第5話 影の正体
朝の一連の騒動が収まったあと、律佳は大事な話があると言われ、不安に思いながら座っていた。昨日の出来事についての話だろう。
「律佳、今から話すことを、よく聞いてほしい」
トオルが言った。彼は、この中で一番年上なのだそうだ。だから、リーダーのような存在らしい。もちろん、トオル、ユウジ、カイリ、イロハは、家族でも何でもない。しかし、ここで一緒に暮らしているのだと。
「まずは、『影』についてだ」
律佳は息を飲む。
「『影』というのは、得体の知れない邪悪な存在だ。黄昏時を過ぎると、闇に紛れて現れるんだ。『影』は心に闇を抱えた人に取り憑き、体を乗っ取っていく。『影』に体を乗っ取られてしまうと、時間が経つにつれて自我が無くなり、凶暴化してしまう。その凶暴化した人間は、人を襲い、魂を吸う。律佳はその凶暴化した人間に襲われたんだ」
律佳は昨日の男を思い出した。思い出しただけでも気持ち悪くなった。
そういえば、あの時、地面には血溜まりができていた。意識が朦朧としていてあまり覚えていないが、あの男はどうなったのだろう。
「俺たちは、『影を狩る者』なんだ。『影』は単体では力を持たない。人に取り憑くことで、強大な力を得るんだ。俺たちは、力を持つ前の『影』を駆除すること、そして『影』に取り憑かれた人を救うことを仕事としている」
トオルは説明する。
「『影』が魂を侵食するには、一定の時間がかかるんだ。解放されるには、取り憑かれた人が、完全に飲み込まれてしまう前に、心に抱えている闇に向き合い、乗り越えなければならない。『影』は人の弱いところから入り込んでくる。もしそれができなければ、『影』は魂を侵食し、人間の体を乗っ取り、人々を襲い始める」
昨日律佳を襲ったあの男は、『影』に体を乗っ取られていた人だったんだ。
「一度凶暴化した人間は、元に戻ることは出来ない。人を襲う以上、生かしておくにはいけないんだ」
トオルは深刻な面持ちで言う。
律佳はハッとした。『影』によって凶暴化した人間は、殺されるんだ。律佳を襲ったあの男は、哀れにも死んだんだ。カイリの手によって。
「自我はないとはいえ、元は人間だ。俺達もなるべく、殺したくはない。でも、殺さなければ、世の中の秩序は保たれない」
トオルは悲しそうな顔をした。他の三人も、
辛そうな顔をしている。できればやりたくないというように。
特に皆よりも幼いイロハも、人を殺していると考えると、胸が痛くなった。
「『影』は倒してもキリがない。被害を抑えるためには、少しでも多くの『影』を駆除しなければならない。そうやって見えないところで、俺たちは頑張っている。だけど、『影を狩る者』なんていうのは、残酷な仕事だよ」
トオルは自嘲するように言う。
「『影を狩る者』はね、沢山の代償を支払わなければならないんだ」
「代償?」
律佳は尋ねた。
「『影』の存在は、人々に知られるべきでは無い。もしも『影』が、人々に知られてしまえば、社会の混乱を招くことになるからね。それは、『影を狩る者』も同様だ」
確かに、『影』の存在を知れば、皆は慌てふためき、『影』に怯えながら生活することになるだろう。知らない方が、幸せということか。
「だから、『影』に関わった人間は、記憶を消されるんだ」
「記憶を消す? どうやって?」
「『影を狩る者本部』というのが、この世界のどこかにあるんだ。その場所は、俺達も知らない。『影を狩る者本部』から、物資や食料が送られてくるようになっているんだけど、住所などは一切記載されていなくてね。『影を狩る者本部』は、世界中にいる『影を狩る者』を統治しているんだ。そこに、どうやら記憶を操作できる能力を持った人がいるらしくてね」
律佳はわけがわからなくなってきた。記憶を操作できるなんて、超能力みたいなものなのだろうか。
「『影を狩る者』になれば、一つ超能力が貰えるんだ。記憶を操作できる能力を得る人は、本当に稀なんだって」
「ということは、トオルさんたちも……」
「そうだよ。俺は炎を操ることができる。みんなもそれぞれ違う能力を持っているよ」
聞くと、カイリは氷を操ることができ、イロハは毒を生み出すことができ、ユウジは念動力を持っているというのだ。
律佳は別世界にいるような感覚で、不思議だった。超能力なんて、ゲームや漫画の中の話だと思っていたからだ。
「記憶が消えるってことは、人々から、『影を狩る者』の存在も忘れられるってことですか?」
律佳は尋ねた。
「そうだよ」
トオルは悲しそうに言う。
「忘れられるんだ。誰からも」
胸が苦しくなった。トオルにも、他の『影を狩る者』にも、大切な人がいただろうに。『影を狩る者』になるということは、過去と別れるということだ。まるで全ての人間関係がリセットされるように。新しい人生が始まるように。
―――なあ律佳、もしも、明日目が覚めて、誰も自分のことを覚えていなかったら、どうする?
