第三十話

 間もなく昇降口に着き、付近で屯していたクラスメイトたちと軽い談笑をした。雨が降り出したから送迎待ちをしているようだ。

 外を見たところ本降りの雨ではなく、傘を差しても少し風が吹くだけ体が濡れそうな厄介な霧雨。午前中は晴れていたのに天気の気分屋め。横着せずレインブーツを履いてくればよかった。


 靴を履き替え、鞄から白い折り畳み傘を引っ張り出した。

 この傘は入学に合わせて新調した日傘も兼ねる優れもの。とは言え、これまで使う機会が無く、鞄の底でくすぶっていた。今こそ真価を発揮する時。

 持ち手のスイッチで自動展開されるギミックに僅かながら心を躍らせ昇降口を離れた。


 外の空気に幾分か肌寒さを感じる。私の恰好は他の生徒たちと比べると少々厚着の部類に入るのに。とっとと家に帰ってシャワーでも浴びよう。

 昇降口から校門までの道中にかけて模擬店で使われるテントが既に設営されている。この区間は運動部のテリトリーで、クレープやお好み焼きなどの食欲をそそるものが販売予定。樋渡や神長はそれぞれの部活で食べ物の模擬店をやると言っていたから楽しみ。

 校門にはビビッドなカラーリングのアーチが飾り付けられ、素朴な街並みの中で一際異彩を放つ。

 ド派手なアーチを潜り抜け、校門の正面に出ると、雨具を着た美術部と思わしき男女入り混じる生徒たちが、鰐とロケットが合体した妙ちきりんなオブジェを設置していた。雨天の開催を想定して雨に強い素材や塗料を使用して制作したようだ。私には到底理解できない造形センスだけど、相当文化祭をエンジョイしている。


 学校を離れてから少し経ち、自宅のある東側に行くにつれて雨脚が強くなってきた。急ぐと転ぶので歩く速度は変えない。

 街中に入り、向こうの歩道に渡るため歩道橋へ。

 錆びつく手すりには灰色の小さい蛙が一匹。思わずギョッとした。

 蛙は手すりと同化しているつもりなのか微動だにしない。何が切っ掛けで動き出すかわからない。あまつさえ飛び掛かられたら尻餅どころでは済まない。

 なるべく気配を消して蛙の横を通った。あの蛙の存在に気付いたのは、この世界で私くらいだろう。

 先ほどから向こうの歩道には私と同じく帰宅途中の学生たちが散見する。鞄を傘代わりにして青色のコンビニへ駈け込むびしょ濡れの学生や、悠然と歩く相合傘の男女。雨天が生み出す月とスッポンの如し光景。相合傘に関しては私には無縁。

 得難き青春に思いを馳せて階段を下りると、ふと、微妙な考えが脳裏をよぎった。

 私は失念していた。百井の恋愛事情を。

 百井の交際相手の有無を聞いてから約一か月。その間に百井の身に薔薇色の吉兆が訪れていてもおかしくない。

 今月は特に学校行事が多い。

 行動力に長けた男子生徒から「一緒に文化祭を楽しもうぜっ!」などと、熱いお誘いを受けているかもしれない。いや、知らないけども。私の意味不明な妄想の域を出ないけども。

 やっぱり百井の家に行ってみようか。

 そもそも在宅しているか不明であり、私が出向いたところで迷惑である可能性が高い。おまけに雨脚も強くなり、微妙に頭が痛くなってきた。

 しかし、理屈を勢いでねじ伏せることも時には必要である。

 急に百井の顔を見たくなった。我儘だけど、原動力はそれで十分。

 そうと決まれば手土産を用意しようと少し寄り道。

 目的地は近場のドラッグストア。滋養強壮効果がある栄養ドリンクでも見繕う算段。ついでに我が家の猫のおやつも補充しておくか。

 思えば百井は私の見舞いに来た時には何を考えていたのだろう。善人の百井は弱ったクラスメイトを見過ごせなかったと言えばそれまで。

 私の浅い見識によると、百井は他のクラスメイトが体調を崩した様子でも、一応気にかける素振りは見せるけど保健室まで連れ添ったり見舞いに行っていない。これでは百井が薄情な人間に見えてくる。けれども対応としては上々なものだろう。

 百井はだから様子を見に行こうと思った。

 そんなわけない。傲慢、慢心、自意識過剰の極み。と、いつもなら断じるところだけど、そう簡単に割り切れないほど最近の私と百井は接しすぎている。

 身近なことほど見落としている事柄はある。それこそお互いの連絡先を知らないことが最たるもの。

 もしかしたら百井は、私のことを…………子ども扱いしている? 私はそろそろ十六歳だぞ。うぅん、何か違う気がする。


 ドラッグストアまでの道の途中にある、小綺麗な眼科に差し掛かる。駐車場には数台の車。私の家から近い、幼少の頃からのかかりつけの眼科。

 蛍光灯に照らされる軒先には、眼鏡をかけた黒い恰好の女の子がいた。傘を持っていないのか、手を雨に晒して雨脚を測っていた。

 既に雨具無しでは下着まで濡れるレベルの雨脚。

 世界にまた一人、哀れな濡れ鼠が増える。普段であれば気にも留めない光景。見ず知らずの人間に私が手を貸す道理もない。

 しかし、今回は事情が違った。

 その女の子は百井だったから。

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