第十五話
私の右横に並んで歩く百井は、やはり私よりほんの少し身長が高い。せっかくの機会だから百井に対する疑問を矢継ぎ早に浴びせかけるのも一興か。
しかし、どんなものであれアクセルのベタ踏みには危険が伴う。まだまだ私と百井は浅い関係。穏便に関係の構築に努めなければ百井に引かれてお終い。
平凡な会話のネタを探しているうちに、学校が保有する運動場に差し掛かる。
この運動場は学校から少し離れた土地にあり、敷地の一部は緑色の防球ネットが囲っている。
主にテニス部と陸上部が使用しているようで、手前のテニスコートからはテニス部員の怒号のような掛け声が響き渡る。
奥の方の陸上トラックでは陸上部員がクラウチングスタートの姿勢を綿密に調整している様子が見え、双方の部活共に、練習に身が入っている様子が伝わる。
「百井は部活に入ってるの?」
私は百井に訊ねた。
「いいや、入ってないよ」
「学業優先とか?」
私は続けて訊ねた。
「そんな高尚な言い訳しないよ。他の人がやっているから私はやらなくてもいいっていう単純な理由」
百井はそう言い、得意げに笑った。その顔は少し子どものようだった。
「それで言い訳が立ったんだ。すごいね」
百井が用いた言い訳は便利なロジックだけど、どこまで通用するのか。
むしろ、他の人がやっているから私もやらねば、と閉塞的な学校社会を生きる身ならば切っても切れない同調圧力を感じるものではないだろうか。
「白川さんは? 部活に入ってないよね。何か理由があるの?」
「私は……決めかねて、そのまま帰宅部に」
私は百井からの質問を濁して答えた。
濁した理由は、部活に入らない理由として百井が言う高尚な言い訳を用いたからである。
以前の私は深淵なる同調圧力に屈しそうになっていた。
だけど結局は見えない敵と戦っていたに過ぎず、私が通う学校は理由があれば部活に所属する必要は無い。
しかし、都合の良い言い訳が思いつかず、尚且つ百井のように破天荒な言い訳を用いる踏ん切りがつかなかった。体力が落ちて運動が億劫になったから運動部は勘弁とか、魅力ある文化部が無いと正直に言えばいいのだけど、それは部活動に勤しむ真面目な生徒に対して失礼。
何事もケジメをつけないのは差し障りがある。なので先日、高尚な言い訳を担任に伝えた。すると担任は半笑いで「あなたらしいわねー」と含みのあることを言った。嘆かわしい。
実際のところ、私のような帰宅部の生徒は相応の数がいるらしい。バイトや塾で多忙な人がほとんどだろう。その分、いくつかの部活は部員不足で自然消滅する憂き目を見ている。
いずれは是正されてしまいそうな校風だけど、私が在学している間の着手は控えていただきたいものだ。
「入りたい部活が無いならそうなるよね。中学では何部だったの?」
「これでも元水泳部です」
スイミングスクールや部活動によって、人並み以上に泳げることは私の数少ない取り柄。
私の過去を知った百井は「意外かも」と言った。
「演劇部とかじゃないんだね」
「え、そう?」
「髪の色が舞台映えしそうだし」
「まあ、今はこうだけど、中学の時は髪の色は黒くて短かったよ」
私は右手で自分の髪を撫でながら言った。
「そうなんだ。そりゃそうか……うん」百井は何か腑に落ちた様子を見せ、「白川さんが泳ぐところ見たかったなぁ」と言った。
それに対して私は「見せるほどのものではない」と断じた。
夏休み前の体育の授業は、屋外のプールで水泳か体育館で球技のどちらかを選択する方式だった。水泳を選択した生徒は男子生徒しかおらず、百井はバレーボールをやっていた。
私は塩素消毒とは袂を分かった身。大人しく球技を選択して、極力汗をかかないような立ち回りをしていた。学校指定の水着はタンスの底で眠っている。今後の体育でも水泳は選択しないので、百井が私の泳ぎを見ることは叶わないだろう。
「で、百井は部活やってた?」
