第11話 別れと、これからと
律佳は賢人と家に帰った。母さんは怒りながら出迎えた。
「律佳、一体どういうつもりなの! 賢人を連れ回して。この子は遊んでいる暇なんてないのよ!」
母さんは怒鳴る。言い訳のしようもなく、黙っていると、賢人が口を開いた。
「母さん」
「……何?」
母さんは眉間に皺を寄せる。
「兄さんは悪くないよ。僕が頼んだんだ。ちょっと疲れていたから、休ませてもらっていたんだ」
律佳は驚いて賢人を見た。賢人がフォローを入れてくれたのだ。
「疲れていた?」
母さんの言葉に、すかさず律佳は口を開いた。
「母さん、あんまり賢人に無理をさせないであげて。僕が言えることじゃないけど、賢人は頑張っているよ。願望とか、期待とかを押し付ける前に、賢人のことを、もっとよく見てあげて」
「何よ。なんであなたが偉そうに……」
すると、騒ぎを聞きつけた父さんがやってきた。
「なんの騒ぎだ?」
これはチャンスだと思い、律佳は改まって言う。
「父さん、母さん。僕がもう、ここに帰ってくることはないから、安心して。やっと、やりたいことを見つけたんだ。今まで迷惑ばかりかけてごめんなさい。出来損ないでごめんなさい。僕はもういなくなるから。だから、比べるようなことはせずにさ、ちゃんと賢人を、真っ直ぐ見てあげて」
律佳はそれだけを伝えた。この時両親がどんな顔をしていたかは、覚えていない。
「今までありがとう。さようなら」
律佳はそのまま回れ右をし、足早に実家を後にする。
「兄さん!」
後ろから、声が聞こえた。律佳は振り向いた。
「頑張ってね!」
賢人の顔は、爽やかで、清々しかった。一点の曇りもない激励を、賢人は送ってくれた。
「大丈夫か?」
近くで待ってくれていたカイリが、声をかける。
「うん。……別れって、思っていたよりもずっと、切ないものなんだね」
決して仲の良い家族ではなかった。親からの愛を感じたことはあまり無かった。だけど、いざ離れるとなると、胸が痛んだ。
「これからは、お前の家族の分まで、俺たちが愛してあげるさ」
カイリは慰める。ずっと孤独だった律佳。でも、これからは、カイリや、他のみんながいる。
「ありがとう、カイリ」
***
「律佳、本当にいいのかい?」
トオルは尋ねる。同じ質問を、かれこれ三十回ほどしている。
「いいんです。僕がもし元の生活に戻っても、ただ何となく暮らし続けている未来しか見えません。何もしないまま死んでいくのなら、『影を狩る者』になって、人々の役に立って死にたいです。それに……」
律佳は、トオル、ユウジ、イロハ、そしてカイリの顔を、順番に見つめた。
そして、微笑んで言った。
「僕はみんなのことを忘れたくありません」
『影を狩る者』になりたい一番の理由は、それだった。この出会いを、無かったことにはしたくない。『海』の存在を、もうこれ以上忘れたくなかった。そして、再び出会えたカイリのことを。この家で出会ったみんなのことを。
「そっか。それじゃあ、行くぞ」
トオルは、律佳の腕に刻印を押した。絶対に消えない印。『影を狩る者』になった証だ。
律佳は腕にくっきりとついた黒い印を見て、満足そうに微笑んだ。
「契約完了だ。これで明日目を覚ましたら、律佳には何かしらの超能力が備わっている。そして、周りの人から律佳の記憶は消えている」
もう後には戻れないことが分かった。それでいい。これからはここで、生きていくんだ。
「りっちゃん、改めてようこそ! 今日はりっちゃんの、歓迎パーティーをしよう!」
イロハは張り切って言った。
「ああ、そうだな。パーッと騒ごうぜ。トオル、今日くらいは、酒、飲んでいいだろ?」
ユウジはトオルに頼む。トオルは「しょうがないな」とため息をついた。
「あんまり飲みすぎるなよ」
「よっしゃー!」
ユウジはガッツポーズをする。
「あ、じゃあ俺、料理作るよ」
と、カイリは手を挙げる。
ユウジは笑いながらカイリの背中を叩いた。
「ははっ、面白い冗談だな」
「えっ……」
「……まさか本気?」
カイリの困惑する顔を見て、ユウジは青ざめる。
そんな様子を見て、律佳は笑った。みんな優しくて、楽しくて、いい人たちばかり。律佳はこんな場所に、憧れていたのかもしれない。
やっと見つけたやりたいこと。やっと見つけた居場所。
今はこの上なく幸せだった。
***
『影を狩る者』になって、数ヶ月が過ぎた。律佳とカイリが店で昼ごはんを食べていたとき、偶然、隣の席に賢人が座っていた。賢人は友達と来ているようだった。
律佳はそっと聞き耳を立てる。
「賢人って、春から一人暮らしなんだろ?」
「うん。無事第一志望校に合格したから、両親に無理を言って、一人暮らしをさせてもらうことになったんだ」
「へぇー、いいな。でも、大変じゃない?」
「正直、親もとを離れられるから、ちょっと気が楽だよ」
「そっか、お前も色々大変そうだったもんな。でも、悩みを相談してくれて、嬉しかったぜ。賢人のこと、ずっと完璧人間だと思ってたから、そういうのが聞けて良かった」
「辛いことや苦しいことがあったら、一人で抱え込まずに、周りに頼ることも大切だって、教わったんだ。誰の言葉かは覚えていない。だけど、絶対に忘れてはいけないような気がするんだよ」
「なんだよ、それ」
「意味分かんないかもだけど、とにかく、それを教えてくれた誰かは、僕を救ってくれたんだ。闇の中から、引っ張り出してくれた。今もどこかで、見守っていてくれている気がする」
「こわっ。ホラーかよ」
「まあ、勝手に僕がそう感じているだけだけどね」
「でも、賢人って変わったよな」
「変わった?」
「うん。前の賢人より、今の賢人の方が、人間味があってずっと好き」
「なにそれ、照れるじゃん。でも、ありがとう」
二人のそんな話が聞こえてきた。彼らは昼ごはんを食べ終わると、すぐに店を出て行った。
律佳は胸がいっぱいだった。律佳の言葉は、ちゃんと賢人に届いていた。
賢人の努力は無事に実り、そして、友達にも相談できるようになっていた。
彼の顔は、清々しかった。今の彼なら、どんな闇にも打ち勝てる。
律佳は安心した。賢人は律佳のことを忘れてしまったけれど、律佳の思いだけは、賢人の中に残っている。
それだけで、十分だ。
対象的な兄弟は、これから別々の道を歩む。それがたとえ、茨の道でも。
きっとその先に、幸せが待っているはず。
そう、信じて。
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