第二十八話

「お疲れ百井」

 私はコートの一角で沸き立つクラスメイトたちの合間を縫い、小窓付近で涼んでいた百井に声を掛けた。

「あ、白川さん、お疲れ~」

「見てたよ、試合」

「あはは……三位って、なんか微妙だよね」

 激闘を終えた百井は爽やかな顔をしている。

 先ほどの準決勝、百井たちは僅差で負けてしまった。

 その後の三位決定戦では勝利し、見事三位の成績を勝ち取った。輝かしき成績である。

 球技大会は文化祭とは違い一日しか設けられていない。

 余裕のない日程ゆえに、勝ち上がるチームの試合は連続する。いくら休憩時間があるとは言え、相応の体力が求められる。生徒の万全を期すなら文化祭のように二日ほど日にちを確保するのも一考の余地ありだと思う。

 しかし、所詮はレクリエーションの類。そんなに運動したければ部活をやれって話だろう。

「十分凄いよ。ご飯食べられる?」

「うん。学食行こっ」

 そうして私と百井は学食へと向かった。

 バスケットボールの試合が長引いた影響で日程は大分押しているけど昼休みはしっかりと確保された。

 とは言え、私はあまり食欲が湧いていない。それでも胃に何も入れないわけにはいかない。百井も同様に、疲弊しているからこそ栄養が必要。

 体操服姿の生徒たちで混雑する購買にて菓子パンを買い、次は飲み物を買うために自販機の列に並んだ。今日は特にスポーツドリンクの類が人気で、青いラベルのものをはじめとするいくつかの商品は売り切れている。

