第十四話

 教室に戻ると机に突っ伏している百井の背中が目に入った。もぞもぞと揺れているので寝ているわけではないようだ。

「百井」

 私は突っ伏す百井に近づき、黒い後頭部に声をかけた。

「ん……あぁ、白川さんか」

 顔を上げた百井の前髪は突っ伏していた弊害で少し歪んでいる。

「どうしたの? げっそりして」

「なーんか委員会が思ったより長引いてさ……」

「もしかしてお昼ご飯食べてないの?」

「うん……もう最悪」

 次の授業の開始まで残り数分。購買へ走って向かえば午後の授業にはギリギリ間に合うかもしれない。

 けれども、百井はやさぐれた様子の割には素行の悪い真似はしないようだ。

 委員会活動に熱を入れることは良いことだと思う。球技大会の後には文化祭が控え、何か広報する仕事が立て込んでいるのかもしれない。

 だとしても、かの新聞委員会委員長には、もう少し他の生徒の体調を気遣う心を持ってほしい。所属生徒が自主的に行った活動ならともかく、百井が言うには委員長の独断とのこと。目先には定期考査があるというのに何を考えているのか。

「よかったら、このパン食べる? お茶もあるよ」

 私はカロリーが高く甘めな菓子パンが複数とペットボトルのお茶が入ったビニール袋を百井に見せた。

「いいの? というか、どうしたのそれ」

「百井が中々学食に来ないから一応購買で買っておいたの。お昼ご飯用意してなさそうだったし」

「確かに用意してなかったけど、私のために……?」

「うん。チョイスは適当だけど、余計だったかな?」

 購買の売れ残りの中で、なるべく美味しそうなものを見繕った。まあ、余計だったとしても、私のおやつになるから別にいい。

「そんなことないよ。睡魔はともかく、そこに空腹まで重なったら授業にならないし」

「そう、よかった。どうぞ」

 私は百井にビニール袋を手渡した。

「ありがと……、白川さんは私の命の恩人だよ」

「大袈裟だな。昼休みそろそろ終わるけど、ゆっくり食べて」

 私はそう言い、自分の席へ向かった。

 毛利さんの耳打ちの件もあるけど、先の百井への行いの発端は紛れもなく私の意思によるもの。

 正直、善意の押し付けになるかもしれない、分が悪い賭けだった。そもそもこんな偽善的な行いは反吐が出そうになる。いまだに偽善的な行いを迷いなく実行できないのは、私が子どもだからだろう。

 それでも、その気持ちを抑えて実行したのは、やはり相手が百井だから。

 私と百井は同じ学び舎を選んだ同志。学校生活を途中で脱落するほど勉学を疎かにしないでもらいたい。

 とは言え、他の新聞委員会に所属している子もそれは同じこと。

 でも状況は把握していないし、そちらまでは手が回らない。百井を贔屓しているのは否めないけど、これが私なりの特化。


 その日の放課後。私は自分の席で放課後の余韻に浸りながら、家に帰ったら何をしようか考えていた。

 結局私は平日だろうと休日だろうと関係なく用事が無ければ家でゴロゴロしている。心境の変化など、そう簡単に起こるものではない。

 こうなったら気分転換に……テストに備えて勉強でもするか。

「白川さん」

 窓の外を見ながら右手で髪を弄っていると百井がやって来た。

 珍しい。世間話でもしに来たのかな。

「おお、百井。お疲れさん」

「お疲れ……」

「今日は委員会でくたびれたでしょ?」

「別にあんなの大したことないよ。白川さん帰らないの?」

「帰るよ帰宅部らしく。私は何もなくても疲れたから」

「そう……」

 百井は特に用が無いようなので、言葉の通りに帰ることにした。

「じゃあね百井」

 私は百井に小さく手を振ってから背を向けた。

「あ、待って……白川さん」

 しかし、百井にカーディガンの右袖を引っ張られる。

「ん? 何か用があったの?」

 袖を引っ張る百井を無下にするわけにもいかないから一先ず振り返った。すると百井は、私の右袖からすぐさま手を離した。

「うん……えっと……今から時間ある? あるなら何か食べに行かない?」

「うーん、時間はあるよ、沢山ね。けど……」

「けど?」

「夜ご飯、私の分のお米炊いてるだろうし……だから遠慮しておく」

 次があるかわからない百井から来た遊びの誘い。

 本来なら諸手を挙げて受けたいところだけど、親に夕食の不要を連絡するのがめんどくさい。そもそも携帯電話のバッテリーの残りはどれくらいあったかな。

「あ、いや、夜ご飯を食べられなくなるほどガッツリしたものを食べに行くんじゃなくて、こう、もうちょっと軽めな感じのものを……」

 百井は身振り手振りで、そのちょっと軽めな感じのものを表現する。それは約五センチくらいのものらしい。

 それにしても百井らしからぬ食い下がりを見た。すごく早口だった。

「軽くお茶しに行くってこと?」

「そう! お茶しに行こう!」

「なら、いいよ」

 お茶くらいなら夕食前には帰れるだろう。それに、このまま家に帰っても余分にテスト勉強するだけだった。

「あぁ、よかった……」

 そんなにお茶をしたかったのかと安心した様子の百井を見て、そう思った。

 昼食に菓子パンとお茶しか摂取していないから無理もない。だったら、やはりガッツリした何かを食べに行く方がいいんじゃないか?


「どこに行くか決まっているの?」

 昇降口を出て、百井に行き先を聞く。

 百井から誘ってきた以上、何か算段があるに違いない。

「全然」

「ふーん」

「屯する場所のバラエティーに富んだ地域でもないし」

 百井は事実を言った。

「それは確かに」

 放課後の遊びを綿密に計画立てている人の方が珍しい。付き合いたてのカップルのデートじゃあるまいし、そりゃそうか。色恋沙汰に縁遠い私には得難き苦労だ。

「そういえば白川さんの家ってどの辺?」

「ここから東の方。近くに水門があるところ」

「その辺なんだ。なら駅前に行かない?」

「うん、いいんじゃない」

 この地域で屯できる場所は必然的に駅前周辺に限られる。

 行き先が決まり、私は百井と一緒に学校を離れた。

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