第三十六話

 早速百井を玄関近くの客間へ案内した。

 大した距離では無いのに百井の足取りが私に比べておぼつかないのは履き慣れていない来客用のスリッパによる影響だろう。

「ここが白川さんの部屋?」

 ふすまを前にして百井が言った。

「いや、私の部屋は二階。ここは客間で和室なんだけど、もしかして畳嫌い?」

「そうじゃなくて……白川さんの部屋じゃないんだなって……」

「私の部屋のほうがよかった?」

「うん! 是非とも!」

 百井はそう言い、手を合わせて両目を輝かせた。なんだろう、その力強さ。

 そこまで百井に時間を取らせるつもりはなく、茶を飲みながらの談笑なら客間で十分と考えていた。加えて、畳から微かに感じるの香りでざわつく心を鎮めたかった。

 そもそも百井を自室に入れていいのだろうか。掃除は常日頃から欠かさず行い、見られて困るものもない。

 ただなんとなく、ちょっと嫌だな。

 けれども、百井を家に招いたのは私。

 恐らく百井の言いたいことは球技大会での逃走の真相。百井は先ほど靴を脱ぐのに手間取っていたりと、てんやわんやしていた。顔が赤かったのは家の中と外の温度の差によるものだとしても、事の重大さが見て取れる。

 であれば百井が話しやすい環境を提供するのが私の役目。少々落ち着かないけど私の部屋がいいのであればそうしよう。

「じゃあ私の部屋に行こっか。言っておくけど面白いものはないからね」

 そうと決まれば当初の予定を変更。見舞いの品を台所に置いてから、やけに朗らかな百井を連れ添い二階の自室へ向かった。


 自室に人を招くのはいつ以来だろう、と階段を上りながら考える。

 最近の生活において家族を除けば人を招いた記憶は無い。同年代の子と遊ぶ場合、世情から各々の家に集まること自体少なかった。なので家の位置を把握している知り合いはほんの一握り。

 尤も、中学生の時に限って言えば、部活帰りの寄り道が遊びを兼ねていたから部活仲間の家を訪れる思考にならなかったのかもしれない。

 私の後を静かについてくる百井は、これまで友達とはどのように過ごしてきたのだろうか。ショッピングで散財したりとか、カラオケで喉を潰すほど熱唱したりとか、ファミレスで駄弁ったりとかかな。


 二階の角にある私の部屋に到着。

 ベランダ側のカーテンを開けて日光を取り込んでいたから暖房はいらない。

「部屋、片付いてるね」

 百井は言った。

「見える範囲は綺麗にしてるだけだよ。クローゼットの中とかは結構ごちゃごちゃしてるから。そのソファーに座って」

「あ、うん」

 百井には持て余しているソファーに座ってもらった。L字であることが初めて役に立ちそうだ。

 一人部屋にしてはそれなりの広さがある部屋とは言え、他に人がいると窮屈きゅうくつに思える。

 けれども、百井がいることでモノトーンのインテリアで統一された殺風景な部屋は明るくなった気がする。

「百井、何か飲みたいものある? 紅茶とか緑茶とか大抵のものは出せるよ」

「えっと……白川さんは何飲むの?」

「私はコーヒーでも淹れようかと」

「それなら私もコーヒーで」

「そう、わかった。ちょっと待っててね」

「私も手伝うよ」

 百井はそう言い、立ち上がろうとした。

「百井は客人なんだから手を煩わせるわけにはいかないよ」

 私は言った。

 その主張に納得した百井が大人しく座ったことを見届け、自室を出た。


 台所にて来客用のカップを見繕う。

 コーヒーとは予想外のチョイス。

 百井は以前私の缶コーヒーを飲もうとしたことがあった。実はコーヒー愛好家なのかもしれない。ならば我が家のコーヒーメーカーの威力を知らしめてあげよう。

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