第六話 夏の虫
八月の中旬。夏真っ盛り。愛しき夏休みは半分ほどが過ぎた。過ぎてしまった。なんたることか。
私は夏が嫌いだ。開放的な雰囲気に当てられて度を超えた羽目の外し方をする人々が目障りだから……というわけではない。
私の夏嫌いは幼少期からの筋金入りで暑い時期にプールで遊べるという不純な理由でスイミングスクールに通っていたほどである。
夏の良い所が思い浮かばないからやはり嫌い。暑いし、セミはうるさい。兵庫県のそうめんくらいかな。そうめんはあれしか食べたくない。
長期休暇ともなると閉塞的な学校生活から解放されて、つい自堕落を体現してしまう。翌日のことを考えず夜更かしする日が多少ある。その結果、自ずと曜日感覚が狂う。
しかし、今日は地元の夏祭りがある。
毎年八月の中旬頃の土曜日が開催日で、飾り付けられた街の雰囲気によって私の狂いかけた曜日感覚は矯正される。
中学の同級生からお誘いの連絡があったけど、疎遠に片足を突っ込んでいる間柄の人だったから断った。重苦しい空気になることは目に見えている。
加えて地元の夏祭りには子どもの頃から幾度となく行ったことはあり、わざわざ参加するほどのものではないことを知っている。
そういえば樋渡からメールが届いていた。バドミントン部の面子と河原でバーベキューをしたらしく、その楽しげな様子を撮った写真も添付されていた。
写真に写っていた樋渡の髪の色は黒から茶色になっていて、初めは自分が写っていない写真を送ってきたのかと思った。夏休みの間はやんちゃするそうだ。
樋渡の髪の色はともかく、何やら青春っぽいことをしていることが少し羨ましかった。私は思い出作りに催し物をする陽気なコミュニティに属していないのだから羨ましがる権利などない。
私のような愚か者はエアコンの効いた涼しい部屋でテレビを見て時間を浪費するのがお似合い……これは究極の贅沢なのではないか? 豪快にだらけられるのも今の内だと思うから存分に怠惰を享受しよう。とは言え、流石に飽きてきた。
去年の夏、自室の窓から打ち上げ花火が見られることを知った。
どうせなら何か摘まみながら打ち上げ花火を見たいと思い、着替えてから最寄りのコンビニへ向かった。
家の外は日が落ち始めて幾分か涼しくなっている。夏に出歩くならこの時間帯に限る。しぶとく鳴き続けるセミを鬱陶しく思いながら歩く道すがら、今から夏祭りに行くと思われる浴衣姿の家族連れや学生グループがちらほらと目に入った。
ほどなくして目当ての青色のコンビニに到着する。店の横には花屋や学習塾などが立ち並ぶ。この付近は夏祭りから離れているから交通規制はされていない。
コンビニは節電のつもりなのか、自動ドアを開けっ放しにして入り口で大きい扇風機を回している。普通に冷房を効かせた方が客の入り的にもいいと思うのだけど。長居するような場所ではなかったので、手早く商品を見繕った。
精算を済ませて、コンビニを出ると、道路を挟んで向こうの歩道に見覚えのある人が歩いていた。
確証は無いけど百井だと思った。
髪型は違うし浴衣を着ていたけど、朧気ながら歩き方とか雰囲気が百井のそれのような気がした。今のところ私が持ち合わせる判断材料はそれしかない。
まだ百井と思われる後ろ姿を捕捉している。
仮にあの後ろ姿が百井だったとして、私は何をすればいいのか。
図々しくも駆け寄って話しかけていいのだろうか。そもそも私の勘違いということもある。知り合いだと思って意気揚々と話しかけたら実は違う人だった、という痛ましい事態に発展したら、私は残りの夏休みを満喫できないほど凹んでしまう。
でも打ち上げ花火が始まる時間帯まで少々暇だった。のんきに熟考していては百井と思われる後ろ姿を見失ってしまう。
百井がどのように夏休みを過ごしているのかとても興味がある。私の今後の夏休みの過ごし方の参考になるかもしれない。
そんな建前の下、百井と思われる人物を追うために、向こうの歩道に繋がる歩道橋を渡った。
アイスを買ってしまったことを後悔したけど、不思議と足は止まらなかった。
歩道を足早に歩き、ゆったり歩いている百井(仮)との距離を詰める。準備運動をしていないから脇腹が痛くなってきた。
ちょうど横断歩道の信号が赤になって、百井(仮)が歩みを止める。私は立ち止まっている百井(仮)の左後方をそれとなく陣取り様子を窺う。
百井(仮)は浴衣に似合う凝った髪型していて綺麗なうなじが見えていた。このまま百井(仮)に見惚れていては信号の色が変わってしまう。
「あの、百井?」
そっくりさんではないことを祈り、意を決して百井(仮)に声をかけた。
「あれ? 白川さん。久し振りだね」
「久し振り」
やはり百井だった。私のことは忘れていなかったようだ。約三週間ぶりの百井である。
百井は白地にアサガオの柄が入った浴衣を着こなしていて、いつになく大人っぽく見える。日焼けはしていない。手には巾着とビニール袋を持っている。
「白川さんもお祭りの帰り?」
「いや、私は祭りには行っていないんだ。コンビニの帰り」
「そう」
「百井は祭りに行ってたんだ」
「うん、まぁ……そんなとこ」
百井は少し決まりが悪そうに答える。当然である。私はただのクラスメイト。私生活で起こった出来事を頻繁に共有する仲ではない。
会話しているうちに信号の色が変わる。歩き出した百井につられて私も横断歩道を渡った。
「じゃあ、私こっちだから。またね白川さん」
横断歩道を渡り終えて、またの再会を切り出される。百井からすれば私に偶然出会っただけなので当たり前。そもそも私の家は逆方向。
「待って、百井」
私から離れていく百井を呼び止めた。自分でもちゃんと声が出せているのか曖昧になるほど咄嗟の行動だった。
「え? な、何?」
私の無計画な呼び止めに百井は振り返る。
「あの、今から少し話さない? 時間があればだけど……」
百井を何とかして繋ぎ止めたかった。
百井に聞きたいことは色々ある。だけど門限が厳しいのかもしれない。それに事前に予定を組んだわけではない突発的な申し出など一蹴されて当然のはず。
それでも、手を伸ばしたかった。
「うん、いいよ」
朗らかな顔でそう答える百井は、私の曇った目でも輝いて見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます