第三十五話
なぜ百井が私の家に。貸していた折り畳み傘を返しに来たのか。それとも道に迷ったか……いくら何でもこれは無い。まさか、私の見舞い? 何にしても学校はどうした。文化祭を放ってまでクラスメイトの見舞いなどあり得ない。
頭を捻りながらモニターを見ていると、百井の背後を郵便局の赤いバイクが横切った。我が家には郵便物がなかったようだ。家の門の近くにあるポストまで出向かなくていいのは僥倖。
郵便物はどうでもいい。頭を捻っている場合ではない。百井の髪型も滅茶苦茶なことになっているし、一先ず応対しよう。
「何か御用ですか?」
『あっ! ぉ、おはようございますっ! 私……』
百井は所々で声を裏返しながら来訪の理由を話し始めた。他の家族が応対していると思っているようだ。
緊張する気持ちは私も理解できる。他人の家は敵地といっても過言ではないアウェーな領域。百井の家を訪れた日が懐かしく思える。
しかし、風が強い影響か、インターホンのマイクが正常に機能しておらず、百井の声がはっきりと拾えていない。
そして再び、『ぉ見舞いに来ま……』と「お」の部分で声が裏返った。
「……ふふっ」
『……あっ、もしかして白川さん?』
「いかにも」
百井は私の忍び笑いで誰が応対しているか気付いたようだ。他の家族が応対していても白川さんだけど。
その後もモニター越しでの会話は続き、百井の身振り手振りで私に用事があることがわかった。とは言え、機能不全に陥っているインターホンのマイクとモニター越しでは意思の疎通が難しい。
まどろっこしいので百井に玄関まで来るように伝えた。何より風に煽られる百井は見ていられなかった。
私は一足先に玄関へ到着。早足で来たから少し脈が速い。
一応、身だしなみを整えるために、玄関の壁に設置してある姿見の前に立つ。
姿見には通販で買った白いブラウスとハイウエストな濃紺のスカートを身に纏う私が映る。顔色は可もなく不可もなく。髪型は問題なし。服に目立つしわは付いていない。馬子にも衣装といったところだな。
適当なポーズを決めていると、再びチャイムが鳴る。恐らく百井が玄関のチャイムを鳴らしたのだろう。玄関のドアの鍵を開けるだけなのに不思議と心が浮き立つ。
開いたドアの隙間から、鋭く吹き込む風と共に百井が顔を見せた。
「いらっしゃい、百井」
「……」
私の出迎えに百井はなぜか無反応。
そのまま百井を観察していると、どうやら意図的な無視ではなく、私の頭の天辺からつま先に視線を行ったり来たりさせることで忙しいようだ。早くドア閉めたいんだけどな。
「お~い」
「…………はっ。お、お邪魔しますっ」
百井は間をおいて家の中へ。ビニール袋を何個か手に持っている。底が四角くなっているビニール袋はなんだろう、プラモデルの箱?
「外は風強いね」
百井は私の一言で自分の髪型が乱れていることに気付いたのか、手櫛で器用に髪型を整えた。うん、いつもの百井になった。
「あの、いきなり来て、ごめんなさい」
百井は言った。
「暇してたし気にしないで」
「具合はどう?」
「もう熱は下がったから大丈夫だよ。今日は様子見で休んだだけだから」
「よかった……傘、ありがとう」
百井は鞄から私が貸していた折り畳み傘を取り出した。
「どういたしまして。別に学校で返してくれてもよかったのに」
「あと、これ……よければ栄養ドリンク」
百井はそう言い、四角いビニール袋を私に手渡した。
「ありがとう……って、え、一箱?」
「うん」
百井は首を縦に振った。
見舞いとは言っていたけど、栄養ドリンクを箱ごと渡してくるとは。この私の目をもってしても読めなかった。正直、間に合っているけど、その思い切りの良さは買おう。銘柄は以前私にくれたもの。
「重かったでしょ」
「平気だよ。それと桃缶もどうぞ」
次は白桃の桃缶。
「色々と悪いね」
「本当は昨日来たかったんだけど、先生から寝込んでるって聞いて……」
「うちの担任は口が軽いな」
恐らく今日も私の欠席理由を担任から聞き出したことだろう。
「あ、ごめん、詮索しちゃって……」
「別にいいよ。そういえば学校はどうするの? 今から戻るの?」
「今日はもう家に帰って寝るつもり」
「ええー、今日も文化祭でしょ?」
「だって、つまんなかったから……」
百井はそう言い、不機嫌そうな顔をした。その顔はちょっと子どもっぽい。
「……ということは帰っちゃうの? お茶ぐらい出すよ」
私を尋ねて強風の中を歩いてきた百井を、多少もてなしてもバチは当たらないだろう。それに暇しているなら取材した内容を教えてもらいたい。
「急に来たから家族の方に迷惑だろうし」
「他の家族はみんな外出してるから夕方まで帰ってこないけど」
私は更に付け足した。
「そ、そう……でも、白川さんが体調を崩したのって一昨日、雨に濡れたからでしょ?」
「うーん、言われてみればそうかも」
「だよね……」
百井は目を伏せた。
もしかしたら百井は、私が学校を休んだ原因が自分にあると思っているのかもしれない。その償いとして栄養ドリンクを箱で用意したりと。
最近は上靴を隠されそうになったり、有象無象に罵詈雑言を浴びせられたり、憂き目を見ていた。更にダメ押しで百井との相合傘によって体を冷やしてしまった。
しかし、私の体調不良の主な原因は素っ裸での風呂の掃除。一昨日の相合傘に原因が無いとは言い切れないけど決定的な原因ではないはず。
病は気からとも言う。
私の体調は百井が見舞いに来てくれたおかげで良くなってきた気がする。なので責め立てるつもりは全くない。
自分に非があると思うのは自由。とは言え、見舞いの品を置いて帰るのはあまりにも一方的。百井はそれで満足する人間であればそれまでのことだけど。
「百井、私に何か言いたいことがあるって言ってたよね。忘れてないよ」
「そうだけど……」
百井は折れない。
なら私も折れない。今日の私は昨日までの私とは違う。
「帰りたいなら帰っていいけど、申し訳ないと思うなら、少しくらい……構ってよ」
百井の弱みに付け込む諸刃の剣。素直に寂しさを伝えられない恥ずかしさから顔が熱くなる。
そんな私を無下にはせず、百井は顔を赤らめて声にならない声と共に首を縦に振った。
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