第三十八話
「文化祭で事件とか起きた?」
催し物には欠かせない非現実的な珍事を想像すると胸が躍る。
「これと言って無かったかな。普通に進行してたと思うよ。変な模擬店が数個ほどあったくらい」
百井はカップを置いて答えた。
「そう簡単に面白大騒動は起こらないものか。でも、血みどろな暴力沙汰とか痛ましい食中毒は起こらない方がいいね」
私はそう言い、コーヒーを一口。
「あ、写真撮ってきたけど、見る?」
私が頷くと百井は鞄から携帯電話を取り出しテーブルに置いたので、画面を見るために少し身を乗り出す。私が動こうが我が家の猫は膝の上から離れず、ゴロゴロと喉を鳴らして丸まっている。
百井の携帯電話には、クラシカルなメイド服を着た生徒たちがモデルガンや模造刀を手にポーズを決めている写真や、山伏の出で立ちをした屈強な生徒たちが体育教師と肩を組む写真、虚無僧たちが尺八をイメージした竹輪の料理を紹介している写真など多数が保存されていた。
どの写真も生徒たちが文化祭を楽しんでいることが伝わってくる。百井の撮り方が上手だからだろうか。
「もはや文化祭ではなくコスプレイベントを名乗ったほうが正しい気がする」
私は我が校の文化祭に対する感想を端的に述べた。
「確かに制服のほうが逆に浮くレベルのコスプレ率だったよ。一応、文化ではあるんじゃない?」
「そうかもね。まあ、クラスのみんなが楽しんでいるみたいで安心した」
男女ともに黒い執事服を着ているクラスメイトの楽し気な集合写真を見て、少しばかりの無念さとそれを打ち消す安堵がこみ上げた。この様子から察するに喫茶店擬き……正確には執事喫茶か、滞りなく営業されたことだろう。
「白川さんが休みで残念がってたなぁ。文化祭実行委員の人たちは特にね」
「……百井さぁ、私に気を遣って嘘言ってない?」
「嘘じゃないよ、本当だって。白川さんにも男装させようって話があったくらいだし、知らなかった?」
「知らなかったよ、そんなの」
私はそう言い、膝の上の我が家の猫を撫でる。どうせ文化祭の浮かれたノリに触発されたものだろう。
「……そもそも白川さんは注目されてるっていうか、一目置かれてるから」
「それは初耳。調子乗ってるやつだって目を付けられてるのかな?」
「もっとポジティブな感じだと思うんだけど……」
「ふぅん。だとしたら悪い気はしないね」
私は他人事のように思い、再びコーヒーを一口。
交友関係の構築に一家言もっている百井が言っているのだから前向きに捉えようではないか。
とは言え、一目置かれている気配が全く無いからにわかに信じがたい。
私ですら知らない私の魅力に心打たれて弟子入り志願してくる人はいない。そもそも弟子を取るつもりは無いので志願されても困る。
そんなことよりも百井が文化祭を蹴ってまで私の見舞いに来た理由が気になってきた。私としては嬉しいし、尊き行いである。
百井曰く、文化祭はつまんなかったらしい。参加する価値が無いと判断するのは個人の自由。
しかし、百井が撮ってきた写真を見る限りでは、決して高レベルの文化祭とは言えないけど見るに堪えないほどではない。実態を見ていないからこその甘めの評価ではある。
如何に文化祭の出来が悪くても、浮かれる周りの空気に調子を合わせることは学校行事において肝要ではなかろうか。現代社会を生き抜くために不可欠な処世術とはこういった時に磨かれるものだろう。人付き合いが上手な百井だからこそ疑念が強まる。
それに文化祭には嬉し恥ずかし恋路の芽吹きがあったかもしれないというのに抜けてくるとは学生にあるまじき蛮行ではなかろうか。
まさか百井は恋愛事に興味が無いのか? 端正な顔に似つかわしくないほどに子どもっぽいところがある。それとも既に恋愛の成就という輝かしき勝利をその手に掴んでいる余裕か。ちくしょう、私の先を行くのか。
ともかく百井は目の前にいるのだから聞いてみよう。
「百井」コーヒーを飲んでいた百井は私のほうを向いた。「文化祭、そんなにつまんなかった?」
「……つまらないは言い過ぎたかも。他の新聞委員と取材で一通り見て回ったけど、どこも出来は良かったから。ただ私が楽しめなかっただけだったよ」
百井は言った。
「そう。ああ~、よかった」
「えっ、何が?」
「私も文化祭の準備には微力ながら力添えしたから、それをつまんなかったって簡単に切り捨てられるとあまり気分は良くないかなって」
「う……」
「もし百井が他者の努力を平気で踏みにじる思い上がりも甚だしい人間であれば、心を鬼にして小一時間ほど説教するところだったよ」
「こ、小一時間は勘弁してほしいかなぁ~……」
「ふふっ、なんてね。同級生に説教できるほど年は取ってないから」
角が立たない程度の道徳的考えに至っているのであれば何も言うまい。
更に切り込んでみよう。
しかし。
「…………白川さんはもうちょっと怒っていいと思うよ」
百井は静かに言った。
「えっ? じゃあ、そこまで言うならそこに正座して……」
説教を求められたからには答えるしかない。
私は正座するには堅いフローリングを指で差そうとした。
「いや、そうじゃなくて……」
百井の和らいでいた顔は一変して、何やら不安な面持ちになっている。
この百井から発せられるズシッとした重苦しいプレッシャー……何か来る。
私はそう思い、腹をくくってコーヒーを呷り、カップを空にした。
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