第十六話

 その後、百井から毛利さんの武勇伝を聞いたり、店内の様子の観察をして時間を過ごした。

 そしてあっという間に小一時間ほど時が経ち、本日はお開きとなった。


 百井と一緒に店の外に出ると、すっかり日が落ちていた。

 歩道には会社帰りと思わしきスーツ姿の人が散見し、付近の道路を走る車やバイクのヘッドライトが眩しく輝いている。時折、体を撫でる乾いた風が季節の変わり目を感じさせる。

「ねえ、白川さん。写真……撮ってもいい?」

 百井は言った。

「私は構わないけど、なんか良い被写体あった? あのモニュメントとか?」

 なぜ私に許可を求めるのか。雑踏の写真なら勝手に撮ればいいのに。

「あんなのどうでもいいよ。そうじゃなくて自撮りしようってこと」

「あ、そういうのか。じゃあ私が撮るから携帯貸して?」

「いや、一緒に写ろうよ」

「もしかしてネットにアップしたりするの? そういうのはちょっとね……」

「しないよそんなこと。私も苦手だから、そういうの」

「ならいいけど」

「……セーフティロックが多い」

 百井はボソッと言った。

「というか写真を撮ってどうするの?」

 百井が言ったことは若干不本意ながら聞かなかったことにして、写真を撮る意図を訊ねた。

「えっ、えーっと……ほら、年を取ったら昔のことを思い出せなくなるかもしれないよね? そんな時、写真とかあれば思い出せるかなって」

「おお、なるほどね」

 自分の美貌を世間に誇示するために私を引き立て役にする魂胆があるのかと思った。誠実さに満ちた理由を提示され、猜疑心に溢れた思考を思い浮かべた私は自分を恥じた。

 百井の主張は一理あるけど、加齢による物忘れなどの兆候が見えるのは、五十年くらい先の話だと思うから気が早い気がする。

 とは言え、備えておくに越したことはない。過去を追憶するための手段は、いくらあってもいい。年老いた自分の在り方が不安だから過去を想起できる物を手元に残す。写真はそれに適している。

 過去を思い返しても辛くなるだけかもしれないけど、縋るものが無いのは、もっと辛いはず。

 正直、私は作り笑顔が苦手だから写真を撮られるのは好きではない。それでも百井の一助になると思えば、やぶさかではない。

 かく言う私も年老いた自分を想像すると恐怖を感じる。年を取ってから後悔しないためにも、今のうちに若さに物を言わせたいと思っている。私が髪を染めたのも、その心掛けの一端である。


 人がいない静かな場所に移動して撮影したい私の考えとは裏腹に、その場で喫茶店の壁を背景に写真を撮ることになった。

「本当にこんなところで撮るの? なんか恥ずかしいな……」

「今から他の場所に行ってたら夜も更けちゃうよ。ほら、寄って」

「うん」

 私は言われた通りに百井の体の左側に寄り、触れそうで触れない位置取りをして、掲げられた携帯電話に意識を向けた。

 百井は携帯電話のインカメラを使っているので画面には私たちが写っているのが見える。

「撮るよー」

 百井は手慣れた様子で携帯電話のカメラのシャッターを切った。


 写真を撮った後、百井は携帯電話の画面を見て、なぜか口角を上げている。写真に写った私の顔が変だったのではないかと不安になってきた。

「見せて」

「はい。どう?」

 ご機嫌な百井が差し出した携帯電話の画面に目を向けて、写真の不自然な点を探す。

 写りは結構良い。お互いにポーズはピースをしている。霊的存在がしゃしゃり出ている様子もない。私に霊感はないので気付いていないだけかもしれない。

 百井は満足のいく写真が撮れたことに浮かれているのだろう。

「心霊写真ではないみたい」

「えっ、やめてよ……」

 私が言うと百井は顔を引き攣らせた。

「心霊写真といえば幽霊の顔とか手が写り込むのが定石だけど、他の部位が写り込むパターンはあんまり見ないよね」

「いいよ……心霊写真の話は」

「そう? うーん、百井、写真写り良いね。可愛い……」

 私は百井の顔を写真で見比べ、率直な感想を伝えた。

「ふ、普通でしょ……褒めても何も出ないよ」

 百井はそう言うと顔を背けた。

 私としては最上級の賛辞を呈したつもりだけど、百井にはご機嫌取りだと受け取られてしまった。私が他に可愛いと思うものは猫くらいなのに。

 その後、百井から写真のデータを送ってもらおうとしたところ、私の携帯電話のバッテリーが切れていた。なんたる不覚。もっと携帯電話に依存しなければ。


「じゃあここで。今日は楽しかったよ」

「まあ……そう思ってくれたのなら誘った甲斐があったかな」

 百井は少しばつが悪そうにしている。

「人のお金で食べたり飲んだりするのって気分良いからさ、また誘ってよ」

 軽口のつもりなので奢られるつもりはない。

「正直だなぁ……うん、考えておく。じゃあ、また来週」

 百井とは喫茶店の前で別れた。百井は私とは反対方向の道を進み、街中へと消えた。

 考えておく、か……私も多用する便利な言い回し。

 次の約束が確約されたわけではない曖昧な返事だけど、いい感じの距離感で、むしろ上々。また百井と遊べる可能性があると思えば胸が弾む。

 それにしても今日は私にしては人と会話しすぎて口が疲れた。

 普段から口数が少ないとは言え、百井と二人きりともなれば、そうも言ってはいられない。会話が途切れないように努めたけど、ままならなかった。

 特に喫茶店で百井と対峙していた時、私は少し緊張していた。

 気を紛らわすために度々ブレンドコーヒーやチーズケーキを口にしていたから減りが早く、百井を急かしたかもしれない。百井と学食で昼食を食べたときにも似たようなことがあった。

 なぜ私は百井を前にすると緊張するのか。

 すでにその答えは出ている。百井に私のことを良いものだと思ってほしいという気持ちが空回りしている。

 今の私を形作った過程があったように、百井を形作った過程があった。私はその過程を知らず、今の百井を僅かばかりに知っているのみ。何かを競っているわけではないけど、毛利さんをはじめとする百井の同級生たちに比べると、私は百井との人間関係の積み重ねの遅れを感じる。

 その遅れの差を埋めるために焦り、一挙手一投足に気を付けようとして、心と体が強張る。自分を良く見せようとしている時点で既にダサい。

 私は百井と友達になりたい。心の底から思っている紛れもない願望で目標。

 この目標を達成するために、百井と向かい合っただけで緊張する現状を改善しなくていいのか。

 とは言え、そう簡単に緊張しない術が身に付いたら苦労しない。私はそこまで器用な人間ではない。

 ならばどうするか。

 簡単なこと、別に緊張してもいい。

 程よい緊張は良いパフォーマンスを引き出してくれることを今に至るまでの人生の過程で学んでいる。

 むしろ、百井と接することでしか味わえない緊張を楽しむ。楽しめば、いつか緊張にも慣れる。

 これでいい根拠は無いけど、自信はある。なにせ百井は同性のクラスメイト。変に神経を尖らせず、もう少し気楽でいいと思う。

 私はそう思い、人の波に混ざり帰路についた。

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