「うん、強制だったからね。私は茶道部に入ってたよ」
「茶道部だったんだ。お上品ですこと」
「それがね、私が通っていた中学の茶道部はほぼ帰宅部でさ。それが目的で入ってた」
「ああ、そういう部活あるよね。私が通っていた中学だと科学部がそんな感じだったかな。なら百井は生え抜きの帰宅部なんだ」
「あんまり誇らしくないね、それ」
百井はそう言い、苦笑いを浮かべた。
百井と会話しているうちに目的地の駅前に到着する。
どこもかしこも人ばかりで息が詰まりそうになる。今は帰宅途中の学生と思わしき人が多く、もう少し時が経つと、会社帰りの人で更に混み合う。
駅の前方には前衛的なデザインの白いモニュメントが設置され、それを囲うように道路が設けられている。駅の内部を含めた周辺には多様な飲食店や服屋、家電量販店が立ち並び利便性が良い。そして私の行きつけの美容院がある。
まさしく街の中心部と言え、相応に栄えているから人が尽きない。ここから電車に乗って北上すると更なる発展を目の当たりにできる。
「どこ行く?」
百井は言った。
「あそこでいいんじゃない」
正直、私は歩き疲れている。
椅子に座って休まりたいので手近なチェーン店の喫茶店を指し示すと百井は頷いた。
喫茶店の店内は時間帯的に客が多く相応の賑わいを見せている。談笑している人もいれば、何かしらの参考書を読んでいる人がいる。
それなりに列を作る注文カウンターに百井と並び、私が注文する番が回ってくる頃合いを見て鞄から財布を取り出そうとすると、百井は「ちょっと待って」と私を制止して「今日は私が奢るよ」と続けた。
どうやら百井は昼間のお礼として私に何かを奢る腹積もりだったようだ。見返りを求めていたわけでもないから落ち着かない。とは言え、どうせなら気持ちよく奢られようと思う。
「なら、少しお高めのやつを注文しようかな。その方が奢り甲斐あるよね」
「お手柔らかにお願いします……」
百井は弱々しく言った。
「冗談だよ」
遠慮はしないけど気を遣う。奢られる側は決して楽ではない。
百井は言葉の通りに精算を済ませた。
そして壁際の二人用のテーブル席を難なく確保し、ようやく落ち着くことができた。
「いただきます」
私は百井に向かって言い、熱いブレンドコーヒーを啜った。疲れた体にまこと染み入る、まろやかで深みのある味わい。
百井は口の割には太っ腹で、三角形のチーズケーキも付けてくれた。
早速チーズケーキを口に運ぶ。しっかりとした食感ながらも、口どけは良く、甘さは控えめ。チーズケーキなら軽めな感じのものだろう。
「砂糖とかは入れないんだ」
テーブルを挟んだ向かいの席に座る百井はそう言い、ロイヤルなミルクティーが入ったカップに口を付けた。どうやら百井はミルクティーを好んで飲むらしい。
それから「あちっ」と弾けた声を出し、カップから口を離した。
「味の調整が上手くいかなかったら嫌だからね」
「ふぅん……そういえば今日のお昼はどうしてたの?」
何事もなかったかのようにカップを置いた百井はそう言った後、自分のチーズケーキを口に運んだ。
「お昼は毛利さんと一緒だったよ」
「えっ! あいつと?」
「あの人、百井と同じ中学に通ってたんだね」
「うん……大丈夫? 変なこと吹きこまれたりしなかった? 処分しても戻ってくるイタチの人形とか渡されなかった?」
「世間話をしたくらいだよ。あ、百井の面白昔話でも聞いておけばよかった」
「無いよそんなの……あいつ変なやつだけど悪いやつじゃないから仲良くしてあげて」
百井は毛利さんと似たようなことを言い、今度はミルクティーに小さく息を吹きかけて冷ましてからカップに口を付けた。
百井の反応と毛利さんの口振りを照らし合わせると、きっと、二人は仲が良いんだろう。
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