手段があったと思うし、嫌な繋がりをわだかまりなく解消するために私と交流していたことは空虚に思えるけど、否定はしない。

 百井の選択があったからこそ、私の抽象的な目標は手が届くものとなっていたのかもしれない。

 故にここは豪快に「気にするな」と言い、事態を終息させたい。

 派閥だとか因縁だとか目を向けるべき厄介な問題があるとしても、私と百井の交流は学生間に於けるありふれた交流の一つに過ぎない。

 むしろ百井はなにもしていないに等しい。そう、なにも。

 けれども、心優しい百井なりに譲れない信条があるからこそ無念さを感じて項垂れているのだろう。

 しかし、その甘さを素直に肯定できない。百井は少々自罰的な節がある。垣間見えたナイーブさの一端だとしても危うい。思い詰める姿を見せられるのは結構つらい。

 百井が球技大会の日に私の前から逃げたり、今のように意気消沈する最たる原因は、私のことを詳しく知らないからだと思う。私は過保護されるほど子どもではない。

 ならば私がすることは一つ。百井に私のことをもっと知ってもらう。

「百井、一つ聞きたいんだけど、いい?」

「うん……」

 百井はゆっくりと顔を上げ、こちらを向いた。その顔は暗い。

「私、お払い箱だよね」

「なっ……どういう意味……!?」

 百井は目を見開いた。

「だって目的は達成したんでしょ? もう私と仲良くする必要ないじゃん」

「そんなことは……やっぱり謝って済むことじゃないよね……」

「それはもういいんだよ。そもそも百井が謝る必要ないし、私も謝られる筋合いはない。利用されたことや嫌がらせを受けたことは、別に気にしてないから、マジで」

「絶対気にしてる……」

 人間味の無さを売りにしていないので、そりゃ気にはする。

「はあ……あのね、私としては今後とも百井と仲良くしたいの」

「私だって……」

「ほんとに?」

「ほんとに…………白川さんのこと最初はお澄まし気取ってる人だと思ってたんだけど、話してみると結構ちゃっかりしてたり、融通が利かなくて面倒なところもあるけど意外と押しに弱くて想像よりも普通の人で安心したの。だけど、あまり喋らないし、受け答えも淡泊で何考えてるのかわからなくて……でも、またそこが気になって……」

 百井はなぜか私への日頃の文句を言いながら徐々に顔を綻ばせた。耳が痛い。

「ただ私の欠点を挙げたように聞こえるんだけど」

「短所は長所の裏返しって言うから」百井は少し得意げに言い、続けて「とっ、とにかく最近は白川さんの知られざる内面をどうやったら引き出せるかを考えることが空前のマイブームになってます……!」と、意味のわからないことを言った。

「何それ。じゃあシャキッとしなよ。私はそういう百井を見たい……」

 私が半笑いで言いかけた途端、寝息を立てていた我が家の猫は起きて膝の上から飛び降り、部屋から出たいのかドアの前でにゃあにゃあと鳴きだした。

 私は我が家の猫を部屋の外に出し、再びソファーに座った。

 よし、仕切り直しといこう。

 しかし。

「……ねえ、白川さん」

「ん?」

「少し、横になっていい?」

 百井は謎の提案をした。

「えっ、ここで?」

 座っているソファーを指差して確認する。余裕で横になれるサイズではある。

 そんなに疲れているのかな。それとも私のベッドという名の聖域サンクチュアリで? それはちょっとな。

「うん……あと、その……膝枕的なやつで」

 百井はモジモジしながら言った。

「私が膝枕をしろと? そんなのダメに決まってるでしょ。正気の沙汰じゃない」

「あっ……そ、そうだよね……聞かなかったことにして……」

「一旦スカートを掃除してからじゃないとね。ちょっと待ってて」

 私は我が家の猫の抜け毛の撤去のためにテーブル下の収納から粘着ローラーを引っ張り出した。

「うん……!」

 百井はそう言い、カップに口を付けた。

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