「待って百井」

「えっ?」

 やがて順番が回り、財布から小銭を出そうとしていた百井を呼び止めた。

「百井たちの三位祝いってことで私が奢るよ」

「なら、お言葉に甘えて」

「何飲むの? 炭酸?」

 例として私が買おうとしているゆず味の炭酸飲料を指差した。

「炭酸……実は私、炭酸が飲めなくて」

「炭酸苦手なんだ」

「なんか、口の中が噛まれる感じがしてさ」

 なるほど。私は炭酸を爽やかな刺激に感じるけど、苦手な人はそう感じるのか。

「じゃあ、無難にスポドリ?」

「だね。それ、お願い」

 百井は私が飲んだことのないマイナーなスポーツドリンクを購入。

 スポーツドリンクに貴賎なし。どんなものでも今の百井には効果的だろう。

 裏庭のベンチを陣取った。

「そういえばテニスはどうなったの?」

 私がゆずの爽やかな風味を楽しんでいると、右隣に座る百井が言った。

「ああ、テニス? 私たちのクラスが優勝したけど」

「へえ~優勝したんだ……えっ、マジで優勝したの?」

「うん。まあ、みんなで頑張った結果だね」

 私は謙虚に言った。

「……あんまり嬉しくなさそう」

「いやいや、道端で雉を見つけた程度には嬉しいって」

「雉……? あ。白川さん、あれ見て」

 百井は学食から校舎に繋がる通路を差した。そこを私は百井の後頭部越しに見た。

「雉でもいた?」

「いや、違うけど。あの人が新聞委員会の委員長の郷右近先輩」

「どれ?」

「ほら、髪の毛ピンク色の人。隣にいるのが彼氏」

 百井はそう言い、こちらに向き直った。

「あの人が郷右近先輩なんだ」

 かの郷右近先輩は彼氏と肘の小突き合いをしながら歩いていた。私は繋がりがないし、興味もない。髪の色は良いと思う。

「でね、郷右近先輩なんだけど新聞委員会で少しやらかして……」

「知ってる。委員会を私物化して怒られたんだってね」

「あ、知ってた?」

 百井はそう言い、肩を落とした。

「神長から……別のクラスの友達から聞いてた」

「神長さんって五組のモテる子でしょ」

「そのようで」

 そんな神長と知り合いである私も鼻が高い。

「朝も話してたし、仲良いんだね」

「と言っても中学からの付き合いだよ。頻繁に連絡を取り合ってるわけでもないから、いい感じの友達かな」

「ふーん、そうなんだ」百井は少し不機嫌そうにスポーツドリンクを呷った。「はぁ……ねえ白川さん、何かあった?」

 スポーツドリンクを飲み切った百井が言った。

「ん? 何かって、別に何も…………いや、あった」

「やっぱり。そんな顔していると思った」

 そんな顔……詰めが甘かったな。

 先の事件によって私のテンションが下がっていることは間違いない。悪感情は表に出さないようにしたいけど難しい。内心を表情で推測できない謎めいた女を目指したい。

 正直、こういう時は百井の勘の鋭さには鳴りを潜めてもらいたい。私にも触れられたくない事情の一つや二つはある。

 尤も、百井は遅かれ早かれ事情を知るかもしれない。百井と犯人の女子生徒は疎遠に見えるけど、実際はどのような関係なのか不明である。

 加えて気掛かりなことは、あの場にいた口の軽そうな有象無象の女子生徒たち。

 夏目先輩が気を利かせて口止めしてくれたこともあり、矮小なる一介の生徒である私の醜聞が広がることはないと思う。それでも過信できない。

 以上を踏まえて、ひた隠しにする必要はないと思い、百井に先の事件のあらましを説明した。

「というわけで、向こうも懲りたことだろうし、私も気には……」

 説明に集中しすぎて気付かなかった。百井の様子が少しおかしく、顔を俯けている。

「その……わたっ、私のせ……」

 百井は未だに顔を上げず、先ほどから一転して声も聞きづらい。

「大丈夫? 具合でも悪い……」

 少し心配になり、百井の顔を横から覗き込むと、今に零れそうなほど目に涙を溜めていて、私は息を呑んだ。

「っ! だ、大丈夫だから! ごめんっ……!」

 百井は手で目元を拭い、上擦った声で謝罪を言い残して校舎へと走った。

「あ、ちょっと!」

 百井の背中に声を浴びせても、その足は止まらなかった。

 私は一人残された。百井が大丈夫と言った以上は追いはせず、右手で自分の髪の毛先を弄りながら状況の整理に努めた。

 昼休みの終わりが近いこともあり、既に周りの生徒たちは移動を始めていた。

 そのおかげで今起こった出来事に注目を集めなかったことは不幸中の幸い。けれども、そんなことは心底どうでもいい。

 私の話を聞いて泣き出しそうなほど気分が悪くなったのだろうか。もしそうなら空気を読まずに話し続けた私に非がある。それに少し開けっ広げに話し過ぎたかもしれない。

 他に気になった点は百井の謝罪。なぜ、なぜ百井が私に謝る。

 もしかして先の事件に関係しているのだろうか。そんなはずはない。百井が下らない事件に加担しているはずがない。

 百井はなにもしていないだろう。きっと、なにも。


 一先ず体育館に移動した。ドッジボールの応援のために集まったクラスの集団に百井の姿はない。

 やがてドッジボールの試合が始まり、体育館が興奮の坩堝るつぼと化しても百井は現れない。百井の行き先が体育館であれば、あとはなんとでもなると思っていた。

 そう高を括って観戦している間にドッジボールの全試合の決着がつき、球技大会の閉会式が始まっても百井は現れなかった。

 私は更衣室で制服に着替えて教室に戻り、いの一番に百井の席を確認した。そこに鞄はなかった。

 丁度いいタイミングで廊下を歩いていた担任に百井のことを訊ねた。

「百井さんなら早退したわよ。具合が悪かったみたいだけど、聞いてなかった? それと身の回りで異変を感じたらすぐ相談しなさい。何か起きてからでは遅いんだから」

 まともな担任の言う通りで、下駄箱の事件では私も反省するところがあった。私物に異変を感じたのだから教職員に報告するべきだった。

 それよりも、「何か起きてからでは遅い」という言葉は、今の私と百井の状況に合致していた。

 あの時、百井のことをすぐさま追いかけなかったことを後悔した。

 私に言えない事情があったにしても、何かできることがあったかもしれない。それこそ体育館を抜け出して百井を探しに行けた。

 私はそれができなかった。

 百井の言葉を信じたから。けれども今になって百井の言葉を怠慢の言い訳として使ったことに気付いた。

 これはダメだ。絶対にダメなことだ。心を重くする遣る瀬無さが何よりの証拠。

 しかし悩みはしない。泣きっ面に蜂の状況だからこそ、悩んでばかりはいられなかった。

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