第五話

 月曜日。今日は昨日の過ごしやすかった天候と打って変わって日差しが強烈なので少し早めの涼しい時間帯に学校に来ていた。

 普段よりも自分の教室に向かうための階段が長く感じる。昨日の外出の疲労が残っているようだ。息抜きになっていない。

 廊下を歩いていると夏服姿の百井が目に入った。

 日陰になっている位置の窓を開けて中庭を眺めていて、時たま外から吹き込む風が百井の黒髪の毛先を揺らしている。

 百井は私よりも先に登校していることが多かった。朝のホームルームが始まるまでの間は、大体自分の席でクラスメイトの誰かしらと談笑しながら過ごしていた。早い時間帯に学校に来ると珍しいものが見られるものだ。

 百井も私に気付いたのかこちらを向き、手を振ってきた。

 これは果たして私に対しての行為なのか?

 もしかしたら私の後方に百井の知り合いがいて、その人に対しての行為なのかもしれない。私は後方に人がいたのか把握していない。声を掛けるにも少し遠い距離。

 のんきに手を振り返してみて、「いや、あなたに対してじゃないよ」って事態になってしまったら私は立ち直れない。このままUターンして家へ帰り、しばらく寝込んでしまう。

 それか実は百井が霊感の持ち主で霊的存在に対しての行為という可能性もあるけど、私に霊感は無いので確かめる術は無い。

 万が一にも私に対しての行為であるならば、無視することはできない。

 まずは自分の背後をそれとなく確認する。人はいない。これで私に対しての行為ということがほぼ確定した。

 百井の方へと向き直り、小さく手を振り返しながら距離を詰める。

「おはよう、白川さん」

「おはよう」

「後ろに何かいた?」

 百井が怪訝な表情で質問してくる。

「いや、私じゃない人に手を振っているのかと思って」

「そういうことね」

 何やら腑に落ちた百井はそう言い、教室に入っていった。私も百井の後を追うように教室に入り、自分の席に着いた。

 そういえば席替えはいつ行われるのだろうか。このままでも私は一向に構わない。


 午前中の退屈な授業が終わり、昼休みになった。

「白川さん」

 自分の席で先ほど購買で買ってきた菓子パンを食べ始めたところに、百井がやって来た。

 普段の私なら昼休みは学食で何かしらの定食を食べているはずだけど、今日の私は昨日の疲労が残っていて、あまり食欲がない。なので昼食は軽めのもので済ませて、自分の席で仮眠を取ろうと思っていた。

「どうしたの?」

「お昼一緒に食べない?」

 百井はそう言い、コンビニのビニール袋を掲げる。そういう提案か。

 私は今まで百井と昼休みを共に過ごしたことはない。

 普段の百井の昼休みの過ごし方は、取り巻きの連中と教室で昼食を一緒に食べていたり、そうではなかったり……本日の連中は総出で欠席だった。

 百井は私の口から昼休みを盛り上げる小粋なトークが飛び出ることを期待しているのかもしれないけど、そいつはお門違いである。

「いいけど」

 とは言え、他の誰かと約束していたわけではない。断る理由も特に無い。

「ありがとう。お茶置かせてね」

 百井はそう言い、今の時間は空いている私の前の席に座った。

 私の位置からだと窓の方を向いて座る百井の横顔がよく見える。

 珍しかったので悟られない程度に、百井を観察してみることにした。

 目は二重でまつ毛は爪楊枝が余裕で乗りそうなほど長い。菓子パンを掴む手の指は奇麗で自然な長さをしている。手の爪は手入れが行き届いていて、教室の蛍光灯の光に照らされ輝きを放っている。

「白川さんってゲーセンにはよく行くの?」

 百井は私の方に少しだけ体を向け、私の目を見ながら昨日の出来事から湧いたであろう疑問を投げかけてきた。

 百井と目が合った時、少しヒヤッとした。昨日の出来事がまだ尾を引いているようだ。間抜けな声を聞かれてしまったし。

「あんまり。昨日は買い物のついでに寄っただけだよ」

 私は短く答えた。ゲームコーナーとゲームセンターの違いを説明するのは細かすぎるだろう。

「そうなんだ。鉄砲の構え方、様になってたよ」

「そうかな……」

 あの様を見られていたと思うと、やはり恥ずかしくなるけど、私は楽しめたので後悔はない。


 百井と取り留めのない話をしながら菓子パンを食べ、昼休みが終わる五分前でお開きとなった。

「それじゃあ。ゴミは捨ててくるから」

 百井はそう言い、菓子パンの空き袋を小さくまとめた。

「悪いね」

 百井に昨日は何をしていたのかとか聞いてみてもよかったのかもしれない。

 それはそれとして仮眠の時間が消えてしまった。まあいいか、机に突っ伏して寝たら顔に跡が付く。

 眠気に耐えながら午後の授業を受けていると、とある疑問が頭に浮かんだ。

 昨日の百井は私のどこを見て私だと判断したのだろうか。

 私の記憶が確かなら、休日に百井と遭遇したのは昨日が初めて。なので百井が私の私服姿を見たのも初めてのはず。百井は他人のことをよく見ているのか。そこが人付き合いを円滑に進められる所以ゆえんだろうか。

 私は街で百井を見かけても気付かないだろう。だって百井は有象無象のクラスメイトの一人に過ぎない。

 他のクラスメイトと違うところを無理矢理挙げるとすれば、百井のことを考えていると時間があっという間に過ぎていることくらい。


 翌日以降、私はいつも通りに学食で昼休みを過ごしていた。なので再び昼休みを百井と共に過ごすことはなかった。

 それどころか定期考査があり、百井のことを考えている余裕はなかった。

 それから時は流れて、薄っぺらい一学期が終わり、この学校に入学してから初めての夏休みには入った。

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