第二十七話

「じゃ白川さん、テニス頑張ってね」

 煩わしい円陣から解放されたのも束の間、私の右隣りで肩を組んでいた百井が言った。

「百井も……突き指しない程度に」

 バスケットボールに参加する百井に的確な注意を促し、テニスに参加する他のクラスメイトたちと共に運動場へと向かった。


 空っ風が吹くテニスコートでは涙なしには語れない激闘が繰り広げられた。そして円滑な試合運びにより、予定よりも早い正午前に撤収することになった。

 数多くのドラマを生んだ生徒たちの躍動は、ネタに飢えた新聞委員会により、後世に語り継がれていくことだろう。

 身も蓋もないことを言えば、上級生が関わる学校行事では下級生が謂れなき忖度を強いられる。それが自然の摂理、人生の縮図。

 だけど、私の学年は空気を読まずに上位の順位を総なめにした。

 私の学年の運動能力が高いのか、もしくは上級生のやる気がなかっただけかもしれないけど、勝負事は勝たなければ面白くない。同輩たちの勝ち負けにこだわる姿からは本気さが窺えた。

 私もクラスメイトの熱意にあてられたようで思いの外、試合に身が入ってしまい、少々疲れた。

 特に百井の取り巻きだった三人の内の二人が頑張っていた。

 疲弊した様子で歩道を歩く姿を見る限り、今回の球技大会に何かしらの思惑を持って参加していたことが想像できる。

 この二人については文化祭の準備をしているときに、会話好きな耳聡いクラスメイトから話を聞いていた。

 どうやらこの子らは入学してから夏休みが始まる前までの間、百井のことを私の認識以上に担ぎ上げ、さもクラスの支配者であるような振る舞いをしていたらしい。

 その時期の私は目標探しに躍起になり、四人の中でとりわけ印象に残っていた百井以外眼中になかったので知らなかった。

 それに入学早々同級生如きにビビろうものなら先が思いやられる。何かを盾にして威張っても、どうせ同じ学年。高が知れている。

 聡明なクラスメイトたちと言えど、新生活に対して戸惑いがあり、取るに足らない圧制に尻込みでもしていたのだろうか。

 更に言えば、渦中の百井に突出した能力はなく、そこら辺にいる女子高生と大して変わらない。私の視線を引き寄せる人としての魅力や、フラッグシップとして担ぎ上げられれば人を顎で使えるポテンシャルを秘めているにしても、この子らの振る舞いがまかり通っていた事実が今一つ腑に落ちない。私と接するときの百井を見ていると強く思う。 

 一方、最近の他の三人は悪い言い方をすれば落ちぶれている。もはやこの子らに支配力はなく、比較的大人しい生徒となった。

 クラスメイトたちが尻込みの不必要さを理解したことが起因しているのか、それとも百井がこの子らと距離を置いていることが関係あるのか。

 クラスメイトたちの事情は時間が解決したことだと片づけられる。

 しかし、百井はどうしたのだろう。明らかにこの子らとは距離を置いている。やはりケンカ? 高校生にもなってそんな稚拙なことがあってたまるか。


 尽きることのないクラスメイトたちの浮かれっぷりを楽しみながら運動場から学校へと戻り、昇降口に着くと、付近の廊下で私のクラスの担任と複数の女子生徒の集団が目に入った。

