第十九話
「なんか友紀ちゃんって、しぃちゃんに当たり強くない?」
「そう? あの子は中学の時から……うーん、言われてみれば」
私と神長が通っていた中学と樋渡が通っていた中学は近隣のライバル校。
とは言え、血で血を洗う険悪な雰囲気はなく、双方の生徒は共に良好な関係を築いていると思う。私もあちらの水泳部の生徒と交流があった。
そんな縁もあって部活で鎬を削っていた時期に比べると、樋渡は言葉の選択がちょっとだけ鋭くなったような気もする。
「見た目通り嫌なやつとか結構酷いと思うよ」
穏やかな神長にしては珍しく眉をひそめて言った。
「まあ、樋渡が言っていたことは正しいよ。見た目はともかく、善人でいるつもりはないから」
「格好つけちゃって……しぃちゃん見た目通り良い子なのにね~」
神長はそう言い、私の頭を撫でようとする構えを見せた。気配を察知した私は迫る神長の右手を避けた。
「おいおい、子ども扱いしないでよ」
「えぇ~、私年上なんだけど」
「少し誕生日が早いだけで、一歳しか違わないでしょ……。多分樋渡は鬱憤が溜まっていたんだよ。何か美味しいもので食べればいいのに」
樋渡といい神長といい、なぜ少し早く生まれたことを得意げに思うのか。いや、一秒でも早く生まれていれば人生の先輩ではあるけど。今に見ていろ。
「友紀ちゃんダイエットしているらしいから」
「ふーん。私、どれだけ食べても太らないから、わからないなそれ」
「……やっぱりしぃちゃんってちょっと嫌なやつかもね」
神長の的確な言葉を私は否定しなかった。
昇降口に向かう途中、再び騒がしい教室を通りすがった。
歩きながら目の端を使って覗くと、早くも文化祭で使用する飾りつけや看板を作っている生徒たちが見えた。
「三組は何かやるの?」
神長は言った。
「喫茶店だって。男装したりとかなんとか」
「へえー。ってことは、しぃちゃんもコスプレするんでしょ? 男装似合うし」
神長は中学二年のときにクラスで行ったレクリエーションの話をしているのだろうけど、あれは忘却の彼方へと葬り去った私の黒歴史。しかし、私の意に反して中学の卒業アルバムには男装した写真がしっかりと使われた。嘆かわしい。
「いや、私は手伝うだけ。ノリについていけないよ」
私が言うと、神長は残念そうな顔をした。
私はクラスの出し物に乗り気ではない。
とは言え、目標に向い一丸となるクラスにケチを付けて秩序を乱すわけにはいかない。三回しかない高校の文化祭は私の思い出になるだけではなく、他の生徒の思い出にもなる。同輩たちのためにも、飾りつけの準備と当日の手伝いなど訳無くやってみせよう。これは私の保身でもある。
別棟から校舎に戻り、一階の廊下を神長と歩いていると、職員室の壁の掲示スペースで百井とその他の生徒が作業しているのが目に入った。
画鋲で張り付けている物は新聞委員会が発行している『
名前の由来はカリブ海ではなく、県鳥に指定されている
内容は部活動の大会での成績を取り上げたり、学校行事のまとめなど至って普通なもの。毎月発行しているけど、私は配布されても取るに足らないものとして扱っていた。このようなものを喜ぶのは記事にされたことを武勇伝として自慢する目立ちたがり屋くらいだろう。
それでも百井が新聞委員会に所属していることを知ってからは意識的に目を通すようにしていた。と言っても、主な楽しみは教職員がモチーフと思われる登場人物が小粋なジョークを繰り広げる
百井も私の接近に気付いたのかこちらを向き、目が合った。私が手を振ろうとしたところで、百井は間を置かずに私から目を逸らして作業に戻った。どうやら集中したいらしい。
直ぐに終わりそうな作業でも時間をかけて懇切丁寧に臨む立派な新聞委員会たちの邪魔にならないように、気にせずその場を素通りした。一応、百井の後頭部に目掛けて心の中からエールを送りつつである。
「百井さんいたね」
神長は言った。
「うん」
「新聞委員会なんだ。そういえば、さっき日誌を提出するときに先生から聞いた話があって、
「誰それ?」
神長は聞き覚えのない名前を口にしたので私は首をひねった。口振りから察するに神長は日直だったようだ。
「新聞委員会の委員長。彼氏と放課後に遊びたいから無断で昼休みに活動していたのがバレて大目玉を食らったんだって」
「へー、とんだ色ボケがいたもんだね」
かねてから郷右近先輩の横暴は唾棄すべき悪行として改善を望んでいた。
けれども、私のような矮小なる一介の生徒が、新聞委員会委員長という栄えある地位にいる人間に正々堂々と意見するのは無謀の極み。歯向かったら最後、根も葉もない記事が『雁舞新聞』の一面を飾る、新聞委員会らしい報復方法で粛清されてしまう。
私の平穏な学校生活が脅かされるのは恐ろしいので、無難に生徒会へ投書による密告を考えていた。百井のため、延いては新聞委員会に所属する生徒の心と体の健康のためであれば、一肌脱いでチクリ魔の汚名を被るのも致し方無し。
しかし、この学校の投書箱は埃を被っていた。
