第二十五話

 保健室での一件から数日。中旬に開催される文化祭の準備が本格化した。

 私のクラスの出し物は喫茶店擬き。クラスの文化祭実行委員会が中心となり、有志の生徒が営業する。有志である以上、意欲がなければ参加の強制は無い。

 けれども、傍観者を気取り不参加を決め込むクラスメイトは一人もおらず、百井のように委員会の仕事を優先したり、部活の出し物に専念する一部の生徒を除き全員参加となった。意外である。

 当初は文化祭に対して熱心な人間と冷めている人間との殺伐とした対立が勃発するものだと思っていたけど杞憂だった。

 最近の私は目標に向かって一丸となるクラスに微力ながら力添えしていることに充実感を得ていた。完全下校の時刻まで学校に残り、クラスメイトと他愛ない会話をしながら作業することは楽しい。各々が文化祭に対して如何なる見方なのかは定かでないにしても、段取りの抜け目のなさ、飾りつけや看板の完成度から前向きな姿勢が感じ取れた。

 もしかすると、文化祭の準備期間という状況下でこそロマンスは生まれるのではないか。数名のクラスメイトは見るからに張り切っていた。特に男の子たち。文化祭マジックと呼ばれる勘違いの産物に惑わされてワンチャンスを賭けているのかも。

 恋は錯覚、愛は束縛。曖昧な感情に動かされてこそ恋と呼べるのではないかと私は思う。

 その曖昧な感情すら見当たらず、恋の切っ掛けを見つけられている人たちに羨ましさを感じるのが私の現状。


 そんな中、本日やってきたのが秋の祭典その一、球技大会。私はその開会式に参加するため、普段よりも混雑する更衣室で着替えていた。

 本日の天気は乾いた秋晴れ。幸運にも停滞していた秋雨前線は顔を隠し、青空が良く見えて運動には好都合。野外競技は滞りなく行われるだろう。

 絶好の運動日和に反して、私はいつにも増してテンションが低い。

 こういった行事に浮かれるような体育会系の人間ではないから、こうもなる。サボろうとも思ったけど、授業が丸一日潰れる以上、他所でサボるのと何ら変わりはない。

 球技大会の主要な競技はバスケットボール、バレーボール、ドッジボール、テニス、卓球。ドッジボールはクラスの精鋭が選出される。

 各競技は学年関係なくクラスごとに対戦するトーナメント形式。上の順位ほど高いポイントが獲得でき、各競技で獲得したポイントの合計値をクラスごとに競い合う。全体の決まりとして、球技の部活に所属している生徒は自分が所属している部活と同じ競技には参加できない。それ以外に変わったルールはない。

 もちろん、やりたい放題の無法なわけではない。

 有力な生徒を闇討ちして再起不能にしたり、下剤入りのドリンクを差し入れたり、袖の下を握らせたり、色仕掛けしたりなどスポーツマンシップに反する妨害工作をしてはいけない。

 過去の開催の様子を知っている担任が言うには、何やら熱狂渦巻く一日になるようだ。

 私はそんな気は一切していないけど、更衣室で沸き立つ生徒の様子を見ていると球技大会には人を興奮させるものがあるような気がしてきた。好きな人が汗する姿に思いを馳せたいとかかな。


 などと考えながらワイシャツを脱いでいると、「白川さん~……」と私を呼ぶ声がした。

「ちょっとごめん……」長袖の体操服姿の百井が周りの人をかき分けてやってきた。「はあ、混みすぎ」

「何か用?」

「あの、白川さんに頼みたいことがあるんだけど……」

「そう。少し待って。まずは私が着替えてからね」

「うん、待ってるから」

 何か厄介事ではないことを祈り、百井の目の前でささっと着替えた。

「で、何?」

「えっと、髪を結んでほしいの……」

 百井はそう言い、普段使いしていると思われるくしとヘアゴムとヘアピンを見せた。

「うーん……自分で結んだ方がいいんじゃない? それにいつも自分でポニテにしてるでしょ」

 百井は体育の授業では髪型をポニーテールにするときがある。そのときは自分で手早く結んでいた。

「そうなんだけど、今日は髪の調子が悪いのか、なんか上手くまとまらなくて……」

「ふぅん。まあ、そんな日もあるか。しょうがない、今回だけだよ」

 私は言った。事実、事あるごとに手伝わされたら面倒である。

「ありがとう」

「ここじゃ周りの邪魔になるから、どこか鏡のあるところに行こう」

 更衣室を出て、保健室の近くにあるトイレに向かった。


 トイレの外にある数人並んでも余るほどの大きめな鏡がある水道に来た。

 百井が鏡の前に立ち、私はその後ろを陣取る。

「では、始めますか。あ、百井」

「何?」

「痛くしたらごめんね」

 百井の耳元で小さく囁いた。

「あっ! あの……お手柔らかにっ」

 ピシッと固まった百井に少し驚いたけど、気にせず髪を櫛でかし始めた。

 想像通り百井の美しい黒髪はサラサラとした感触で、この世のものとは思えない芸術品のようだ。というか別に髪の調子が悪い感じはしない。百井にしかわからない違いがあるのだろう。

 それにしても百井の黒髪を梳かす日が来るとは思いもしなかった。引っかかったりしないように気を付けなければ。どういうシャンプーやトリートメントを使っているのだろうか。耳の形が可愛いな。

 一通り髪を梳き終え、ポニーテールにする部分の髪をまとめると、百井のうなじが露になった。

 今の私は虚無の体現者。

 百井のうなじを見ても感情は一ミリも動きはしない。そもそも鏡があるから軽率に感情を動かしてはいけない。

 もし百井のうなじを見て顔をニヤつかせようものなら鏡がそれを映す。その卑猥な顔を見て私を軽蔑した百井に縁切りを叩きつけられ、私は失意のまま希望のない暗黒の道を歩むことになる。

 そんな憂き目を見ないためにも真摯に、そう、真摯に行こう。延長は無しだ。

 丁寧な作業の末に、百井は見事と思える出来栄えのポニーテールになった。

「どうです?」

「おお、いい感じ」

 百井は鏡で確認しながら言った。

「よかった」

 百井も満足してくれたようで、何だか嬉しい。

「白川さんも結ばない?」

 百井はポニーテールを揺らして提案した。

「私は後で自分でやるからいい。ほら、開会式始まっちゃうよ」

「あ、うん……」

 私は百井を連れ添って、開会式が行われる体育館へ向かった。

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