 その中には弓道部元部長の姿もあり、一人制服のままの女子生徒を囲んでいる。

 何やらただならぬ気配をひしひしと感じる。

 クラスメイトたちも同じようで、そそくさと靴を履き替えている。私も早いうちにこの場から立ち去ろうとした。

「あら、噂をすれば。白川さん、ちょっとこっちに来なさい」

 しかし、私だけが担任から呼び止められてしまった。

 不穏な気配を感じるので担任を無視して立ち去りたいけど、それは少し心証が悪い。

 そう考える私をよそに、クラスメイトたちは「先に行ってるよ~」などと、気楽なことを言い残して体育館の方へ。

 とにかく心の準備をして下駄箱の蓋を開けると、なぜか上靴が見当たらない。もしかして、うっかり上靴のまま外に出ていたか。

 自分の足元を見ると、ちゃんと外用の運動靴を履いていた。

「あ、上靴はこっちにあるわよ。夏目なつめさん、渡してあげて」

 なんで私の上靴がそっちにあるんだよ。

 弓道部元部長改め、夏目先輩から手渡された上靴を履き、担任たちの下に。女子生徒の集団は学年が入り混じっているように見える。

 この状況で一際目立つ制服のままの女子生徒は頻りに手で涙を拭い鼻をすすっている。よく見たら私のクラスメイトだ。名前は、えっと……なんだっけ。

 この学校に入学してから約半年が経ったとは言え、高校ともなると初見の人が多く、未だに名前を把握していないクラスメイトが数人いる。

 知っていることは、百井の取り巻きだった三人の内の一人ってことくらい。

「なんですか先生」

 私が軽く質問すると周りの女子生徒から注目を集めた。

「落ち着いて聞いて。あなた、最近下駄箱に異常は感じなかった?」

 担任はいつになく神妙な面持ちで言った。

「下駄箱にですか。うーん……確か先週の放課後、私のローファーに誰かが触った痕跡があったような。でも気のせいだと思っています」

 私は答えた。

「どうやら余罪もあったようですね」

 夏目先輩は呆れながら言った。全然話が見えない。

「この子があなたの上靴を隠そうとしていたところを風紀委員長の夏目さんがとっ捕まえたのよ」

 要領を得ない私の様子をようやく察したのか、担任が状況の説明をしてくれた。

「はあ、そうなんですか」

 担任が差した制服のままの女子生徒に目をやると、目を逸らされた。やれやれ。

「いや~お手柄だったわね」

「いえ、偶然です。球技大会中なのに制服のままで目立っていましたし」

 夏目先輩が控え目なことを言うと周りから歓声が上がった。周りの女子生徒は夏目先輩の取り巻きってところか。

 夏目先輩は風紀の乱れを正す筆頭格である風紀委員長らしいけど、率先して風紀を乱す現場を目撃したから、この学校の風紀が心配になる。

 かの過激派風紀委員会が夏目先輩の事情を知ったらどうなるのか。

「一応聞くけど何かしたわけではないのよね? お金の貸し借りだとか。そういう面倒な問題、うちのクラスでは勘弁してよ」

 担任が私に向かって言った。

「身に覚えがありません」

「でしょうね。あなたはそんな子じゃないもの。それであなたは何でこんなことをしたの?」

 信頼に足る担任はそう言い、次に制服のままの女子生徒に優しくも厳しい口調で尋ねた。

「えと、付け入る……あっ、じゃなくて。部活で……」

 制服のままの女子生徒は目を泳がせながらぺらぺらと動機を喋った。

 この子は吹奏楽部に所属している。どうやら活動が上手くいっておらず鬱憤が溜まり、その発散の矛先として愚かなことに私を選んだとのこと。はた迷惑にも程がある。

 先週は部活をサボり下駄箱にイタズラを目論むも未遂で終わり、今日は他の生徒の意識が球技大会に向いていることもあり、わざわざ遅刻までして凶行に及ぼうとした。そして、間抜けにも夏目先輩に見つかった。