私はこの学校の生徒会が機能しているのか不安になり、次の手を考えている間に郷右近先輩の権威は地に落ちた。良識ある教員からお咎めを受けたことで、さっきの百井たちのように校内のどこかで作業していることだろう。
私が何も行動を起こさなくても秩序は保たれる。ただ、百井のために何かできなかったことを虚しく思う。
「で、百井さん待ってなくていいの?」
神長はボソッと言った。盲点だった。
「あ、それありかも。でも、もう体が帰る気になっているから、帰宅部だし」
私は言った。この盲点はそのままにせず今後に生かせばいい。
「しぃちゃんは百井さんと遊部でしょ」
「はい?」
言葉の意味が理解できなかった私の様子を見て、神長は「ふふっ」と笑った。そして「私も百井さんとは仲良くしたいからね。頑張って!」と言い、私の左肩を軽く叩いた。
しばらく廊下を歩いて神長が部活の○○部と遊ぶをかけたシャレを言っていたことに気付いた。
夏休み前と比較すると、確実に百井と会話する機会は多くなった。もう友達なのかもしれないけど、私は百井の友達であると胸を張っていいのだろうか。
手っ取り早く白黒付けるには、百井に「私たちって友達だよね?」と聞くことがわかりやすい……万が一にも返答が「友達じゃない」だったらショックで立ち直れないので余計なことは言わないに限る。どうすれば張れる胸が出来るのだろうか。
そもそも私は気負いしているのではないか。同性のクラスメイトに対して執心しすぎのように感じる。
何より程よい距離感というのは今の状態のことを言うのではないか。とは言え、私は百井のことを全然知れていない。まだまだ目標は継続する。それでもいいんだけど、いいんだけど…………。
百井との親睦を深めるための正しい道を歩いている自覚はある。自覚はあれど、どうにも道を間違えている気がしてならない。
最短距離を通るとか遠回りとかではなく、根本的に設定した目的地が違う実感がある。この実感がどのような経験に基づいて湧いたものなのか、その原因が突き止められず、何とも遣る瀬無い。
頭が冴えない時は寝るに限る。これが私なりの羽目の外し方。気の晴らし方も決まったことなので、帰宅部らしく堂々と帰ろう。
昇降口に着く。
「うわっ」
何かに驚いた様子の神長の声が耳に届く。少し気になったので一度向こうの下駄箱に回った。
「何かあった?」
「下駄箱にラブレターが入ってた」
神長は非現実的なことを言った。
「えっ、ラブレター!? 本物っ!?」
「ほら」神長はそう言い、ハートの形のシールで封をされているオーソドックスなラブレターを異常事態に取り乱す私に見せる。「そんなに珍しいものじゃないでしょ。まったく、人の下駄箱勝手に開けてさ」
「確かにあまりいい気分じゃないかも……」
「いい迷惑だよ。中身見る?」
神長はラブレターをひらひらさせる。
「いや、いいよ。送り主を茶化す真似はダメでしょ」
「レアなのに。ちなみに同級生からね」
神長はラブレターの裏面を見ながらそう言い、ラブレターを鞄にしまった。果たして珍しくないのかレアなのか、どっちなんだろう。
それはさておき、私は応援しているぞ、名も知らぬ同輩よ。
神長は清楚な雰囲気で人柄も良い。当人の恋愛遍歴は知らないけど、目を付けている競合相手は多いことだろう。
その事実に臆せず突撃する心意気は敬服に値する。何よりも男の子からのラブレターにしてはハートの形のシールを用いていたりと違和感があって面白い。
私からすれば未知との遭遇で少々刺激が強い出来事だった。それと神長との恋愛の場数を踏んだ数の差を自覚させられて具合が悪い。
一先ず自分のクラスの下駄箱に戻った。
それにしても好きな人か。今の私には心当たりはない。
身近な知り合いの色恋沙汰を目の当たりにして、ようやく自分の恋愛を考えるあたり、私は恋愛に縁遠い思考の持ち主なのだと実感した。日頃から恋愛脳な人は見ていて痛々しいとは言え、少しくらいは遊びがあってもいいはず。
恋と言えば、今となっては初心な私にも純真無垢な幼少期があり、同学年の足の速い男の子や面白くて人気者の男の子を好きになった微笑ましい覚えが………………無い。
私の厚みのない人生を思い返してみると、誰かを好きになった経験がないのでは。エアコンとか電気カーペットは好きではある。いや、あれは人間ではない。
恋愛もののドラマやアニメはフィクションだから参考にはならないけど、そういうのを観ることで多少は感情を動かされたことがあり、曲がりなりにも恋という言葉に対しては甘酸っぱい印象を抱いている。
私にそれがないということは無味無臭な人生を歩んでいることになるのだろうか。恋愛対象に運悪く巡り合わなかっただけで、珍しいことではないのかもしれない。
私は気楽な結論を出し、自分の下駄箱の扉を開いた。そこでローファーと対面すると、何か違和感を覚えた。
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