第二十六話

 体育館に到着すると、まだ開会式が始まらないこともあり、体操服姿の生徒のざわつきで賑やかな様子が目に入った。

 各クラスの列は壇上の方から三年生を先頭に、二年生、一年生の順。私と百井は出席番号順に整列するクラスに合流し、それぞれの場所へ。

 開会式が始まるまでの暇潰しに体育館をそれとなく見渡す。

 やはりと言うべきか、球技大会ガチ勢と思われる体育会系の生徒たちは増長している。その気力溢れる様子には恐れ入った。テスト期間によって溜まった鬱憤を晴らす絶好の機会だから無理もない。ああいう人たちはこの行事を通して仲間との固い絆のような暑苦しいものをより強く認識することだろう。

 球技大会は各クラス毎の団結力を見るのと同時に、体育会系の生徒たちのガス抜きの行事でもあるから面目躍如というわけかな。

 一方、文科系と思われる生徒たちは意気消沈している。

 文科系と体育会系の生徒たちでは生きている世界が違うから、これまた無理もない。腐らず参加しているだけでも勇敢と言える。

 今後の体育会系と文科系の生徒の間に広がる目には見えない溝の深まりを危惧しているうちに体育館は静まり返り、粛々と開会式が始まった。

 そして眠気を誘う校長先生の長い話や、体育教師による日程の説明、代表生徒によるフェアプレイの宣誓を聞き流している間に終わりを迎えた。

 あとは各自で準備運動をして、競技が行われる会場に移動しろとのこと。

 バスケットボールとバレーボールはこの体育館を仕切りのネットで半分に分けて行い、卓球は寂れた旧体育館の方で行われる。

 説明によるとドッジボールは全競技が終了してから行われる球技大会のメインイベントだったようだ。出場しないから興味もないので知らなかった。

 私が参加する競技はテニス。試合が行われる場所は学校が保有する運動場。テニスは今まで触れてこなかったスポーツだけど、やってみるとそれなりに楽しい。

 この際、漫画のキャラクターが使う消えたり分裂する打球とかイレギュラーバウンドするサーブなどの常軌を逸した魔球を打ってみたいものである。現実でもボールに強烈な回転をかけることで魔球じみた打球を打つことができるらしい。

 けれども、私のようなずぶの素人が変な技巧に手を出すと確実に手首を故障するだろう。ここは基本に忠実に。

 同じくテニスに参加するクラスメイトと合わせて移動しようと思い、その場から動かずに周りの様子を見ていると、どこからか騒々しいどよめきが聞こえた。

 どうも大きな掛け声を出したグループがいたようだ。何に駆り立てられているのだろうか。

「おはー、しぃちゃん」

 慄いていると神長が手を振りながらやってきた。

「おはよう。何だかやる気ある人がいるみたいだね」

「ああ、さっきの? あれは友紀ちゃんたちだよ」

 神長は答えた。

「さっきの掛け声って樋渡たちだったんだ」

「張り切ってるよね~、円陣まで組んでさ」

 神長が差した場所を見ると、本当に樋渡が数人と円陣を組んでいた。

 その微笑ましい様子を眺めていると樋渡も私に気付いたようだ。そして何故か挑発めいたポーズをしてきたので、生温かい視線を返しておいた。

「神長は混ざらなくてよかったの? 樋渡と同じくバレーボールに出るんだし」

「まあ、団結するのは大事だけど、暑苦しいのはちょっとね」

 どうやら神長が私のところに来た理由は円陣から逃げるためだったようだ。

「……そういえば、例のラブレターってどうなったの?」

 私は周りに聞こえないように小声で訊ねた。

 知り合いの色恋沙汰にがっつり首を突っ込むわけにはいかないけど、少しは気になる。

「ん、保留中」

「焦らすテクニック的な?」

 恐らく恋愛熟達者である神長らしい、ラブレターの送り主に主導権を握らせない手練手管と言ったところか。

「いやーそれがね……あんまり詳しくは言えないんだけど、正直どうしたものかと悩んでいるの」

「白か黒かの単純な話じゃないんだ」

「そんな感じ……あっ! そ、それじゃ、お互い頑張ろっ!」

「え? お、おー?」

 神長はそそくさと自分のクラスの集団のところへ去っていった。

 私はそこまで球技大会にやる気を向けていないんだけどな。

 周りの様子見を再開すると、何者かが私の右手をつついてきた。

 横を通った人の何かが触れたのだろうと思ったけど、そうではないらしい。今なお異様さと鬱陶しさを感じさせる不規則な間隔で私の右手に触れてくる。

 流石に看過できず、一度右手を引っ込め、人の気配がする右後方を見た。なんとなく予想はついている。

「あっ……」

 そこにいたのはポニーテールの百井。何やら驚いた顔をしている。

 それとどことなく落胆しているようにも見える。私の怒りのボーダーラインを測るためのチキンレースでもやっていたのかな。

 ともかく予想が当たり、とても安心した。面識がない人に体を触られることは恐怖でしかない。

「何の用かな百井。もしかして、蚊の真似でもしてた?」

「違うよ……クラスのみんなで円陣組もうって話になったから呼びに来たの」

 樋渡たちの暑苦しいノリが伝播したのか、体育館のあちこちでは勇猛な掛け声が響き渡っている。

 私のクラスメイトもその影響をモロに受けたようで、円陣を組むために列の後ろの方では人だかりができている。

 察するに百井は気を利かせて私を呼びに来たらしい。だとしても、用があるなら普通に声を掛ければいいのに。

「わざわざ呼びに来てもらって悪いんだけど私はパスで。暑苦しいのは……ちょっとね」

 先ほどの神長の受け売りである。

 私はどちらかと言えば大きい音や声のほうが苦手だけど、事細かに説明するほどのことではない。

「うん、一理ある」

「でしょ? それに少しくらい人が足りなくても誰も気付かないって」

 私は更に付け足した。これで護身は完璧。

 どうあれ百井は、私が円陣を組むことに苦手意識を持っていることを察してくれるだろう。

「私は気付いてるけど?」

「むむっ……」

「クラスの士気が乱れるから参加したほうが身のためだと思うよ」

 百井は畳み掛けるように言い、含みのある笑みを浮かべた。クラスメイトと仲が良いところからくる余裕だろうか。

「それを言われるとなぁ。しょうがないか」

 利己的な考えを貫き、団結するクラスの勢いに水を差すのは避けたほうがいいかもしれない。

 しかし、なり振り構わずに自己を押し通して円陣を拒否することはできる。クラスの士気を大事にする人はそこまでいないだろう。

 それでも百井に根回しさせるのは気が引けた。何より私の護身を瓦解させた百井の察しの良さは称賛に値する。

 その思いから大人しく百井に従い、息巻くクラスメイトたちに合流して円陣を組み、掛け声を出した。

 初っ端から疲れてしまいそうだ。

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