 幼稚な動機や顛末を聞かされても怒りは湧かない。

 もし先の事件に犯人がいたとしても、その正体は知りたくなかった。

 知ったところで虚しい気持ちになるだけなので、私の与り知らない場所で小さな不幸に見舞われてほしかった。

 面倒なことは起こさないようにしているのに、彼方から理不尽が突っ込んできて余計な対処を求められたら嫌気が差すのみ。

 周りの女子生徒が「ほら、ちゃんと謝っておきな!」などと、余計な気を回し、「すみませんでした……」と、制服のままの女子生徒は泣きながら謝罪した。

 薄々と気付いていたけど、この子は嘘泣きをしている。大方、同情を引くために一芝居を打っているのだろう。

 本気の泣き顔というものは、もっと嗚咽に塗れて見るに堪えないほど醜く、それでいて美しい。

 そんなことよりも私が許さなければいけない雰囲気を作り出されてしまった。私が折れなければこの場は収まらないようだ。

 事実、この女子生徒は腐ってもクラスメイトなので、今後私に敵意を向ける気がなくなるほど完膚なきまでに叩き潰すことはできない。やろうと思ってもできないし。

 信頼できる担任や夏目先輩は事件を解決した清々しい気分を噛み締めたいだろう。

 別に物が紛失したわけではなく、暴力を振るわれたわけではない。

 ただ私の精神が摩耗しただけ。

「他の子にはやっていないんだよね」

「う、うん」

「なら、いいよ。でも、次はないから」

 私の一言をもって今回の事件は終息した。

 その後、制服のままの女子生徒は担任に連れられ職員室の方へと消えた。大ごとにはしなかった分、反省文をしこたま書くといい。

「災難だったわね、君」

 夏目先輩が私に向かって言った。

「いえ、ありがとうございました。風紀委員会の方だったんですね。意外です」

 先週の出来事から出た感想を交えて礼を言うと、周りの女子生徒からは「はあ? 意外ぃ?」とか「あんた何を調子こいたこと言ってんの?」とか「よく見たら性格悪そう」など、多勢に無勢をいいことに非難の言葉を浴びせられた。

 誰だか知らない人たちにここまで言われるとは、今日は厄日か。

「……君たちは体育館に行ってて。私はこの子からは今後の参考のために話を聞いておきたいの」

 夏目先輩の言葉に周りの女子生徒は素直に従い、各々体育館の方へと消えた。

「ごめんなさいね、失礼なことを言う人がいて」

「別に気にしていません……あの、話ってなんでしょうか」

 今回の事件は一刻も早く忘れたい。

「決まってるじゃない。私と東先生のことよ」

 背が高い夏目先輩は少しかがみ、私の耳元で小さく言った。

 私に弱みを握られているようなものだから気を揉むか。別に弱みとは思っていないのだけど。

 とりあえず先の事件に関して根掘り葉掘り聞かれずには済んだ。

 けれども夏目先輩と東先生の件は、それはそれで深入りしたくない問題。それにあの時の私は調子が悪く、既に記憶は曖昧。

 百井の体温とか手の感触しか覚えていない。

「やはり広がるとまずいことなんですよね?」

「そうよ……私はともかく、東先生は死活問題だから」

 自分はともかくとか言っているけど、どちらにとっても重要な問題だろう。

「なかなかリスキーなことをしますね」

「反省してるわ。あの時は私のほうから……」

 夏目先輩は聞いてもいないことをべらべらと話し始めた。これ、惚気話か。

「私は口の堅さには自信があります。ですから安心してください」

 ほまれある夏目先輩の惚気話と言えど、それに付き合うほど暇ではないので流れを断つために自信満々の宣言をした。

 すると夏目先輩は東先生と同じく微妙な反応を示した。

 しかし、私の墓場まで持っていく覚悟が伝わったのか、夏目先輩は軽いため息の後、「まあ、いいわ。行っていいわよ。私は保健室に行く途中だったから」と言い、笑顔を見せた。その笑顔からは人から慕われる秘訣のようなものを感じた。

 ようやく解放され、私は体育館へと向かった。

 禍福かふくあざなえる縄の如しとはよく言ったもので、良いことばかりは続かない。

 何より下駄箱へのイタズラが私の気のせいやポルターガイストではなかったおかげで、オカルト研究会の毛利さんにオカルティックなネタの提供ができなくなってしまった。惜しいな。


 ボールの弾む音や靴が床に擦れる音で賑やかな体育館に入ると、百井たちが試合をしている最中だった。コートの片付けが始まっているバレーボールに比べるとバスケットボールは諸々の進行が少し遅れているようだ。

 入り口の近くにあるホワイトボードに張り付けられたトーナメント表によると、今行われている試合が準決勝。

 ついでにバレーボールのトーナメント表を見ると、樋渡と神長のクラスは三位決定戦で負けて四位だった。中々ではないか。

 試合が行われているコートの周りにはクラスメイトたちが応援に集まり、私もそこに混ざり試合を観戦する。コートの反対側にあるスコアボードによると試合は拮抗している。

 相手チームの選手がジャンプシュートを決行した。

 一見ピンチと思いきやゴールには入らずリバウンドし、すかさずクラスメイトがボールを取り、一気にカウンターを仕掛ける。バスケットボールは戦況が目まぐるしく変わるから見ていて飽きない。

 ボールを確保したクラスメイトがセンターラインまでボールを運び、次は先行していた百井にボールが渡り、シュートを決めるためにポニーテールを揺らして疾駆する。

 百井の頑張っている姿が、今の私には嬉しくて、尊く思えた。

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