そんな言葉が頭を過ぎった。あれ、これは誰が言っていたんだっけ。ずっと探していた『海』の言葉だろうか。
「ある日、朝起きると、机の上にメモが置いてあったんです。そこには、知らない誰かの名前が書いてありました。何度考えても思い出せなくて。でも、とても大事な人だった気がするんです。それからというもの、何となく公園のベンチが気になって、いつも確認してたんですけど、そしたら、偶然凶暴化した人間に出会ってしまって……」
律佳は目を伏せながら言う。
「これも、何か関係があるんですかね? そのメモには、『海』って書いてあったんです。どうしても、もう一度会いたくて」
すると、トオルは勢いよく立ち上がった。表情を変え、そして、カイリの方を向き、胸ぐらを掴む。
「カイリ! 何をやってるんだ!」
トオルは怒鳴った。
「『海』というのは、お前の昔のあだ名だろ? なんてことをしてくれたんだ!」
トオルは血相を変えて怒る。カイリは何も言い返さない。言われるがまま、暗い顔をしている。
「カイリ、何とか言え! お前が律佳を巻き込んだも同然なんだぞ」
律佳はわけが分からないまま、二人の様子を見ていた。
「とーさん、落ち着いてよ。カイリーンにも、何か特別な理由があったかもしれないじゃん」
イロハは間に入ってなだめる。
「だけど、カイリは関係ない人を巻き込んだ。カイリが手がかりを残さなければ、律佳は忘れたままだった。それに、人間には『影』に関することを知られてはならないという掟があるだろ! 人間と『影を狩る者』は、深くかかわり合うべきじゃないんだ!」
「それは……そうかもしれないけど……」
トオルの正論に、イロハはうなだれる。
『海』の手紙がなければ、律佳は違和感を覚えることはなかった。誰かを探そうとすることもなかった。『海』の存在を覚えていなければ、あの公園のベンチにだって、毎日近づくことはなかったかもしれない。
「もちろん、『影』のことを律佳には言ってない。でも、分かってる。全部俺が悪かったって。ごめん」
カイリは謝った。拳を握りしめながら、カイリは言う。
「……どうしても、律佳には、俺のことを忘れて欲しくなかった。律佳は俺を助けてくれたから。人を殺したり、皆に忘れられたりするのが、辛くて仕方なかったんだよ。だから、欲が出たんだ。律佳は、俺を助けてくれた律佳だけには、俺のことを覚えていて欲しかった」
カイリは下を向く。律佳は立ち上がり、カイリの側まで言って、話しかけた。
「『海』は、カイリだったんだね」
律佳が尋ねると、カイリは頷いた。
「カイリに会った時、そんな気がした。直感でそう思った。僕はずっと、『海』を探していたんだ。その人が誰なのかは、全く覚えていない。だけど、『海』は僕を認めてくれた唯一の人だった気がするんだ。はっきりとは分からない。僕の『海』の記憶は、まるでモヤがかかったように霞んでいるから」
律佳は微笑んだ。今はただ、『海』に会えて嬉しかったからだ。
「『海』を探したのは僕だ。僕の意思だ。だから、君が気にする必要は無いよ。カイリは僕を『影』から救ってくれた。僕が『影』の浸食を止められたのも、君のおかげなんだ。『海』に会うまでは、死ねないと思ったんだよ」
律佳はカイリの前に手を差し出した。
「僕は今生きている。それでいいでしょ? 君にまた会えて良かった。だから、顔を上げて」
その言葉を聞くと、カイリはゆっくりと顔を上げた。
「律佳……」
カイリは律佳の手を掴んだ。
カイリは律佳に、また救われた気がした。
あの雨の夜、カイリは身体的にも精神的にも苦痛を味わっていた。ここ最近忙しく、ちゃんと眠れていなかったのもあるし、『影』に取り憑かれて凶暴化した人間を殺すというのも、苦しくて仕方がなかった。彼らに自我はなく、もう人間ではない別の何かになってしまっている。でも、彼らは元人間だ。そんな奴らを殺すのには、もちろん最初は抵抗があった。しかし、最近ではその感覚が麻痺して来ている気がするのだ。そんな自分が怖かった。殺すというのが、単純作業になってきているのだ。これは救済だと言い聞かせながら、ここまでやってきた。
でも、あの雨の夜は、それが限界に達していたのだ。動けなくて、お腹がすいて、苦しくて。
そんなどうしようもなかったカイリを、律佳は助けてくれたのだ。そして今も、律佳はカイリを許し、優しい言葉をかけてくれた。
律佳にだけは、忘れて欲しくなかった。ほんの少しだけでいいから、頭の片隅に『海』の記憶を置いておいて欲しかった。
本名ではなく、『海』と名乗ったのも、それが理由だ。本名のカイリは、『影狩り本部』に名簿登録されているため、完全に記憶は抹消されてしまうし、そもそもその名前を書き残すという行為は掟に反する。でも、昔のあだ名である『海』ならば、許させるかもしれないと思った。
カイリじゃなくていい。せめて、『海』という人が存在したということだけを、知っていて欲しかった。
望んだ形ではなかったが、再び律佳に出会えて、カイリは嬉しかった。
「ありがとう」
カイリは満たされたように、ただ一言そう言った。
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