第6話 運命の選択
「……今回は律佳が無事だったから、特別に本部には報告しない。カイリ、辛いのはよく分かる。俺たちだって、毎日毎日必死な思いで生きている。どうしようもなくなった時は、どうか俺たちに相談してくれ。関係の無い人を巻き込まないためにも。俺たちは仲間なんだから」
トオルはカイリを許した。今回だけだぞ、と念を押す。
そして、律佳の方を向いた。
「律佳、悪いな。巻き込んでしまって。でも、これでもう終わりだ。明日目を覚ませば、律佳は全て忘れている。俺たちのことも、『影』のことも。明日には元の日常が戻ってくるよ」
「ま、待ってください!」
律佳は勝手に進んでいく話を慌てて止めた。
「記憶を消されたら、もう二度と、カイリたちのことを思い出せないんですか?」
「その通りさ」
「それは嫌です!」
律佳は叫んだ。
「忘れたくありません! 海は……カイリは、僕にとって大切な人なんです。カイリのおかげで、生きたいと思えたんです」
律佳は必死に訴えた。このままこの出会いが、無かったことになってしまうなんて、耐えられなかった。
しかし、トオルは首を振った。
「そうは言っても、これは掟だから……」
「それなら、僕も『影を狩る者』になります!」
律佳がそう言うと、そこにいた四人は驚いたような顔をした。
「……律佳、それはやめた方がいいよ。さっきの話、聞いてただろ?」
ユウジが言う。
「『影を狩る者』になったって、いいことなんてほとんどないさ。辛いだけだ」
どんなに辛くたって、良かった。今の自分を、現状を変えられるのなら、なんだって良かった。
本来ならば、律佳は『影』に殺されていた。今生きているのは、カイリのおかげ。死にたくないと思えたのもまた、カイリのおかげだ。
全部忘れてしまって、このまま何も無かったかのように、元のなんとなく生きる生活に戻るのは嫌だった。
「僕にはもう、失うものなんてありません。僕の居場所は、もうどこにもないんです」
律佳は真っ直ぐな瞳でトオルを見つめる。
「そんなセリフ、前にも何度も聞いたことがあるな」
と、トオルはため息をついた。
「律佳、ちゃんと考えな」
「それなら、どうしてみなさんは、『影を狩る者』になったんですか?」
律佳は負けじと尋ねる。するとトオルはこう答えた。
「帰る場所がなかったからだよ。『影を狩る者』はみんな、人生に絶望して、行き場を失ったやつばっかりだから」
律佳はハッとして、皆の顔を見た。トオルも、ユウジも、イロハも、そしてカイリも、全てを捨ててもいいと思えるほどの何かが、過去にあったんだ。
「それなら僕も、同じです。僕にはもう、帰る場所がありません。僕が何をしようと、僕を引き止める人なんていません。今はただ、海を……カイリを、みんなを忘れたくないんです」
律佳は真剣な顔で、トオルを見つめる。しばらく見つめ合い、先に逸らしたのは、トオルの方だった。
「じゃあ律佳、今夜、俺たちと一緒に来い。『影』がどんなものか、そして俺たちが何をやっているのか、全部見せてやる。考えるのは、それからでも遅くない。本部に連絡して、記憶を消すのをしばらく待ってもらおう」
トオルの言葉に、律佳はホッとした。
その後、皆はそれぞれの部屋に戻っていく。
「カイリ、お前、愛されてるな」
去り際に、ユウジがボソッと呟いた。
「ええ、もう十分なくらいに」
と、カイリは答えた。
***
律佳はとりあえず、夜になるまでカイリの部屋で過ごすことになった。
カイリの部屋は綺麗に整理整頓されていて、無駄なものが一切なかった。
「ねえカイリ、超能力ってどんな感じなの?」
律佳は気になって尋ねてみた。
「気になるか? それなら見せてやるよ」
カイリがそう言うと、急に部屋の中が寒くなった。そして、カイリの周りに、キラキラ輝く氷の粒が集まってくる。
律佳は思わず感嘆の声をもらした。
氷の粒は、カイリの手の中に集まってくる。粒はやがて、何かを形作った。まるで水晶のように美しいそれは、先が尖ったナイフのようだった。
カイリはその氷のナイフを、素手でしっかりと握りしめている。
「……冷たくないの?」
「ああ。寒さとか冷たさとかには、この能力を得てから平気になった」
カイリは、もう片方の手を律佳の頭上にかざした。すると、そこからキラキラしたものが舞散った。
「すごい……綺麗!」
小さな氷の粒が、律佳の頭の上から降り注ぐ。朝日に照らされて輝く露のように、美しかった。
「カイリ、すごいよ! 感動した」
律佳の純粋な目を見て、カイリは嬉しくなった。
「そんなに喜んでくれるなら、何度だって見せてやるよ」
カイリはすっかり上機嫌だった。
この能力を、戦い以外で使うことなんてほとんどなかったので、こんなふうに純粋に喜んでもらえるのが新鮮だった。
「……ねえカイリ、僕を襲ったあの男はさ、本当に、死んじゃったんだよね?」
律佳は遠慮がちに尋ねた。するとカイリはパッと表情を変えた。
「そうだ。俺が殺した。あの男は、『影』と共に消滅した」
「消滅?」
「そうだ。あの男は救えなかった。間に合わなかったんだ」
カイリは悔やむように言った。
「どうしたら、『影』に取り憑かれた人を救えるの?」
「心に抱えている闇を吐き出させるんだ。心の奥底に眠っている本音を、言葉にして。それがたとえどんなに残酷なものだったとしても。『影』は人の負の感情を好む。闇を晴らすことで、『影』も一緒に消滅するんだ」
「じゃあ、あの男は、心の闇に、向き合えなかったってこと?」
「そういうことだ。俺たちは、取り憑かれた人が、心に抱えている闇を言葉にするよう促すんだ。多少強引な手を使ってでもね。それでも無理だった場合は……」
カイリは、その先は言わなかった。
『影を狩る者』は思っていたよりも随分と過酷で、苦しいものだということが分かった。
それでも、律佳の意思は変わらなかった。
「……カイリは、どうして『影を狩る者』になったの?」
律佳は尋ねた。
「俺も、凶暴化した人間に襲われて、幸か不幸か、『影』に打ち勝ったんだよ。そのまま流れで、『影を狩る者』になった。一度『影』に打ち勝てば、『影』への耐性ができるらしくてね。それに、あの時は、人生のどん底にいて、全部どうでも良くなっていたんだ。だから、全てを捨てて、『影を狩る者』になった。まあ実際、辛いのには変わりはないんだけどな。でも、昔よりは、生きるのがマシになったよ」
カイリはそう言うと、笑った。カイリは何に苦しみ、何に絶望したのかは分からない。だけど、律佳は親近感を覚えた。
もっと早く、彼と出会えていたら、何かが変わっていたのではないか。カイリが『影』に触れる前に出会えていたら、お互いを救えたのではないか。なんて考えたけれど、今さら仮定したって仕方がない。
カイリのそばにいるためには、カイリを忘れないためには、『影を狩る者』になるしかない。
律佳の意思は、さらに固くなった。
***
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