第十二話

 学食の中はお腹を空かせた物の怪のような生徒で溢れかえっていた。注文カウンターは今日も行列を作り繁盛している。

 私は百井と行列に並び、米か麺かで悩んだ末に、サバの味噌煮定食を注文した。

 このサバの味噌煮には県内ブランドのサバが贅沢にも使われている。味噌汁の具は豆腐とワカメとネギ。副菜にはほうれん草のお浸し。ほのかなゆずの風味がアクセントになっている白菜の浅漬けが添えられている。ご飯は普通盛り。

 一方、百井はあんかけそばを注文していた。具はマイタケやシメジなどのキノコ類。味付けは少し濃いめ。普通のそばとは違った味わいで値段の割には満足度の高いメニュー。お目が高い。


 私と百井は運良く長机の端の席を確保した。

 百井を真正面に捉えたこの好機を生かさない手はない。百井に聞きたいことは山ほどストックしている。しかし、いざ本人を前にすると言葉が出ない。

 何か要因があるとすると行儀? いやいや、このような交流の場所では騒ぐのが正しい。他人が不快にならない食べ方を念頭に置き、ありきたりな話に花を咲かせれば問題ない。郷に入っては郷に従えというわけだ。

 となると百井が発する美人特有のプレッシャーだろうか。とは言え、そのようなことで気圧けおされる私ではない。

 こういう時は深く考えず、適当な話題を口火にすれば、あとはせきを切ったように言葉が溢れてくるもの。

 ならばまずはジャブとして月末から始まる定期考査についての話を……いや、食事の席で勉学の話はもってのほか。せっかくのサバの味噌煮が不味くなる無粋の極み。困った。今の私は言うほど調子が良いわけではないのかもしれない。

「白川さんって魚好きなの?」

 おかずが半分ほど減ったところで、百井に先手を取られた。

「うん。魚に限らずシーフードは大抵好きだよ」

「苦手な食べ物とかある?」

「特に無いけど」

 私はそう答え、味噌汁を啜った。

「へぇ、良いことだね」

「あ、あるかも」

「どんなの?」

「チョコレート」

「苦いやつが嫌いとか?」

「いや、全般的に好きなんだけど、食べるとくしゃみが出るから少し苦手」

 それはもう高確率なのだ。

「それは難儀なことで。アレルギー的なやつ?」

「多分。そこまで重度ではないと思うよ。そういえば百井が学食にいるのって珍しいよね?」

 私が気付かなかっただけかもしれないけど、今まで学食の中で百井の姿を見たことはない。

「そ、そう? まあ、今日は学食って気分だなーって」

「他の友達はよかったの?」

 私のぼんやりとした質問に百井は戸惑った。

 例の三人のことだと言い直そうとしたところ、百井は質問の意図を察した様子を見せた。

「いいんじゃない別に。だから気にしないで」

 百井はそう答え、お茶を飲んだ。

 ケンカでもしていて百井とその他の心の平穏が保たれていないのであれば、多少は気になってしまうけど、私が深入りする問題ではないのだろう。

「白川さんこそ他の子と約束はなかったの?」

「今日はそういう約束はなかったよ」

 学食では他のクラスの知り合いと相席することもある。それこそ樋渡や神長と。

 しかし、それはタイミングが合えば一緒に食べているだけで、常日頃から示し合わせているわけではない。

 先ほど樋渡と神長がその他の面子と裏庭でバレーボールをしているのを見かけた。来月の球技大会に向けての練習かな? 気が早いな。

「もしかして私、邪魔だった?」

 百井は突拍子もないことを言った。

「え、なんで?」

「一人でいるのが好きなのかと」

「だとしたらこんな騒がしい場所でご飯を食べないよ」

 一人でいる時間は好きだけど、誰かと一緒に過ごす時間も悪くはない。

 本当に孤独が好きな人であれば、もっと他人に対して冷徹な態度を示すものだろう。

 まさか私は不愛想な表情をしているのか。それとも口調が冷たかっただろうか。それはいけない。表情筋を鍛えたり、ウィットに富んだ話術を身に付けて改善しなければ。今度鏡に向かって話しかけてみるか。

「それもそうか。彼氏とかいないの?」

 百井はそう言い、あんかけそばのつゆをすする。

「いっ、いません。いたこともない……」

 急な質問が飛んできて私はむせそうになった。なんとか踏みとどまり、ありのままの事実を短く答えた。

 こういった話題でくだらない見栄を張る必要はない。その場しのぎの嘘は脆く、いずれぼろが出る。

 それにしても私が口に出すことを控えていた話題をすんなり言ってのけるとは、百井は中々の胆力の持ち主だ。

 けれども私のような行動力が欠けている人間から甘酸っぱい浮いた話が出るのを期待するのはやめてもらいたい。

「へぇーそうなんだ。モテそうなのに」

「モテたためしがないよ。百井こそ、その……どうなの?」

 私は皮肉を軽く受け流し、百井に交際相手の有無をさりげなく聞いた。

 踏み込みすぎな気もするけど、聞かれた以上聞き返しても許されるはず。

 何より私は恋愛に興味がある。

 私はよわい十五にして交際経験が無い。ワンランク上の女になるためにも危機感を持ち、痛手を負ってでも同年代の子たちの恋愛事情は参考にするべきだと最近悟った。

「私もいないよ」

 百井はさらりと答えた。

 確かに百井が校内で交際相手とよろしくやっているところを目撃したことはない。単に校内でそういう素振りを見せなかっただけ、もしくは他校の生徒か、それ以外との交際という可能性もあった。まあ、百井の言う通りに交際相手はいないのだろう……前にはいたのかな。尤も、それを聞くのは野暮ってもの。

 私が百井の恋の行く末を見守れるかどうかは今後の関係次第。百井に春が訪れたときには是非とも祝福したい。

 とは言え、人という生き物は交際相手ができると、交際相手以外の他人の優先度を下げるもの。どれほど器用な立ち振る舞いをしても隠しきれない人のさが。中学に入ったあたりからそのような同級生を目の当たりにする機会が増えた。

 百井に交際相手ができたら、私は優先度を下げられる内の一人として扱われるのだろうか。想像すると寂しいけど諸行無常の事柄として受け入れる他に無し。


 私と百井は昼食を食べた後、自販機で飲み物を買い、流れで裏庭のベンチにて昼休みを過ごした。心地よい日差しが眠気を誘う。こうやって外で過ごせるのも時期的に今月で最後かな。

「それって無糖のコーヒーでしょ? 飲めるの?」

 右隣に座る百井はそう言い、ロイヤルなミルクティーに口を付ける。

「うん。苦いけど中途半端に砂糖入っているやつは口に合わないんだよね」

 私はそう言い、缶コーヒーに口を付けた。

「……ちょっと飲んでみてもいい?」

「いや、私の飲む分がなくなっちゃうから」

 ただでさえ少ない缶コーヒーの中身は残すところ半分くらい。他人に飲ませてしまったらカフェインから得られる効能が失われてしまう。

「そう……」

 何か消沈した様子で目元を擦る百井をよそに、私は缶コーヒーを呷り、飲み切った。

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