第二十九話
翌日の放課後。私は美化委員会の仕事で、明日から始まる文化祭に備えて毛利さんと共に各所の女子トイレの動作確認に追われていた。
私が委員会の仕事に従事できるのも、クラスの出し物の準備が文化祭実行委員会による徹底したスケジュール管理のおかげで余裕をもって終了したからである。クラスメイトたちは各々衛生管理に努め、目くるめく文化祭を楽しむことだろう。
私も文化祭を楽しみたい気持ちで山々だけど、そうは問屋が卸さない。
今日、百井は学校に来なかった。
昨日の出来事が関係しているはずだけど、原因が全く掴めていない。
もし百井が学校に来ていたら、不本意ながら羽交い絞めにしてでも会話の場を設けるつもりだった。ああでも、百井の方が背が高いから一苦労……いや、文庫本一冊くらいしか違わないから誤差だな、うん。
下駄箱事件の犯人の子から百井のことを聞き出すことを考えた。
しかし、私が視線を送ると露骨に目を泳がせて何処へと消える。先の事件は水に流してしまったから普通に接したい。でも向こうにその気がないならしょうがない。去る者は追わず。
百井が学校に来ないなら私にできることは限られる。
何しろ私と百井は未だに連絡先を知らない程度の仲。連絡先を知らないから百井の家を尋ねるためのアポイントメントは取れない。そもそも百井は家にいるのかな。
後手に回らざるを得ない状況は正直歯痒い。何とかして力になりたいけれども百井は
私も百井のことばかりを考えているわけにはいかない。
今日は百井のことが心配で心配で仕方がなく、そのことで頭がいっぱいで、気付けば放課後になっていた。このままでは、あっという間に年を取ってしまう。
これほど百井から影響を受けている私は既に
最後の確認場所である図書室近くの女子トイレに着く頃には空気がひんやりとしてきた。
近くの窓から見える西側の空は灰色の雲が覆っていた。この時期らしい天候のぐずつき。一応折り畳み傘を持ってきているから雨の心配はないけど、低気圧による頭痛が懸念される。
「さて、ここで終わりだ」
一番奥の便器のレバーを回した毛利さんが言った。
「異常なしっと。男子トイレのほうはどうなんだろう」
私はメモに丸印を記入しながら言った。
「向こうもちゃんとやってるだろうさ。委員長を怒らせたら怖いからね。私たちは一足先に帰ろうじゃないか」
「そうだね」
私は毛利さんの合理的な意見に賛成して、美化委員長が待つ教室へと向かった。
「知ってたかい? 実はさっきのトイレには怪談話があるんだ」
左側を歩く毛利さんはそう言い、気だるげな目元を一際輝かせた。
「どんなの?」
「トイレの花子さんだよ。この学校の花子さんは双子らしい」
「へぇーそれぞれで個室を占領しているのかな。迷惑だね」
私は適当に言った。
「うぅむ、今一反応が乏しくない。百井なら耳を塞いでたよ」
「こんなのでビビるんだ」
思い返せば百井と一緒に写真を撮ったときに私が心霊写真の話をしたら、あからさまに話題を逸らしていた。ホラーやオカルトが苦手らしい。
「あいつ今日は学校に来てなかったようだね」
「うん……」
「でも明日からは文化祭だから顔を見せると思うよ」
「だといいんだけど」
毛利さんは百井の連絡先を知っていることだろう。頼めば百井の様子を把握できるかもしれない。
しかし、あの時の情景を誰かに教えていいものなのか。心のどこかでは、涙を流そうとしていた百井の姿を独占したいと思っている。私だけでは手立てがないのに矛盾している。やはり私は倒錯しているのかもしれない。
美化委員長に報告を終え、昇降口へと向かう途中、西洋風に飾り付けられた教室を通り掛かった。
「白川さん、うちのクラス見てかないかい?」
そこは毛利さんのクラスだった。
このクラスも準備は終了しているようで、残った数人の女子生徒たちがトレーディングカードゲームで遊んでいた。
「いや、明日の楽しみに取っておくよ」
校舎を回る間に飾り付けられた教室は目の入っていた。けれども詳しく見るのは明日以降の楽しみに取っている。
それに学校において他のクラスは、小中高変わることなく別次元の世界であり、おいそれと足を踏み入れていい領域でない。
「確かにそのほうがいいな。文化祭は百井と回るのだろう?」
「特にそんな話はないけど。あと、そこまで百井と仲良くないというか」
「……まあ、君が言うならそうなんだろう」
廊下での立ち話を切り上げようとしたところ、教室の奥から女子生徒たちがカードを片手に廊下へやって来た。
「お帰り〜イオちゃん」
「やあやあ」
毛利さんの名前は「
「って、し、白川さん!?」
「あの三組の白川さん!?」
毛利さんのクラスメイトたちは驚いた顔をした。
「そうですけど。初めまして」
「なぜこんな場末のクラスに……」
「ただ通り掛かっただけだよ」
私は言った。
「何か崇高なお考えがあるに違いない……」
「おいおい、白川さんはとっても親しみを持てる人だよ」
「えっ、そうなの?」
困っている私を見て、毛利さんが助け舟を出してくれた。いいぞ、もっと言ってくれ。
「曰く付きである図書室近くのトイレの話を聞いても全く動じない胆力の持ち主なんだ」
毛利さんは私の想像とは違う補足をした。学校の怪談にビビらないことのどこに親しみを持てるというのか。
「悍ましきあのトイレの話を聞いても全く動じないなんて……」
「普通のトイレだったと思うんだけど。それに学校の怪談紛いにビビる人の方が珍しいでしょ」
私は言った。つまり百井は珍しい側の人間になる。
「この通りオカルトを信じない人なんだ」
「それはそれは……」
「沼に沈め甲斐のある人だ……」
毛利さんを含めた女子生徒たちの闇の笑顔を見て背筋が凍った。
恐らくこの子らはオカルト研究会の構成員。
毛利さんは私をオカルト研究会に勧誘するのが狙いか。まずい。このままだと多勢に無勢をいいことにオカルト沼に沈められてしまう。
「じゃ、じゃあ、私は帰るから。それではごきげんよう」
「ああ、雨降ってるから気を付けてね」
「お気を付けて~」
今度こそ会話を切り上げて、私は一人昇降口へと向かった。
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